1972年3月から12月にかけて、ポール・マッカートニーが率いるウイングスは2作目のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」のレコーディングを長期に渡って行いました。其の中から「MARY HAD A LITTLE LAMB」や「HI, HI, HI」などをシングルとしてリリースしたのですが、1973年1月25日から27日まで、遂に傑作バラード「MY LOVE」をレコーディングします。レコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー(リード・ヴォーカル、エレクトリックピアノ)、リンダ・マッカートニー(バッキング・ヴォーカル)、デニー・レイン(ベース、バッキング・ヴォーカル)、ヘンリー・マカロック(リードギター)、デニー・シーウェル(ドラムス)の「第2期ウイングス」で、リチャード・ヒューソンがオーケストラアレンジと指揮を担当していて、50名によるオーケストラは後でダビングしたのではなく、バンドの演奏と同時にライヴ・レコーディングしています。故に、ベースはポールではなくデニー・レインが弾いているのです。
リチャード・ヒューソンは、ビートルズの「THE LONG AND WINDING ROAD」のオーケストラアレンジも手掛けていて、更にアルバム「RAM」をインストゥルメンタル曲にした「THRILLINGTON」も手掛けていたのですが、つまりはポールはヒューソンの腕を買っていたわけです。それなのに「THE LONG AND WINDING ROAD」のオーケストラアレンジにはモノ申していたわけで、アレンジが気に入らなかったのではなく、自分だけハブにされてアルバム「LET IT BE」が作られた事に憤慨していたのです。ポールは自分が提唱した1969年1月のビートルズによる「THE GET BACK SESSIONS」が頓挫した事を悔やんでいて、ウイングスを結成してからは「THE GET BACK SESSIONS」をもう一度とばかりの行動をしています。例えば、1971年リリースのデビュー・アルバム「WILD LIFE」は、ほとんど一発録りだったし、バス2台でアポなしの大学ツアーを敢行したのも、ビートルズの初期に「GET BACK」してビートルズとしてやりたかった事でしょう。
更に、セカンド・アルバムとなる1973年5月リリースの「RED ROSE SPEEDWAY」は、セッションの初めは「THE GET BACK SESSIONS」で起用したグリン・ジョンズにプロデュースを依頼していたのです。グリン・ジョンズはウイングスのメンバーがスタジオで大麻を吸って新聞を読んでいると云うかったるい状況を見て、すぐにプロデュースを降りてしまいます。あれ程にビートルズのアルバム「GET BACK」をプロデュースしたがっていたグリン・ジョンズがお手上げになったのですから、どれだけ酷い状況だったのかは想像出来ます。ポールはアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」を2枚組でリリースしようと考えるも、レコード会社から反対されて1枚にまとめる事にして、名義も「ウイングスなんて誰も知らないから、ポール・マッカートニー&ウイングスに改名しろ」と云われてしまいます。そんな中で、1973年3月23日(英国)・同年4月9日(米国)・同年5月5日(日本)にアップルからリリースしたのがシングル「MY LOVE」です。
愛妻リンダへ捧げた「MY LOVE」は、ビートルズ末期の1969年もしくは1970年には出来ていたらしく、ここまで取って置いたのはポールなりに「脱ビートルズ」を考えていたからなのでしょう。満を持してリリースした「MY LOVE」は、全英9位・全米首位!を獲得しています。ちなみに、ポールの「MY LOVE」の次の全米首位は、ジョージ・ハリスンの「GIVE ME LOVE(GIVE ME PEACE ON EARTH)」です。ポールにとっては2曲目の全米首位曲ですが、「UNCLE ALBERT / ADMIRAL HALSEY」はポール&リンダ・マッカートニー名義だったし、此の「MY LOVE」はポール・マッカートニー&ウイングス名義です。不協和音を多用した琴線に触れる美しいメロディーの「MY LOVE」は、間奏のヘンリー・マカロックによるギターも名演で、コレはポールの指示をヘンリーが「違う風に弾いていいかな」とお願いして弾いたフレーズです。ヘンリーとしては、ようやくバンドでの自分の立場に自信を持てたと思われる渾身のリード・ギターなのです。
が、しかし、ポールは、1972年6月にリリースされたカーペンターズのヒット曲「GOODBYE TO LOVE(愛にさよならを)」でラヴ・バラードに初めてファズギターを持ち込んだと云われるトニー・ペルーソによるギターを聴いて、「こんなギタリストが欲しい」と発言してしまったのです。1972年6月と云えば、正にウイングスがライヴもバンバンやってアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」をレコーディングしていた時期で、バンマスにそんな事を云われたヘンリー・マカロックの気持ちは忸怩たるものだったでしょう。プライドをズタズタに切り裂かれたヘンリーは、酔っ払って演奏したりする様になっちゃったわけですなあ。B面の「THE MESS」は、元々は「THE MESS I'M IN」と云う、ザ・バンドの「THE SHAPE I'M IN」を意識した楽曲で、2枚組のアルバム「RED ROSE SPEEDWAY」には収録予定だったけれど外された曲のひとつです。1972年のライヴ音源で、アルバムにも此のライヴ音源が収録される予定でした。アルバム未収録曲でしたが、現在では「アーカイヴ・コレクション」で正式にリリースされた2枚組などで聴けます。此のシングルは「THE 7‘’ SINGLES BOX」には、8枚目で「ビックリおねえさん」のピクチャー・スリーヴ付きのイスラエル盤で復刻されています。
(小島イコ)