1970年4月10日のポール・マッカートニーによるビートルズ脱退宣言によって、ビートルズは事実上では解散しました。ポールは「僕がビートルズを去ったのではなく、ビートルズがビートルズを去ったのだ」と云っていて、そのまんま受け取ると「自分がビートルズ」と云う傲慢な意見に思えますけれど、既にリンゴもジョージもジョンも脱退を内輪ではしていたので、4人はバラバラになっていた、と云う意味なのでしょう。事実としても、ビートルズの後期の音楽とは、即ちポールの音楽でした。しかしながら、リアルタイムではそんな内情は知られておらず、当時はポールがビートルズを裁判沙汰にしてまで解散させた悪者扱いされたし、ヨーコさんもジョンを腑抜けにしてビートルズを壊した魔性の女だと云われていました。兎も角、1970年でビートルズは解散したわけで、日本では信じられない様なリリース・ラッシュとなったのです。
先ずはシングルですけれど、1970年3月25日に41作目の「レット・イット・ビー / ユー・ノウ・マイ・ネーム」(英米に沿った内容)が、同年6月5日には42作目の「オー・ダーリン / ヒア・カムズ・ザ・サン」(日本独自盤)が、同年9月5日には43作目の「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード / フォー・ユー・ブルー」(米国盤に沿った内容)が出ています。「レット・イット・ビー」はステレオと表記されていたもののモノラルで、「ユー・ノウ・マイ・ネーム」は元々モノラルで、他はステレオでのリリースでした。しかも「レット・イット・ビー」はステレオ音源をモノラルにしただけのインチキ・ミックスで、盤起こしなんじゃないか、とも云われました。これで現役時代のビートルズのシングル盤は、英国が22作、米国ですら33作で、日本では43作!となったのです。
それから、日本独自盤シングルが1969年の「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ / マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」と1970年の「オー・ダーリン / ヒア・カムズ・ザ・サン」がある為に、日本ではジョージ作の曲が1968年に「ジ・インナー・ライト」、1969年に「マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「オールド・ブラウン・シュー」、「サムシング」、1970年に「ヒア・カムズ・ザ・サン」、「フォー・ユー・ブルー」と6曲もシングルになっているのです。ジョージ作の曲がシングルになると云う事は、つまりはソノ6作のシングル片面では「レノン=マッカートニー作が外される」と云う事ですので、コレは大変な事ですよ!だったのです。つまりは日本では全世界に先駆けて、ジョージの後期の躍進ぶりが発揮されていたわけですなあ。
4曲入りのEPは、1970年6月25日に「ビートルズ・ヒッツ」、「ツイスト・アンド・シャウト」、「ビートルズ(NO.1)」、「オール・マイ・ラヴィング」、「のっぽのサリー(LONG TALL SALLY)」、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(EXTRACTS FROM THE FILM “A HARD DAY'S NIGHT”)」、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(No.2)(EXTRACTS FROM THE ALBUM “A HARD DAY'S NIGHT”)」、「ビートルズ・フォー・セール」、「ビートルズ・フォー・セール(No.2)」、「ビートルズ・ミリオン・セラーズ」、「イエスタデイ」、「ひとりぼっちのあいつ(NOWHERE MAN)」と、一挙に12作も出ています。コレはですね、英国盤オリジナルの4曲入りEPをジャケットと収録曲だけ同じにして、音源はステレオにして、回転数も45回転ではなく33・1/3回転にして、アップル・レーベルで出したインチキ盤です。日本独自盤のEP12作も出ていたので、「MAGICAL MYSTERY TOUR」を抜いてもEPが日本では24作も出ていたのです。
そして、アルバムですが、1970年4月21日には編集盤「ヘイ・ジュード」(米国盤に沿った内容)が、同年6月5日には英国オリジナル12作目のアルバム「レット・イット・ビー」がアップルから出ていて、日本ではアルバム「レット・イット・ビー」がベスト盤「オールディーズ」を抜いても17作目でした。ところが、1970年8月25日には編集盤「ミート・ザ・ビートルズ」と「ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム」が、同年9月25日には編集盤「サムシング・ニュー」と「アーリー・ビートルズ」と「ビートルズY」と「ヘルプ(4人はアイドル)」と「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」と、米国キャピトル編集盤が一気に7作もアップル・レーベルでリリースされたのです。つまり、1970年の時点で、英国オリジナル・アルバムは12作で、米国ですら18作だったのに、日本では24作も出ていたのです。普通ならばバンドが解散したならば歴史を俯瞰して観れる様になるのですが、これでは益々混乱するばかりです。
しかも、しかもですよ、そんなに出したのに英国デビュー作「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」と2作目の「WITH THE BEATLES」は曲順を変えた「ステレオ! これがビートルズ」しかなくて、最初の2作がオリジナルのカタチで日本で発売されるのは1976年なのです。他のアルバムもジャケット違いがあったのですが、それらも日本では1976年にオリジナル仕様に変わっています。一気に7作も出したキャピトル編集盤も、ジャケットや曲目曲順はキャピトル盤仕様ですが、ステレオのみのリリースで、何よりビートルズも嫌悪感を持っていた水増しアルバムなのに、アップル・レーベルでのリリースだったのですから皮肉なものです。内容も、単にキャピトル盤の曲順に並べているだけなので、キャピトル盤仕様の別ミックスは聴けません。解散のドサクサ紛れに、1970年だけで24作!も出した日本のレコード会社は、水増しアルバムを出していたキャピトルを批判する事など出来ませんよ。
(小島イコ)