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2024年04月10日

「ポールの道」#246「THE 7‘’ SINGLES BOX」#12「BAND ON THE RUN / NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」



1973年12月にリリースしたポール・マッカートニー&ウイングスの3作目のアルバム「BAND ON THE RUN」からは、レコード会社の要請でシングル・カットする事になって、1974年になって先ずは1月(米国)・2月(英国)・3月(日本)に「JET」をシングル・カットして、英米共に7位の大ヒット曲となりました。特に米国キャピトルは「リード・シングルありき」で、ビートルズ時代から「シングル曲をアルバムにも収録して、アルバムからもシングル・カットする」のが当たり前でした。ソレはビートルズやソロになったビートル4人だけではなく、ビーチ・ボーイズなどの他のバンドでもそうやっていたのです。ソレで、シングル「JET」も売れたので、1974年4月8日(米国)・同年6月28日(英国)・同年7月10日(日本)になって、アルバムのタイトル曲である「BAND ON THE RUN」をシングル・カットしてアップルからリリースしたのです。アルバムが発売されてから、米国では4か月後、英国や日本では約半年後にシングル・カットされた「BAND ON THE RUN」は、全英3位、全米首位!の特大ヒット曲となりました。

米国や日本でのB面曲は「NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE(西暦1985年)」で、英国ではアルバム未収録曲「ZOO GANG」でしたが、「THE 7‘’ SINGLES BOX」には米国や日本などと同じドイツ盤で「BAND ON THE RUN / NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」が、12枚目としてポール&リンダとデニー・レインでの「第3期ウイングス」のピクチャー・スリーヴ入りで復刻されています。つまり、此のシングル・カットは、アルバムのA面冒頭曲とアルバムのB面最終曲のカップリングなのです。間の7曲を抜いて、アルバムの最も美味しいところをつまみ食いしたかの様なカップリングは、如何にも米国キャピトルが考えそうな事です。前述の通り、英国ではB面は「ZOO GANG」だったので、そちらがポールとしては「既にアルバムを買ったファンへのサービス」を考えてのシングルだったのでしょう。まあ、アルバム最終曲である「NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」のエンディングには、最後の最後で「BAND ON THE RUN」が再登場するので、完璧な「B面曲」とも云えます。

レコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー(ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムス、ピアノ、プロデュース)、リンダ・マッカートニー(バッキング・ヴォーカル、キーボード)、デニー・レイン(バッキング・ヴォーカル、ギター)の「第3期ウイングス」の3人に、トニー・ヴィスコンティ(オーケストレーション)、ジェフ・エメリック(プロデュース、エンジニア)です。A面の「BAND ON THE RUN」は、3部構成となっていて、1部と2部がラゴスで、3部をロンドンでレコーディングして繋いでいます。今年(2024年)にリリースされたアルバム「BAND ON THE RUN」の50周年記念盤に収録されているラフミックスは、トニー・ヴィスコンティによるオーケストラ抜きのヴァージョンなので「ツギハギ」感がありますが、「JET」同様に完成品ではソレを感じさせません。こうした組曲風の楽曲はポールの得意技のひとつですが、元々はビートルズ時代のジョン・レノン作の「HAPPINESS IS A WARM GUN」からの影響が感じられます。

1968年リリースのアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」に収録された「HAPPINESS IS A WARM GUN」は、ポールが「アノ1曲だけでも価値がある」と云った楽曲で、ポールはソレを1969年リリースのアルバム「ABBEY ROAD」での「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」や、それこそはB面のメドレーへと発展させています。ソレを1971年リリースの「ポール&リンダ」名義のアルバム「RAM」や1973年リリースの「ポール・マッカートニー&ウイングス」名義のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」でも試みているのですが、特にアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」での11分余りの「MEDLEY」では些かお粗末な結果となっていました。しかし、コノ「BAND ON THE RUN」は5分余りに凝縮していて、ジョンからも「良い曲だし、アルバムも良いね」と褒められています。ポールの作品をいちいちジョンが語っているのは、まあ、インタビュアーが訊いてくるから応えていたんでしょうね。

曲の構想自体が、ビートルズ時代にアップルの会議でジョージ・ハリスンがぼやいていたフレーズから始まっていて、何よりも「BAND ON THE RUN」のプロモーション・フィルムを観れば一目瞭然なのですが、コノ「BAND」とは「WINGS」ではなくて「THE BEATLES」なのです。わざわざアフリカまで同行して、バンマスの云う通りにギターを弾いてサポートしたデニー・レインの立場がないのですが、そんな事はポールみたいな人と組んでしまったのですから、仕方がないのです。事実として、アルバム「BAND ON THE RUN」は、限りなく「ポール・マッカートニーのソロ・アルバム」に近いのであって、おそらく、ポールは万が一、ヘンリー・マカロックやデニー・シーウェルと共にデニー・レインも脱退していたとしても、ポール&リンダだけでラゴスへ行ってレコーディングしたでしょう。何せ、ビートルズ時代から信頼しているジェフ・エメリックがエンジニアとして同行しているのですから、ポールは自分の頭の中で完成している楽曲をひとりで演奏すれば出来上がるのです。作詞作曲は、両面共に「ポール&リンダ・マッカートニー」とされています。

B面になった「NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」を聴けば、もう「ポールのドラムスとピアノとベースだけで、ほぼ完成している」楽曲だと分かります。A面の「BAND ON THE RUN」もB面の「NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」も、完成版ではトニー・ヴィスコンティによるオーケストラ・アレンジが抜群によくて、特に「NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」の最後の方になって盛り上がってゆく辺りは、何度聴いてもゾクゾクします。ところが、ヴィスコンティが3日間で寝ずにアレンジして60名ものオーケストラを指揮したのに、ポールはヴィスコンティをアルバムのクレジットに載せていなかったのです。なんと、まあ、アルバム「BAND ON THE RUN」の25周年記念盤でリイシューされるまで、ずっとノン・クレジットだったのですから、ポールの天然バカボンぶりが発揮されています。何だか俄かには信用出来ない「ポール&リンダ」共作よりも、しっかりとヴィスコンティの手柄をクレジットしなきゃダメでしょう。それから、前回に触れたラゴスで強盗に遭った話ですけれど、強盗ではなくて現地語で単にサインを求めたのを、ポール&リンダがビビッて持ち物やお金を渡してしまったと云う説もあります。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする