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2024年04月09日

「ポールの道」#335「THE 7‘’ SINGLES BOX」#11「JET / LET ME ROLL IT」

Band on the Run [12 inch Analog]


1973年には、4月にビートルズの初めてのオールタイム・ベスト盤「赤盤」と「青盤」が出て、5月にポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」と、ジョージ・ハリスンのアルバム「LIVING IN THE MATERIAL WORLD」が出て、10月にジョン・レノンのアルバム「MIND GAMES」が出て、11月にリンゴ・スターのアルバム「RINGO」が出て、リンゴのアルバムではジョンとジョージとポールが楽曲を提供して演奏にも参加していて、ビートルズ再結成が大いに期待された年でした。そんな中で、ポールはアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」だけでは飽き足らず、ナイジェリアのラゴスでアルバム「BAND ON THE RUN」を制作して、1973年12月にはリリースしてしまいました。しかしながらアルバム「BAND ON THE RUN」は、リハーサル中にギターのフレーズでポールと口論になったリード・ギタリストのヘンリー・マカロックと、ラゴス行きを嫌がったドラマーのデニー・シーウェルが相次いでウイングスから脱退して、ポール&リンダとデニー・レインの3人だけとなってしまい、それでも3人だけ(実質的にはポールとデニー・レインの二人)でラゴスへ行って、レコーディングを敢行したのでした。

当時のラゴスは雨期で、スタジオもボロボロで、ポールは強盗にデモテープを奪われたりして(命まで狙われたところを、リンダが「彼はビートルズだから殺さないで!」と云って助かったとも云われる)、しかも前述の通り、レコーディングはポールとデニー・レインの二人だけしかいないわけで、正に背水の陣だったわけですが、そう云う困難な時に出る「ポール・マッカートニーの底力」が発揮されて、アルバム「BAND ON THE RUN」は大ヒットして、遂に評論家にも絶賛されたのでした。しかしながら、アルバム「BAND ON THE RUN」は、リリース当初には余り売れず、レコード会社も懐疑的になっていたのです。それで、ポールとしてはトータル・アルバムなのでアルバムからのシングル・カットはせずに、先行シングル「HELEN WHEELS」はアルバムには収録しない予定だったものの、米国盤には結局は「HELEN WHEELS」を収録して、1974年1月28日(米国)・同年2月15日(英国)・同年3月20日(日本)に、「JET / LET ME ROLL IT」をシングル・カットして、ソレが英米共に7位の大ヒットとなって、アルバム「BAND ON THE RUN」もロングセラーとなったのでした。

A面の「JET」はラゴスではなく、ロンドンに帰国してからレコーディングされていて、レコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー(リード・ヴォーカル、ベースギター、リードギター、ドラムス)、リンダ・マッカートニー(バッキング・ヴォーカル、キーボード)、デニー・レイン(リードギター、バッキング・ヴォーカル)の「第3期ウイングス」で、ポールの旧友であるハウイー・ケイシーがサクソフォーンを、トニー・ヴィスコンティがオーケストレーションを担当しています。元々はアイヴィーズ(後のバッドフィンガー)を手掛けていて旧知の仲だったトニー・ヴィスコンティは、当時流行していたグラム・ロックのT-REXやデイヴィッド・ボウイなどのプロデュースで有名になっていて、アルバム「BAND ON THE RUN」全編でオーケストラ・アレンジを担当していて、当時の「第2期ウイングス」から「第3期ウイングス」ではポールはかなりグラム・ロックを意識していたので、正にピッタリでした。「JET」は当時ポールが飼っていた黒い子犬の名前から取ったとされているのですが、後に娘たちに贈った黒いポニーの名前だと話が変わっています。ソレ以前に、一体何を歌っているのかサッパリ分からない内容です。

イントロからエンディングまで隙の無い名曲で、日本でも売れ捲ってラジオでもかかり捲って洋楽チャートで首位!になっています。ライヴでも現在まで定番曲のひとつで、ウイングスと云えば「JET」と云える代表曲のひとつです。でも、今年(2024年)にリリースされたアルバム「BAND ON THE RUN」の50周年記念盤でのラフミックスを聴くと、オーケストラ抜きではショボイ曲だったのですよ。ソレをここまで持ってゆくんですからね。既にエンディングでの小粋なサックスをポールが口ずさんでいたりするので、ポールの頭の中では、最初にドラムスを叩いている段階から既に完成品が見えていたわけで、凄いとしか云えません。コレはですね、つまりは「第2期ウイングス」では、こう云う曲にはならなかったと云う事なのです。デニー・シーウェルがドラムスでは、此のポールのリズム感にはなっていないし、ヘンリー・マカロックはポールの指示通りにはギターは弾かないのです。だから、実質的にはポールと、ポールの云いなりになるデニー・レインの二人による「第3期ウイングス」じゃないと、コレは完成していないわけですなあ。

米国盤では最初はB面が「MAMUNIA」だったものの、1stプレスで「JET」のプロモ・エディットを間違って収録してしまい、英国盤や日本盤と同様に「LET ME ROLL IT」になっています。ソノ「LET ME ROLL IT」もライヴの定番曲で、ポールらしいエッチな歌ですが、こちらは「ギター・リフこそ命」のジョン・レノンを意識した様なストレートなロッカバラッドです。こちらも、ポールがリード・ヴォーカル、ベースギター、リードギター、ドラムスで、リンダがバッキング・ヴォーカル、オルガンで、デニー・レインがバッキング・ヴォーカル、ギターの「第3期ウイングス」の3人による演奏となっております。1990年代以降のライヴでは、ポールがドヤ顔でギターを弾いて、最後はジミ・ヘンドリックスの「FOXY LADY」を弾き捲る展開となっております。両面共に、作詞作曲は、ポール&リンダ・マッカートニーと云う事になっていて、「THE 7‘’ SINGLES BOX」には11枚目で、ドイツ盤の空のピクチャー・スリーヴで復刻されています。

(小島イコ)

posted by 栗 at 23:00| FAB4 | 更新情報をチェックする