2000年代となっても、ポール・マッカートニーの創作意欲は枯れるどころか、前にも増して上向いてゆきます。しかし、2001年11月29日にはジョージ・ハリスンが闘病の末に亡くなり、ジョン・レノンとリンダ・マッカートニーに続いて、ポールは大切な人を失いました。エリック・クラプトンが音頭を取って行われた一周忌の2002年11月29日にロイヤル・アルバート・ホールにて行われた追悼コンサート「CONCERT FOR GEORGE」には、ポールもリンゴ・スターも参加していて、何故かリンゴは持ち歌(ジョージとの共作大ヒット曲「PHOTOGRAPH」と、ビートルズ時代にカヴァーしたカール・パーキンス作「HONEY DON'T」)を披露しましたが、ポールは「FOR YOU BLUE」や「SOMETHING」や「ALL THINGS MUST PASS」や「WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS」と云ったジョージが書いた名曲を、エリック・クラプトンたちと演奏しました。特に「SOMETHING」は、2002年のツアーからポールのライヴの定番曲となり、初めの内は全編をジョージからプレゼントされたウクレレの弾き語りで披露していたのですが、後に最初はウクレレの弾き語りで間奏からオリジナルのビートルズ・ヴァージョンに忠実なバンド演奏となって盛り上がるアレンジになっています。
2001年にリリースしたアルバム「DRIVING RAIN」はコケたものの、続いて行ったツアーは大盛況で、2002年11月には9年ぶりでソロでは3度目の来日公演も行ってくれました。当時のポールは還暦を迎えていたので、日本のメディアは「最後の来日公演になるだろう」などと書き立てていたのですけれど、結果から云えばソレは大きな間違いとなります。其の後にポールは、2013年、2014年(中止)、2015年、2017年、2018年と5度も来日して、急病でキャンセルした2014年以外の4度は来日公演を行っています。2002年と2003年にはライヴ盤をリリースしていて、ソレは米国向け「BACK IN THE U.S. LIVE 2002」(全米8位)と英国・欧州向け「BACK IN THE WORLD」(全英5位)なんですけれど、内容は前者から3曲抜いて後者に4曲加えた7曲しか違いがない2枚組CDだったし、後者はCCCD仕様も出ていて、両方買うあたくしも含めた日本人ファンには些か不評でした。2002年には後に莫大な慰謝料をふんだくられる事となる悪妻・ヘザー・ミルズと再婚して、翌2003年にはポールが還暦過ぎて娘・ベアトリスが誕生して、2004年にはアニメ映画の主題歌「TROPIC ISLAND HUM / WE ALL STAND TOGETHER」をリリースしています。
2005年6月6日には「TWIN FREAKS」名義でシングル「REALLY LOVE YOU / LALULA」をMPL/Grazeから、同年6月13日にはアルバム「TWIN FREAKS」をMPL/パーロフォンからアナログ盤EP2枚組とダウンロード限定でリリースしていて、コレはポールとフリーランス・ヘルレイザー(ロイ・カー)によるユニットで、「THE FIREMAN」の様なアンビエント・ハウスではなく、楽曲を解体してリミックスしてはいますが、元ネタが分かるので楽しめます。そして同2005年9月12日に、ポールのソロでは13作目(ポール&リンダ、ウイングスも含めた21作目)のスタジオ・アルバム「CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD(ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード〜裏庭の混沌と創造)」を、MPL/パーロフォン(英国)・MPL/キャピトル(米国)からリリースしました。前作スタジオ・アルバム「DRIVING RAIN」から4年ぶりのオリジナル・ソロ・アルバムですが、前述の通りライヴ盤や変名リミックス盤などが出ていたし、2003年にはビートルズのリミックス盤「LET IT BE ... NAKED」が、2004年にはビートルズの「THE CAPITOL ALBUMS VOL.1」(共に日本盤はCCCDだった)もあったので、それ程に久しぶりと云う感じはなかったのです。と申しますか、ビートルズのリイシュー盤が出た2003年と2004年には、例によってポールの新作ソロ・アルバムは出せなかったのでしょう。
ポールはプロデュースをサー・ジョージ・マーティンに依頼したのですが、マーティンは既に聴覚が衰えていて引退を表明していたので辞退して、代わりにレディオヘッドやベックなどを手掛けたナイジェル・ゴッドリッチを推薦しました。此の辺の時代に敏感なところは、流石はサー・ジョージ・マーティンです。内容は、1「FINE LINE」、2「HOW KIND OF YOU」、3「JENNY WREN」、4「AT THE MERCY」、5「FRIENDS TO GO」、6「ENGLISH TEA」、7「TOO MUCH RAIN」、8「A CERTAIN SOFTNESS」、9「RIDING TO VANITY FAIR」、10「FOLLOW ME」、11「PROMICE TO YOU GIRL」、12「THIS NEVER HAPPEND BEFORE」、13「ANYWAY」の、全13曲入りで、シークレット・トラックで、14「I'VE ONLY GOT TWO HANDS」が、日本盤にはボーナス・トラックとして、14「SHE IS SO BEAUTIFUL」が収録された全14曲入りです。ところが、DVDも付いている日本盤はCCCDだったのです。ビートルズやポールのファンはちゃんとお金を出して買うのに、欠陥商品であるCCCDで出されたので怒り大爆発だったと記憶しています。ポールは此のアルバムをツアー・バンドで演奏する心算が、ナイジェル・ゴッドリッチの勧めでほとんどの楽曲を「ワンマン・レコーディング」しています。
故に、当時は此のアルバムを「McCARTNEY V」だと捉えるファンも多く、ポールのアルバムとしては珍しく密室的で隙がない出来栄えとなっています。アルバムは全英10位・全米6位とヒットしている(前作オリジナル・アルバム「DRIVING RAIN」は全英46位・全米26位だった)ので、ひとまず、ポールとナイジェル・ゴッドリッチのコンビネーションは、例えレコーディング中は衝突ばかりだったとは云え、成功したと云えるでしょう。順番は逆になりますが、此のアルバムからは2005年8月29日に先行シングルとしてアルバム1曲目の「FINE LINE」がリリースされています。ピアノを中心にした此の「ビートリー」な楽曲は、ポール・マッカートニー(ヴォーカル、グランドピアノ、スピネットピアノ、ベース、エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、ドラムス、シェイカー、タンバリン)、ミレニア・アンサンブル(ストリングス)による演奏で、つまりストリングス以外は全てポールがひとりで多重録音しています。シングルとしても全英20位と、そこそこヒットしています。7インチB面はアルバム未収録の「GROWING UP FALLING DOWN」で、CDシングルにカップリングされた「COMFORT OF LOVE」もアルバム未収録曲で、それら3曲入りのCDシングルも出ています。が、しかし、コレマタCCCDなんですよ。「THE 7‘’ SINGLES BOX」では63枚目で、ヨーロッパ盤のピクチャー・スリーヴで復刻されています。
(小島イコ)