ビートルズの米国でのシングルも解散した1970年まで進みましたので、日本でのリリースを振り返ります。1967年から1969年までは、基本的には米国同様に英国でのリリースに沿っているのでまとめて振り返り、驚愕のリリース・ラッシュとなる1970年は次回でまとめます。まずはシングルですが、1967年3月15日に32作目「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー / ペニー・レイン」が、同年8月5日には33作目「愛こそはすべて(ALL YOU NEED IS LOVE) / ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン」が、同年12月25日には34作目「ハロー・グッドバイ / アイ・アム・ザ・ウォルラス」が、1968年4月21日には35作目「レディ・マドンナ / ジ・インナー・ライト」が、同年9月14日には36作目「ヘイ・ジュード / レヴォリューション」が、それぞれ英国オリジナルに沿ってオデオンからモノラルのみでリリースしています。「ヘイ・ジュード / レヴォリューション」は、英国や米国ではアップルからのリリースでしたが、日本ではオデオンからとなっていました。
1969年3月10日には37作目「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ / マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS)」のアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」からのシングル・カットを、日本独自でリリースしていて、日本ではコレからアップル・レーベルとなりました。同年6月1日には38作目「ゲット・バック / ドント・レット・ミー・ダウン」が、同年7月10日には39作目「ジョンとヨーコのバラード(THE BALLAD OF JOHN AND YOKO) / オールド・ブラウン・シュー」が、同年11月21日には40作目「カム・トゥゲザー / サムシング」が、英国オリジナルに沿ってそれぞれアップルからリリースされています。1969年盤はステレオのみでのリリースです。ちなみに、日本では40作目となった「SOMETHING / COME TOGEHER」は、英国では21作目で米国ですら31作目だったので、如何に日本ではシングルが乱発されていたのかが分かります。リアルタイムの日本でビートルズに対して、どこにそんなニーズがあったのでしょうか。
EPは、1967年3月15日に12作目の「バッド・ボーイ」(「バッド・ボーイ」、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、「ペニー・レイン」、「グッド・デイ・サンシャイン」)と云う単純に当時リリースされたベスト盤やシングルからの曲を並べただけの訳が分からないカップリングを日本独自でステレオでリリースしていて、英国オリジナルに沿った2枚組の「マジカル・ミステリー・ツアー」もステレオのみで1968年3月10日に、それぞれオデオンからリリースしています。アルバムは、1967年2月5日にベスト盤「オールディーズ」をステレオのみで、同年7月5日に日本では11作目(英国では8作目)のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をステレオのみで、1968年12月5日には米国編集盤に沿った12作目のアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」をステレオのみで、それぞれオデオンからリリースしています。
1969年1月21日には、日本では13作目(英国では9作目)の2枚組アルバム「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」を、同年3月21日には日本では14作目(英国では10作目)のサントラ盤「イエロー・サブマリン」を、同年10月21日には日本では15作目(英国では11作目)のアルバム「アビイ・ロード」を、それぞれステレオのみでアップルからリリースしています。こうして見ると、日本ではシングルもEPもアルバムも英国オリジナルよりも実質的にビートルズが活動していた1969年までの段階で、圧倒的に多かったと分かります。特にシングルの40作は尋常ではありません。英国では1970年3月6日リリースの「LET IT BE / YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」が現役時代最後で22作目で、米国では1970年5月11日リリースの「THE LONG AND WINDING ROAD / FOR YOU BLUE」が33作目とかなり水増しされているものの、日本で1970年9月5日にリリースされたシングル「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード / フォー・ユー・ブルー」は、なな、なんと、43作目と英国盤の倍近くになっているのです。
(小島イコ)