米国盤シングルも1964年の終盤となったので、ビートルズが日本でデビューした1964年を振り返ってみましょう。ビートルズの日本でのデビュー・シングルは1964年2月5日に東芝音楽工業のオデオン・レーベルからリリースされた「抱きしめたい(I WANT TO HOLD YOUR HAND) / こいつ(THIS BOY)」です。ソレは、英国では5作目のシングルと同じ内容でした。そして、僅か5日後の2月10日に2作目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」(3月5日とも云われる)をリリースしていて、そちらは英国では2作目のシングルです。当初は「プリーズ・プリーズ・ミー」をデビュー・シングルとして考えていたところ、米国で「抱きしめたい」が大ヒットしたので順番が逆になったのだそうです。4月5日には、3作目のシングル「シー・ラヴズ・ユー / アイル・ゲット・ユー」(英国では4作目)をリリースしています。
更に、4月25日には、4作目のシングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ / ユー・キャント・ドゥ・ザット」(英国では6作目)と、5作目のシングル「フロム・ミー・トゥ・ユー / アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」(日本独自盤)と、6作目のシングル「ツイスト・アンド・シャウト / ロール・オーバー・ベートーヴェン」(日本独自盤)を3作同時にリリースしています。5月5日には、7作目のシングル「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット / サンキュー・ガール」(米国ヴィー・ジェイに沿った日本盤)と、8作目のシングル「オール・マイ・ラヴィング / ラヴ・ミー・ドゥ」(日本独自盤)を2作同時にリリースして、6月5日には、9作目のシングル「プリーズ・ミスター・ポストマン / マネー」(日本独自盤)をリリースしています。これらの日本盤シングルの発売日に関しては諸説ありますが、なるべく最新のデータを元にしています。
8月5日には10作目のシングル「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY'S NIGHT) / 今日の誓い(THINGS WE SAID TODAY)」(英国では7作目)をリリースして、9月5日には11作目のシングル「恋する二人(I SHOULD HAVE KNOWN BETTER) / ぼくが泣く(I'LL CRY INSTEAD)」(日本独自盤)を、10月5日には12作目のシングル「アンド・アイ・ラヴ・ハー / 恋におちたら(IF I FELL)」(米国キャピトルに沿った日本盤)を、10月15日には13作目のシングル「マッチボックス / スロー・ダウン」(米国キャピトルに沿った日本盤)をリリースしています。つまり、1964年だけで日本ではビートルズのシングルが13作も出たのです。英国では3作ですし、米国キャピトルですら5作(他社も含めれば9作)だったのに、オデオンだけで幾ら1962年と1963年リリース分も出したとは云え、13作は尋常ではありません。
更に、4曲入りのEP盤は、8月5日に「ツイスト・アンド・シャウト」(「ツイスト・アンド・シャウト」、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「抱きしめたい」、「シー・ラヴズ・ユー」)が、12月5日には「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」(「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」、「恋する二人」、「プリーズ・ミスター・ポストマン」、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」)も出ています。シングルが13作にEPが2作で、しかも4月15日にはデビュー・アルバム「ビートルズ!」が、6月15日には2作目のアルバム「ビートルズ No.2!」が、9月5日には3作目のアルバム「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」が出ています。オデオンからの正当なリリースだけで、シングルが13作、EPが2作、アルバムが3作で、1964年だけで合計18作もリリースされたのです。
日本デビュー・アルバム「ビートルズ!」は、A面が、1「抱きしめたい」、2「シー・ラヴズ・ユー」、3「フロム・ミー・トゥ・ユー」、4「ツイスト・アンド・シャウト」、5「ラヴ・ミー・ドゥ」、6「ベイビー・イッツ・ユー」、7「ドント・バザー・ミー」で、B面が、1「プリーズ・プリーズ・ミー」、2「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」、3「P.S. アイ・ラヴ・ユー」、4「リトル・チャイルド」、5「オール・マイ・ラヴィング」、6「ホールド・ミー・タイト」、7「プリーズ・ミスター・ポストマン」の全14曲入りで、英国でのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」と2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」とシングルのみの曲も加えた既発全36曲から高嶋弘之さんが選曲したもので、モノラル盤のみの発売でした。英国でのデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」から5作目のシングル「抱きしめたい」までのA面曲が全て収録されているので、初期のベスト盤とも云える選曲です。
日本2作目のアルバム「ビートルズ No.2!」は、A面が、1「キャント・バイ・ミー・ラヴ」、2「ドゥ・ユー・ウォント・ノウ・ア・シークレット」、3「サンキュー・ガール」、4「蜜の味(A TASTE OF HONEY)」、5「イット・ウォント・ビー・ロング」、6「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」、7「ゼアズ・ア・プレイス」で、B面が、1「ロール・オーバー・ベートーヴェン」、2「ミズリー」、3「ボーイズ」、4「デヴィル・イン・ハー・ハート」、5「ノット・ア・セカンド・タイム」、6「マネー」、7「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」の、全14曲入りで、こちらもモノラル盤のみのリリースです。最新曲だった「キャント・バイ・ミー・ラヴ」に、アルバム「ビートルズ!」から弾かれた英国での2作からの曲をこちらに回したので地味ですし、アルバムの墓場となるリンゴの歌が2曲も入っているのが難点です。2作共に価格は千五百円で現在の新品輸入盤CDとあまり変わらないので、物価を考慮すれば当時のレコードは今よりもずっと高価でした。
先達に訊くと、日本でのリアルタイムのビートルズ・ファンはクラスに一人か二人しかいなかったと皆さん応えるので、一体、何処にニーズがあってこんな無茶苦茶なリリースが敢行されていたのかは謎です。オデオンは9月5日に、サー・ジョージ・マーティンによるオーケストラのシングル「リンゴのテーマ(こいつ) / アンド・アイ・ラヴ・ハー」まで、リンゴの写真をジャケットにしてリリースしています。オデオンが評価出来るのは、アルバムの1作目「ビートルズ!」と2作目「ビートルズ No.2!」は独自に選曲したものの、3作目のアルバム「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(A HARD DAY'S NIGHT)」からは英国オリジナルに沿った内容に追いついているところでしょう。1作目と2作目に漏れた楽曲は、翌1965年5月5日に「ビートルズ No.5」としてリリースしています。アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」とアルバム「WITH THE BEATLES」から1作目と2作目から漏れた曲にシングルやEPからごった煮にして、ドイツ語ヴァージョンを2曲共入れたアルバム「ビートルズ No.5」は、現在では「珍品」で「珍盤」です。
さて、米国では大手キャピトルが動くまでは、ヴィー・ジェイやスワンやトリーからもリリースされていたビートルズの初期音源ですが、日本では最初からオデオンに統一されていたので、音質は兎も角として楽曲は問題なくビートルズによる演奏でした。しかし、便乗する奴らはいるものです。日本ではポリドール音源から1962年4月20日に「トニー・シェリダンと彼のビート・ブラザーズ」名義でシングル「マイ・ボニー・ツイスト / ザ・セインツ」がリリースされていて、現在では相当な高値になっているそうです。1964年のビートルズ日本デビューに便乗して、ポリドールは4月20日にシングル「マイ・ボニー / ザ・セインツ」を、6月1日にシングル「ホワイ / クライ・フォー・ア・シャドウ」を、7月1日にシングル「いい娘じゃないか(AIN'T SHE SWEET) / イフ・ユー・ラヴ・ミー・ベイビー」を、8月20日にはアルバム「ザ・ビートルズ・ファースト・アルバム」を、全て「ビートルズ」名義でリリースしています。確かにビートルズが関わってはいたし、ドイツや英国でも出ていたとは云え、もう詐欺みたいなもんですなあ。
(小島イコ)