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2024年07月28日

「ポールの道」#445「FAB4 U.S. SINGLES」#38「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE / HELTER SKELTER」

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1970年に解散したビートルズは、暫くの間はそれぞれのソロ・アルバムが話題となっていました。ジョージは意外にも1970年11月27日にアップルからリリースした3枚組のアルバム「ALL THINGS MUST PASS」が全英首位!・全米首位!となり、シングル・カットした「MY SWEET LORD」も全英首位!全米首位!となり「ビートルズが解散して最も得をした男」と云われました。ジョンは1970年12月11日にアルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」をアップルからリリースして、全英8位・全米6位となりますが、チャートでの成績など関係なく世紀の名盤と絶賛されました。リンゴは、ジョージのアルバム「ALL THINGS MUST PASS」にも、ジョンのアルバム「ジョンの魂」にも参加していて、特に「ベースはクラウス・フォアマン、ドラムスはリンゴ、他は何も要らない」とジョンが云って、実際にジョン、リンゴ、クラウスでの3ピースを基本としたアルバム「ジョンの魂」でのドラムスは名演だとされています。

ジョンは翌1971年9月9日(米国)・同年10月8日(英国)にアップルからリリースしたアルバム「IMAGINE」では、「ジョンの魂」でもプロデューサーとなっていたもののそれ程には関わっていなかったフィル・スペクターとガッツリと組んで、チャートでも全英首位!全米首位!日本でも首位!と大成功させました。アルバム「IMAGINE」にはジョージも参加していて、そもそもアルバム「ALL THINGS MUST PASS」もジョージとフィル・スペクターの共同プロデュース作でした。つまり、ジョンとジョージとリンゴ、そしてフィル・スペクターは、1970年5月8日にリリースされたビートルズのラスト・アルバム「LET IT BE」から引き続き良好な関係を続けていたわけです。そして、当時は「ビートルズを解散させた男」と云う誤ったレッテルを貼られてしまったポールだけが、蚊帳の外だったのです。1970年4月17日リリースのアルバム「McCARTNEY」(全英2位・全米首位!)も、1971年5月21日リリースのアルバム「RAM」(全英首位!・全米2位)も、売れたのに内容は酷評されました。

現在では宅録の元祖として愛されているアルバム「McCARTNEY」や、ポールの最高傑作とさえ云われる様になった「RAM」も、リリース当時にはソレ以上ない程に評論家に叩かれ、リンゴにまでバカにされたのです。そんな中でジョンは「詞が俺に向けて批判している。他の奴には分からなくとも、俺には分かる」と云い「HOW DO YOU SLEEP?」で応戦するわけですが、歌詞以外の内容に関しては認めていて、後にアルバム「RAM」に参加したデヴィッド・スピノザ(アルバム「MIND GAMES」)とヒュー・マクラッケン(アルバム「DOUBLE FANTASY」)を起用しています。特にヒュー・マクラッケンはオーディションへ行ったら、ギターを弾く前にジョンから「君はポールの“RAM”で弾いていたね、だったら合格」と云われたそうです。1972年になると、ジョージとリンゴが1971年に行った「バングラデシュ難民救済コンサート」で賞賛され、ジョンは政治色が濃いアルバム「SOMETIME IN NEW YORK CITY」を出して、ポールはウイングスでドサ回りアポなしライヴをやっていました。

1973年には、4人共に内容があるアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」(ポール・5月)、「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」(ジョージ・6月)、「MIND GAMES」(ジョン・11月)、「RINGO」(リンゴ・11月)、「BAND ON THE RUN」(ポール・12月)とリリースして、リンゴのアルバム「RINGO」にはジョンとポールとジョージが楽曲提供して、ポール以外の3人は共演しています。そして、ビートルズのベスト盤ブートレグ「ΑΩ」を駆逐する為に、1973年4月には初めてのオールタイム・ベスト盤「THE BEATLES 1962-1966(赤盤)」と「THE BEATLES 1967-1970(青盤)」がアップルからリリースされたのです。コレによって、初めてビートルズの歴史が俯瞰して観れる様になったわけで、「赤盤」と「青盤」以前と以後では、ファンの聴き方が変わっています。個人的には「青盤」を聴く前にアルバム「ABBEY ROAD」を買って聴いていたので、単曲の連なりになっていて「何か変だなあ」とは思いました。

さてさて、そんな流れで1974年にも1975年にも元ビートルズの4人はソロ・アルバム(ポールはウイングス)をリリースしていたのですけれど、1976年になって1967年にEMIと契約した9年が満了して、再契約となるのです。ポール(ウイングス)はEMIと継続して、ジョージとリンゴは他社へ移籍して、ジョンはどことも契約せずに引退状態となりました。そして、EMIはビートルズの音源を編集盤にして発売出来る様になったのです。英国では、1976年3月6日に英国オリジナル・シングル22作に新たに「YESTERDAY / I SHOULD HAVE KNOWN BETTER」を加えた23作の箱をリリースしました。英国で「YESTERDAY」がシングル・カットされたのはコノ時が初めてでバラ売りもされたので、11年前の楽曲なのに全英5位になっています。そして、1976年6月7日(米国)・6月10日(英国)に、2枚組28曲入りの編集盤「ROCK'N'ROLL MUSIC」がリリースされました。

ところが、此の編集盤は米国キャピトル盤と英国パーロフォン盤では音源が違っています。実は「赤盤」と「青盤」も米国キャピトル盤はキャピトル音源なので「HELP!」の前に「なんちゃってジェイムス・ボンドのテーマ」が入っていたりしたのですけれど、此の「ROCK'N'ROLL MUSIC」に関してはステレオ音源を求めたキャピトルに対してサー・ジョージ・マーティンがノーギャラでリミックスしているのです。しかし、英国パーロフォンではビートルズの音源に手を加えてはならないと云う契約があって、オリジナル音源となっています。ジャケットも米国盤はギンギンギラギラで、英国盤はグレーになっているのですが、日本盤はジャケットが米国盤ギンギラ仕様で音源は英国オリジナルと云う最もつまらない選択をしています。英国オリジナル・アルバムに未収録曲も多いし独自のリミックスもしているので、コレは米国仕様でCD化しても良かったと思います。

そして、英国では1976年6月25日に英国では24作目のシングル「BACK IN THE U.S.S.R. / TWIST AND SHOUT」が、アルバム「ROCK'N'ROLL MUSIC」からのシングル・カットとしてリリースされて全英19位まで上がっています。米国でのシングル・カットは「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE / HELTER SKELTER」で、34作目として1976年5月31日にリリースされていて、全米7位とヒットしています。10年前の曲がそんなに売れるのですから、レコード会社は放って置くわけがありません。此のシングルは日本などでは「ヘルター・スケルター」がA面で、キャピトルも当初はそっちをA面にする予定だったのですが、例の殺人事件を想起させるので変更されています。編集盤「ROCK'N'ROLL MUSIC」は、全英11位・全米2位(首位!はウイングスの「WINGS AT THE SPEED OF SOUND」)で、やっぱりビートルズは売れる、とレコード会社はホクホクだったでしょうなあ。それにしても、ブラス・ロックの先駆けである「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」は1966年、ヘヴィーメタルの元祖「HELTER SKELTER」は1968年と、ビートルズは早いのです。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする