
ビートルズの本国英国でのデビュー・シングルは「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」(両面ポール作)で、1962年10月5日にパーロフォンからリリースされています。しかし、其のデビュー・シングルは全英17位とそこそこ売れただけで、それもマネジャーのブライアン・エプスタインが自分が経営するレコード店で1万枚買ってチャートを操作したなどとも云われています。それでも翌1963年1月11日にリリースした2作目のシングル「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」(両面ジョン作)は全英2位(一部チャートでは首位!)の大ヒット曲となり、レコード会社は売れている内に売ってしまおうと、1963年2月11日に上記のシングル両面4曲以外の10曲を一日でレコーディングさせて、1963年3月22日にデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」をリリースしてしまったのです。アルバム「PLEASE PLEASE ME」として知られるデビュー・アルバムは、正式タイトルで分かる通り「シングルの寄せ集め」と云う当時のアルバム制作法で作られています。
ところが、コレが売れました。なんと30週連続で首位!となり、2位に落ちた週に代わって首位になったのが1963年11月22日にリリースされたビートルズの2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」で、そちらも21週連続首位!となって、つまりビートルズが51週連続首位!となり、1年間近く首位!だったわけですなあ。英国では1963年にビートルズの人気は爆発していて、シングルも1963年4月11日リリースの3作目「FROM ME TO YOU / THANK YOU GIRL」、1963年8月23日リリースの4作目「SHE LOVES YOU / I’LL GET YOU」、1963年11月29日リリースの5作目「I WANT TO HOLD YOUR HAND / THIS BOY」と、全てが首位!を獲得しましたが、同時期の2作目のアルバム「WITH THE BEATLES」にはシングルA面の「FROM ME TO YOU」も「SHE LOVES YOU」も「I WANT TO HOLD YOUR HAND」も、それらのB面曲すらも未収録となっています。つまり、既に「シングルとアルバムは別」と云う「ビートルズ流」が始まっています。基本的に英国のシングルは、モノラル盤のみでリリースされています。
そんな本国英国での大熱狂の中で、マネジャーのブライアン・エプスタインは何とかして米国へ進出する手を考えていました。何せ、英国と米国ではマーケットが全く違っていて、マーケットが広く売り上げも段違いに上である米国で売れてこそ世界的な成功となっていたからです。当然、エプスタインは大手の米国キャピトルへ話を持ってゆきますが全く相手にされず、仕方なく弱小レーベルであったヴィー・ジェイと契約して、1963年2月25日にシングル「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」がビートルズの米国でのデビュー・シングルとしてリリースされたのでした。英国ではアルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」が売れに売れていましたが、米国ではほとんど売れていません。ヴィー・ジェイは1963年7月22日にデビュー・アルバム「INTRODUCING THE BEATLES」をリリースしていて、ソレは英国でのデビュー・アルバム「PLEASE PLEASE ME with Love Me Do and 12 other songs」から既発シングルの「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」の2曲を抜いた全12曲入りでしたが、全く売れていません。
ジャケットも何やら「ビートルズらしくない」此のアルバム「INTRODUCING THE BEATLES」は、後に米国での人気が高まりつつあった1964年1月27日に「LOVE ME DO / P.S. I LOVE YOU」を抜いて「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」を加えた全12曲入りで再発売しています。そちらの第2版はキャピトル盤のシングル「I WANT TO HOLD YOUR HAND / I SAW HER STANDING THERE」とアルバム「MEET THE BEATLES!」が売れたのに便乗する事になり、全米2位まで上がっていますが、首位はキャピトル盤のアルバム「MEET THE BEATLES!」でした。そんな流れの中で日本でもオデオンから1964年4月15日にデビュー・アルバム「ビートルズ!」がリリースされるのですが、選曲は日本独自となっていて「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」「フロム・ミー・トゥ・ユー」の3連発で始まり「ラヴ・ミー・ドゥ」「プリーズ・プリーズ・ミー」と英国でのシングルA面5曲を全て収録して「ツイスト・アンド・シャウト」「オール・マイ・ラヴィング」と云った名カヴァーや名曲も入っていてなかなか良いものの、音はかなり酷いです。
米国でのデビュー・シングルはヴィー・ジェイ盤の「PLEASE PLEASE ME / ASK ME WHY」だったわけですが、キャピトルが相手にしなかった事で始まったビートルズの米国盤シングルは、後に大変な事となるのでした。米国でのシングルも、基本的にはモノラル盤でのリリースなのですが、ヴィー・ジェイは1964年1月30日にB面を変えて「PLEASE PLEASE ME / FROM ME TO YOU」でキャピトル盤に便乗して再発していて、ソレは後に意味がある事となります。さて、本日6月20日はブライアン・ウィルソンの82歳のお誕生日です。おめでとうございます。ビートルズが米国にやって来る前は、ビーチ・ボーイズの一人勝ち状態だったと云われていて、ヒット曲を量産していました。ビートルズの真のライバルは、ローリング・ストーンズではなく、ビーチ・ボーイズだったと現在では認識されている様です。でもですね、米国でのレーベルはビートルズもビーチ・ボーイズも同じキャピトルだったのですよ。ソレで、両バンドを競わせて売り上げを伸ばしていたんじゃないでしょうか。
ところでビートルズの現役時代のシングルは英国では22作ですが、最初のうちは他社からリリースされていた米国では33作と11作も多いのです。ところが、もっとも滅茶苦茶だったのは日本で、なんと、現役時代だけで43作も連発していたのです。英国盤の倍近く、米国盤よりも10作も多いって、一体何だったのでしょうか。ビートルズの日本での現役時代は僅か6年だったのに、多過ぎませんかねえ。解散後も含めると昨年(2023年)リリースのビートルズ最後の新曲「NOW AND THEN」までで、本国英国では29作で、米国では41作で、日本では52作となっているのです。日本にビートルズ・ファンって、そんなに沢山いたんでしょうか。英国の場合は4曲入りのEPが出ていて、現役時代には13作(「MAGICAL MYSTERY TOUR」も含む)がリリースされてアルバムを買えないファンの受け皿となっていました。米国にはEPで聴く習慣がなかったのか、3作しか出ていません。ところが、日本では独自に12作も出していて、リアルタイムでEP仕様の「MAGICAL MYSTERY TOUR」も出して、解散した1970年には英国盤EP12作を発売して、合計25作ものEPを出し捲ったのです。だから、日本にそんなに多くのビートルズ・ファンがいるのでしょうか。
(小島イコ)