1月に来日して成田税関で大麻不法所持の現行犯逮捕から9日間拘留後に国外退去で始まった1980年のポール・マッカートニーは、英国での流れだと、4月にソロ・シングル「COMING UP」を、5月にソロ・アルバム「McCARTNEY U」を、6月にシングル・カットの「WATERFALLS」を、9月に12インチ・シングル「TEMPORARY SECRETARY」を、それぞれ単独名義でリリースしています。しかしながら、ポールは「第7期ウイングス」を諦めてはおらず、7月にはリンゴ・スターのソロ・アルバム用のレコーディングに「第7期ウイングス」のリード・ギタリストであるローレンス・ジューバーを参加させて、8月にはデニー・レインと次作アルバム用のデモをレコーディングして、10月には「第7期ウイングス」でのリハーサルを行っています。此のリハーサルが行われたのは、1980年10月30日で、翌日の10月31日と11月3日には、サー・ジョージ・マーティンのプロデュースで、アニメ映画用の「WE ALL STAND TOGETHER」のレコーディング(リリースは1984年)をポールのソロ名義で行います。
1973年リリースのシングルで映画主題歌「007 死ぬのは奴らだ(LIVE AND LET DIE)」以来、8年ぶりとなったサー・ジョージ・マーティンとのタッグに好感触を得たポールは、引き続きアルバムのプロデュースを依頼するのですが、サー・ジョージ・マーティンからの返答は「ポールのソロ・アルバムならば受けるが、ウイングスのアルバムだったら断る」と云う単純明快なもので、しかも「君(ポール)は、何故いつも自分よりも下手な連中とばかりレコーディングしているんだ?もっと上手いミュージシャンとやらなきゃダメだろう」とまで云い放ったのでした。其の辺が、ビートルズのメジャー・デビュー当時から関わっていて師匠でもあったサー・ジョージ・マーティンだから云える事で、1979年リリースのウイングスのアルバム「BACK TO THE EGG」で組んだ弟子のクリス・トーマスには云えない提言だったわけですなあ。と云うか、もうソレは「デニー・レインと組んでいたんじゃ、ダメだろう」と云ったのと変わらないわけで、当然、デニー・レインの耳にも入ったのでしょうなあ。
それでもポールは、1980年12月にはデニー・レインと共作した「RAINCLOUDS」のレコーディングを行っていて、そんな時にジョン・レノンが射殺されると云う大事件が起こってしまうのです。ビートルズ時代は勿論、ソロやウイングスになっても常にポールはジョンを意識してレコードを作っていたわけで、其の唯一無二の相棒を失った衝撃は、ファンたちにも計り知れない大きなものだったでしょう。そして、ジョンの死によってポールはサー・ジョージ・マーティンの意見を取り入れて、次作アルバムはソロ・アルバムにする事を決意しました。そんな経緯で1982年4月5日に英国(パーロフォン)・米国(コロムビア)でリリースされたのが、ポールの単独名義では3作目のアルバム「TUG OF WAR」です。ビートルズ同様に、サー・ジョージ・マーティンがプロデュースして、ジェフ・エメリックがエンジニアを務め、ポールが作詞作曲して演奏して歌った此のアルバムは、それまでのソロ・アルバムが宅録だったのとは違い、盟友リンゴ・スターも含む豪華なミュージシャンと共演した大傑作(全英首位!全米首位!)となったのです。
其のアルバムからの先行シングルとして、1982年3月29日にリリースされたのが「EBONY AND IVORY / RAINCLOUDS」です。A面の「EBONY AND IVORY」はポールの単独作なのですが、元々スティーヴィー・ワンダーに当て書きしていて、レコーディングは、ポール・マッカートニー(ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、ベース、ギター、ピアノ、シンセサイザー、パーカッション、ヴォコーダー)、スティーヴィー・ワンダー(ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、エレクトリック・ピアノ、シンセサイザー、パーカッション、リンドラム、ドラムス)と、ポールとスティーヴィーの二人だけで行われています。此のシングルは12インチ・シングルも出ていて、そちらにはポールがソロで歌っているヴァージョンも収録されています。黒人と白人を鍵盤楽器の黒鍵と白鍵に例えて世界平和を歌う「甘過ぎる」楽曲ですが、ポールは真剣そのものでそう云う楽曲を書いて、スティーヴィー・ワンダーとデュエットして、全英首位!全米首位!と大ヒットさせました。またしても、ポールの単独名義ではない「全米首位!」です。
ポールがこう云う大きなテーマの楽曲をリリースしたのは、当然ながら「ジョンの死」があったからで、永遠にジョンを失ったポールは此処から「ジョンに代わるパートナー」(ズバリ云って、そんな人はいない)を追い求めてゆく事となります。アルバム「TUG OF WAR」は1980年12月から翌1981年12月までの長期に渡ってレコーディングされていて、此のスティーヴィー・ワンダーとの共演曲は1981年2月28日にモントセラト島のエアー・スタジオ(サー・ジョージ・マーティンのスタジオ)で行われています。レコーディングは前述の通りポールとスティーヴィーの二人だけで行われているものの、二人が共演しているミュージック・ヴィデオはスケジュールが合わなかったので二人を別々に撮影して合成しています。エアー・スタジオでのレコーディングにはデニー・レインも同行したのですが、ウイングスへの興味を失ってしまったポールと対立して英国へ帰ってしまい、1981年4月27日にデニー・レインが脱退宣言をして、ウイングスは自然消滅しました。
ウイングスとしての最後のレコーディングは、1981年1月に行われていて、ソレは未だにアルバムとしては未発表の未発表曲集「COLD CUTS」へのオーバーダビングだったと「元・第7期ウイングス」のローレンス・ジューバーが語っています。此のシングルのB面は、前述のポールとデニー・レインの共作「RAINCLOUDS」で、レコーディングは、ポールが、ヴォーカル、バッキング・ヴォーカル、スパニッシュ・ギター、ベース、ドラムスと、ほとんどワンマンで、リンダとデニー・レインと10ccのエリック・スチュワートがバッキング・ヴォーカルで、チーフタンズのパディ・モローニがイリアン・パイプスで参加しています。「EBONY AND IVORY」はアルバム「TUG OF WAR」の最後に収録されていて、「RAINCLOUDS」はアルバム未収録曲で、アルバム「TUG OF WAR」は其の後のリイシュー盤ではボーナス・トラックを入れていなかったので、「RAINCLOUDS」と「EBONY AND IVORY」のソロ・ヴァージョンは2015年リリースの「アーカイヴ・コレクション」で初CD化されました。「THE 7‘’ SINGLES BOX」では33枚目で、英国盤のピクチャー・スリーヴで復刻されています。
さてさて、2024年現在のポールですが、記憶も新しい2月2日にアルバム「BAND ON THE RUN」の50周年記念盤をリリースしたばかりなのに、6月14日にアノ「ONE HAND CLAPPING」をCD2枚組でリリースするそうです。「ONE HAND CLAPPING」は、1974年8月に撮影録音されたもので、ポール・マッカートニー(ヴォーカル、ベース、ピアノ、エレクトリック・ピアノ、ハモンド・オルガン、チェレスタ、ハーモニウム、アコースティック・ギター)、リンダ・マッカートニー(モーグ・シンセサイザー、エレクトリック・ピアノ、メロトロン、タンバリン、バッキング・ヴォーカル)、デニー・レイン(ヴォーカル、エレキ・ギター、アコースティック・ギター)、ジミー・マカロック(エレキ・ギター、バッキング・ヴォーカル)、ジェフ・ブリトン(ドラムス)の「第4期ウイングス」としては唯一のスタジオ・ライヴ音源です。2010年のアルバム「BAND ON THE RUN」の「アーカイヴ・コレクション」で不完全なリリースはありましたが、全編となると初の公式盤となるでしょう。しかし、ポールが慌てて年の前半に2作もリリースを敢行するのは、5月8日から映画「LET IT BE」が配信されるし、後半にはビートルズが予定されているんでしょうなあ。
(小島イコ)