ポール・マッカートニーが率いるウイングスは、1977年2月から1978年1月にかけての1年間もレコーディングしたアルバム「LONDON TOWN」を、1978年3月31日にパーロフォン(英国)・キャピトル(米国)からリリースしました。しかし、レコーディング途中でリード・ギタリストのジミー・マカロックとドラマーのジョー・イングリッシュが脱退してしまい、ポール&リンダとデニー・レインの3人だけとなり、リンダも産休で抜けたので、最終的にはポールとデニー・レインの二人でまとめられています。つまり、アルバム「LONDON TOWN」には、5人組だった「第5期ウイングス」と、3人に戻った「第6期ウイングス」と、二人だけになった「第6.5期ウイングス」が混在しています。メンバーに脱退されて3人になる過程は、アルバム「BAND ON THE RUN」と同じですが、アレは全てが3人だけの「第3期ウイングス」による演奏だったので、それ故にまとまりがあったのですが、こちらは5人組だった時のレコーディング曲も収録されているので、まとまりが感じられません。
それでもポールは先行シングルでアルバム未収録の「MULL OF KINTYRE(夢の旅人)」を英国で大ヒットさせて、アルバムからの第1弾シングル「WITH A LITTLE LUCK(しあわせの予感)」を全米首位!と、追い込まれた時の底力で大ヒットさせました。が、しかし、第2弾シングル・カット「I'VE HAD ENOUGH(別れの時)」は全英42位・全米25位と低迷します。それでも懲りないポールは、1978年8月11日(英国)・同年8月26日(米国)に、第3弾シングル・カットの「LONDON TOWN(たそがれのロンドン・タウン) / I'M CARRYING(アイム・キャリング)」をリリースしてしまいました。アルバムのタイトル曲でA面1曲目だった「LONDON TOWN」は、全英60位・全米39位と云う壊滅的な成績で、たった2年前にはワールド・ツアーを大成功させたバンドとは思えない状況となってしまいました。「LONDON TOWN」はポールとデニー・レインの共作と云う事になっていて、穏やかな曲調でアルバムの1曲目としては良くとも、シングル・カットには向いていません。
3人組になってからのレコーディング曲だった「LONDON TOWN」のプロモーション・フィルムには、ポール&リンダとデニー・レインの3人以外に、ビートルズの映画「A HARD DAY'S NIGHT」と「HELP!」と「MAGICAL MYSTERY TOUR」にも出演している俳優のヴィクター・スピネッティも出演しています。B面の「I'M CARRYING」は、アルバム「LONDON TOWN」ではA面3曲目に収録されていて、ポールの単独作で美しいアコースティックな佳曲です。こちらは5人組だった船上レコーディング曲で、アルバムは全13曲(メドレーを分けると全14曲)中7曲と、半数が船上レコーディング曲なので、ポールは船上レコーディングを気に入っていたし、其の後のロンドン・レコーディングも当然5人組の「第5期ウイングス」で行う心算だったのでしょう。それにしたってウイングスはメンバー・チェンジが多過ぎで、ポールって人望がないのでしょうか。だったらデニー・レインは、何故にずっとくっついていたのでしょうか。「THE 7‘’ SINGLES BOX」には24枚目で、オランダ盤のピクチャー・スリーヴで復刻されています。
(小島イコ)