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2024年04月28日

「ポールの道」#354「THE 7‘’ SINGLES BOX」#30「COMING UP / COMING UP(LIVE IN GLASGOW) / LUNCH BOX / ODD SOX」

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1980年1月に、確かに来日はしたポール・マッカートニーが率いる「第7期ウイングス」ですが、ポールが成田税関で大麻不法所持の現行犯で逮捕され、9日間拘留されて国外退去された為に、来日公演は全て中止となり、ウイングスの其の後のツアー予定も白紙にされました。暇になったポールは、謹慎生活を装い自宅に籠り、前年1979年に遊び半分でワンマン・レコーディングしていた音源を、当初は2枚組でリリースする事を考えて、ソレが例によってレコード会社から反対されて、1980年5月16日に10年ぶり2作目のソロ・アルバム「McCARTNEY U」として、パーロフォン(英国)・コロムビア(米国)からリリースされるのです。ポールは、まずは先行シングルとして、1980年4月11日に「COMING UP / COMING UP(LIVE IN GLASGOW) / LUNCH BOX / ODD SOX」をリリースして、結果的に英国では2位、米国では首位!の大ヒット曲となります。しかしながら、英国で売れたのはポールのソロでしたが、米国で首位になったのは1979年の「第7期ウイングス」によるライヴ・ヴァージョンでした。

シングルA面の「COMING UP」のレコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー(リード・ヴォーカル、キーボード、ギター、ベース、ドラムス)、リンダ・マッカートニー(バッキング・ヴォーカル)で、リンダのバッキング・ヴォーカル以外は全てポールがひとりで演奏して歌っています。ソレが米国ではA面扱いだったライヴ音源では、ウイングスの1979年12月17日のグラスゴー公演での録音で、ポール・マッカートニー(リード・ヴォーカル、ベース)、リンダ・マッカートニー(キーボード、ヴォーカル)、デニー・レイン(ギター、ヴォーカル)、ローレンス・ジューバー(ギター)、スティーブ・ホーリー(ドラムス)、の「第7期ウイングス」に、トニー・ドージー(トロンボーン)、サディアス・リチャード(サクソフォーン)、ハウイー・ケイシー(サクソフォーン)、スティーブ・ハワード(トランペット)の4人がホーン・セクションで加わっている「第7.5期ウイングス」となっております。故に、其の後のベスト盤では、米国盤ではライヴ音源が収録されています。作詞作曲は、ポールの単独名義です。

更にB面にはポール&リンダ作のインストゥルメンタル曲「LUNCH BOX / ODD SOX」も収録されているのですが、こちらは1975年2月にアルバム「VENUS AND MARS」用にレコーディングしたアウトテイクで、レコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー(ピアノ)、リンダ・マッカートニー(モーグ・シンセサイザー)、デニー・レイン(ギター)、ジェフ・ブリトン(ドラムス)の「第4期ウイングス」(ジミー・マカロックは不参加)に、トニー・ドーシーがベースで参加した変則的な編成です。つまり、此のシングルには「ポールのソロ」と「第7.5期ウイングス」と「第4期ウイングス」が混在していると云う、如何にもタコにも「ウイングス」らしい滅茶苦茶なメンバー構成となっております。「COMING UP」は、ポールがひとりで10役も演じた「ザ・プラスティック・マックス」によるミュージック・ヴィデオも人気で、ジョン・レノンは此の楽曲を聴いて復活を決意したと云われています。但し、ジョンが気に入ったのはウイングスによるライヴ音源の方でした。

1979年11月から12月にかけて最初で最後の全英ツアーを行った「第7.5期ウイングス」は、1979年12月29日に「カンボジア難民救済コンサート」に出演しています。12月26日から29日までハマースミス・オデオンで行われた此のイヴェントは、ポールが国連のワイトハルム事務総長の依頼で行ったもので、フー、クイーン、クラッシュ、エルヴィス・コステロ、プリテンダーズ、などが出演していて、ポールは「第7.5ウイングス」として「GOT TO GET YOU INTO MY LIFE」、「EVERY NIGHT」、「I'VE HAD ENOUGH」、「HOT AS SUN」、「TWENTY FLIGHT ROCK」、「COMING UP」を演奏して、トリは「ロケストラ」として、「LUCILLE」、「LET IT BE」、「ROCKESTRA THEME」を演奏しています。英国の有名ミュージシャンたちに、ポールが声をかけて実現したコンサートで、最後に「ロケストラ」を再集結して演奏したので、ポールの気持ちとしてはソコで一区切りだったでしょうし、翌1980年1月の来日公演には乗り気ではなかったとも考えられます。

ミュージック・ヴィデオでの「ザ・プラスティック・マックス」と云うバンド名は、無論、ジョンが1968年12月にローリング・ストーンズがメインのTV番組「ロックンロール・サーカス」でエリック・クラプトン(ギター)とキース・リチャーズ(ベース!)とミッチ・ミッチェル(ドラムス)とのスーパー・バンド「ザ・ダーティー・マック」と、其の後にジョンがメンバーを流動的にした「プラスティック・オノ・バンド」を意識したものです。ポールにとっては7曲目の全米首位獲得曲となりましたが、ポール&リンダ・マッカートニー名義の「UNCLE ALBERT / ADMIRAL HALSEY」、ポール・マッカートニー&ウイングス名義の「MY LOVE」と「BAND ON THE RUN」、ウイングス名義の「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」と「SILLY LOVE SONGS」と「WITH A LITTLE LUCK」ときて、コレもウイングス・ヴァージョン(ポール・マッカートニー&ウイングス名義)だったので、ポールのソロ名義では1曲もないのです。「THE 7‘’ SINGLES BOX」には30枚目で、英国盤のピクチャー・スリーヴで復刻されています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする