2001年11月12日にリリースしたアルバム「DRIVING RAIN」(全英46位・全米26位)が、シングル・カットした「FROM A LOVER TO A FRIEND」(全英45位)と「FREEDOM」(全米97位)共々大爆死したポール・マッカートニーですが、「9・11」の同時多発テロに対する反応は早く、自ら声をかけてチャリティー・コンサートを実施して、大きく株を上げました。それなのにシングル「FREEDOM」やソレを急遽収録したアルバム「DRIVING RAIN」が鳴かず飛ばずだったのは、単純に「FREEDOM」と云う楽曲の出来が悪かったからでしょう。「THE 7‘’ SINGLES BOX」にはシングル「FREEDOM」は収録されていませんが、ポールも志は兎も角、楽曲としては「なかった事」にしたいのかもしれません。エリック・クラプトンがギターで参加しているのにコレでは、困ったちゃんなのです。2016年にポールが選曲したベスト盤「PURE McCARTNEY」には、全67曲入りなのに、アルバム「DRIVING RAIN」からは1曲も選んでいません。ちなみにベスト盤「PURE McCARTNEY」に1曲も選ばれていないスタジオ・アルバムは、1988年の「CHOBA B CCCP」と、1989年の「FLOWERS IN THE DIRT」と、1999年の「RUN DEVIL RUN」と、2001年の「DRIVING RAIN」の4作のみで、カヴァー中心の2作を除けば「FLOWERS IN THE DIRT」と「DRIVING RAIN」だけなのです。エルヴィス・コステロ大好きな評論家は、困ったちゃんですね。
しかし、ポールはアルバム「DRIVING RAIN」に参加したギターのラスティ・アンダーソンとドラムスのエイブラハム・ラボリエルJr.の二人に、レコーディングには不参加だったギターとベースのブライアン・レイ、そしてお馴染みのキーボードのポール'ウィックス’ウィッケンズでのツアー・バンドを結成して、2002年から其のメンバーで2024年の現在までツアーを行っています。つまりは、現在のポールのツアー・バンドは、もう20年以上も同じメンバーで続いているわけです。コレはメンバーがコロコロと変わり続けてアルバムを同一メンバーでは1枚ずつしか作れなかった1970年代のウイングスは勿論、1960年代を席巻したビートルズよりもずっとずっと長く続いているのです。まあ、しかし、ソレはバンドがツアー・バンドに徹しているからであって、ポールの新作ソロ・アルバムではツアー・バンドをバックにした音源もあるものの、ポールが多重録音した音源も多くなり、つまりはツアーと新作アルバムは別物と考える様になったからです。故に、新作アルバムではウイングス時代の様にポール以外のメンバーに歌わせるなんて愚挙を繰り返してはいません。現在のポールのツアー・バンドは、ビートルズやウイングスやポールのソロの楽曲を、オリジナル・レコーディングに忠実に再現する為に存在していると云ってもよろしいでしょう。
特にポール'ウィックス’ウィッケンズは1989年のツアー・バンドからの付き合いですから、30年以上もポールと組んでいて、オリジナルでのオーケストラ・パートなどもキーボードで完璧に再現していますし、そもそもビートルズのアルバム「ABBEY ROAD」のメドレーをリハーサルで演奏したのは彼の発案だったそうです。ソレで聴いていたエンジニアが仕事を忘れて感動のあまり号泣して、セットリストに加わったのです。楽曲「FREEDOM」に関して云えば、2002年から2003年にかけてのワールド・ツアーでは初めの内は披露していたのですが、2002年11月の9年ぶり3度目の来日公演では既にセットリストから外されていましたし、後述する2種のライヴ盤では差し替えられています。ソノ来日公演ですけれど、あたくしは2002年11月11日の東京ドーム公演を奇跡的に「アリーナ最前列」で観ています。東京ドームでは様々なミュージシャンのライヴやプロレスの興行も観ていますが、ビジョンを観ないで肉眼だけで観たのはソノ時だけです。東京ドームだとアリーナ最前列でもステージから結構な距離があるのですが、普通に肉眼でポールの表情やギターやベースを弾く指の動きまで確認出来たので、冷静な判断など不可能なライヴでした。
そう云えば、1995年に東京ドームで「夢の懸け橋〜憧夢春爛漫」を観戦したのですけれど、各団体が自分達の団体内のマッチメイクを提供するオールスター戦で、セミファイナルの全日本プロレスによる試合だけスタンド席から「肉眼で何をやっているのか見えた」ので「全日の選手ってデカイ」と思ったものです。さて、ポールですけれど、2002年11月11日にはMPL/キャピトルから「BACK IN THE U.S. LIVE 2002」をリリースして全米8位と大ヒットさせていて、2003年3月17日にはMPL/パーロフォンから「BACK IN THE WORLD」をリリースして全英5位と大ヒットさせています。が、しかし、此のそれぞれCD2枚組のライヴ盤は、内容がほとんど同じなのです。「BACK IN THE U.S. LIVE 2002」から3曲カットして4曲加えたのが「BACK IN THE WORLD」で、要するに米国向けと英国向けで出し直しているのですけれど、ファンは両方買うので、たったの7曲しか違わないのですよ。ポールらしくないやり方ですけれど、そもそもがキャピトル盤とパーロフォン盤で別にリリースしていて、ポールとしては少し変えてみた、と云うサービスだったのかもしれません。
そんな中でポールは、2002年6月には悪妻・ヘザー・ミルズと、娘たちの「財産目当てだ」と云う真っ当な反対を押し切って再婚してしまいました。ツアーは2003年6月で一旦は終了させ、2003年10月28日にはヘザー・ミルズとの娘・ベアトリスが誕生します。2004年5月から6月には欧州ツアーも行いますが、2004年9月20日に、ポールはシングル「TROPIC ISLAND HUM」をMPL/パーロフォンからリリースしています。MPLが制作したアニメをまとめたDVDに収録された「WIRRAL THE SQYIRREL」からの「TROPIC ISLAND HUM」がA面で、B面は1980年にレコーディングして1984年にリリースした「WE ALL STAND TOGETHER」です。B面はダブっているので「THE 7‘’ SINGLES」配信音源からはカットされています。A面の「TROPIC ISLAND HUM」は初出音源ですが、レコーディングは1987年でオーバーダビングは1994年の蔵出しです。7インチもCDシングルも2曲入りで、英国で21位まで上がっています。「THE 7‘’ SINGLES BOX」では62枚目で、ヨーロッパ盤のピクチャー・スリーヴで復刻されています。
(小島イコ)