英国では1968年11月22日にアップルからリリースされたアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」の段階で、ビートルズの4人はバラバラになっていた印象がありましたが、ポールはすぐさま「THE GET BACK SESSIONS」を提案して、翌1969年1月2日から中断も挟みつつも有名なルーフ・トップ(1月30日)を含み1月31日まで敢行しました。が、しかし、結局はシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」を1969年4月11日(英国)でリリースしただけしか成果を得られず、1969年5月にグリン・ジョンズがまとめたアルバム「GET BACK with Don't Let Me Down and 12 other songs」は却下されてしまいました。ビートルズは1969年2月から別のアルバムの制作を開始してしまい、サー・ジョージ・マーティンのプロデュースで、ジェフ・エメリックとフィル・マクドナルドをエンジニアで、まずはシングル「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO / OLD BROWN SHOE」を英国では1969年5月30日にリリースして、更にはプロに徹した名作アルバム「ABBEY ROAD」を英国では1969年9月26日にリリースして、全英18週連続首位!全米11週連続首位!と、まだまだビートルズは強し、と印象付けました。
が、しかし、1968年8月の「ホワイト・アルバム」レコーディング時にはリンゴが一時脱退し、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」ではジョージが一時脱退し、1969年9月20日には遂にジョンが脱退宣言をしたわけです。それでも契約の関係でジョンの脱退は極秘とされて、翌1970年4月10日にポールが脱退宣言をやらかして、ジョンに激怒されるのでした。ジョンはアルバム「ABBEY ROAD」を最後に一切ビートルズのレコーディングには参加していないのですが、そんな事は当時には詳らかにされていなかったので、かつてはポールによる脱退宣言でビートルズが解散したと誤解されていました。ソレは映画「LET IT BE」が公開されると、今度は「ジョンの横にいつもくっついているアノ東洋人女性は何なんだ?」となって、ヨーコさんが原因でビートルズが解散したなどとも云われました。ドキュメンタリー作品「GET BACK」では、ポールが「ヨーコのせいで解散したなんて云ったら、50年後にバカにされる」と冗談を云っているのですけれど、冗談ではなく、本当に1970年代にはそんな風に云われていたのです。
1970年3月6日(英国・22作目)、同年3月11日(米国・32作目)に、ビートルズのシングル「LET IT BE / YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」がアップルからリリースされました。全英2位・全米首位!となった「LET IT BE」のレコーディングは、1969年1月31日に「THE GET BACK SESSIONS」の最終日にアップル・スタジオで行ったテイクを元にしていて、つまりレコーディングしてから1年以上も経ってからリリースされているのです。此の1969年1月31日の「LET IT BE」(Take 27 a)は、初めて3番の歌詞が登場して、つづけて演奏された(take 27 b)(現在では、take 28 とされている)では歌詞の一部が違うので、ポールはビートルズとしては1回しか完全版を歌っていません。シングル・ヴァージョンはサー・ジョージ・マーティンのプロデュースで、1969年4月30日にジョージのリード・ギターをオーバーダビングして、1970年1月4日に更にジョン不在でオーバーダビングされていて、ジョンによる6弦ベースを消去してポールがベースを、ジョージがギターを、リンダ・マッカートニーがバッキング・ヴォーカルと、マーティンのスコアでオーケストラを、それぞれ加えられています。
つまり、シングル「LET IT BE」はジョンの陰が薄い様にリミックスされていて、フィル・スペクターがプロデュースしたアルバム・ヴァージョンの「LET IT BE」も元のテイクは同じで、ジョージによるリード・ギターやオーケストラのミックスが違っているだけです。ソノ分、B面の「YOU KNOW MY NAME(LOOK UP THE NUMBER)」はジョン色が濃い作品です。1967年5月17日と6月7日と8日にビートルズの4人でベーシック・トラックがレコーディングされていて、6月8日のセッションにはローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズが印象的なサックスで参加しています。それから2年近く放っておいて、1969年4月30日にジョンとポールの二人だけでヴォーカルなどをオーバーダビングして、1969年11月26日にジョンがシングル用の長さに編集して完成して、プラスティック・オノ・バンド名義でリリース直前までいったものの、ビートルズがレコーディングした楽曲を他の名義では発売させないと決まっていて断念して、結局シングル「LET IT BE」のB面になった楽曲です。故に、マトリックス・ナンバーはプラスティック・オノ・バンドのものが流用されています。ビートルズ現役時代最後のシングルですので、こんなふざけた曲で終わったバンドなんですよ。
(小島イコ)