

ポール・マッカートニーとジョン・レノンとジョージ・ハリスンのトリビュート盤を紹介しましたが、リンゴ・スターのトリビュート盤は見た事がありません。それで、公平に4人が取り上げられているブートレグ「AFTER THE BEATLES ANTHOLOGY」を紹介しましょう。コレはですね、以前に紹介した「THE BEATLES / 1962-1966」「THE BEATLES / 1967-1970」ALTERNATE ALBUM EXPANDED EDITIONSのCD2枚組2セット計4枚組もリリースしている「SUPERSTOCK」と云うレーベルが、同じ2021年にリリースした、CD2枚組4セット計8枚組です。ポールが「赤盤」で、ジョンが「青盤」で、ジョージが「緑盤」で、リンゴが「黄盤」となっております。
ポール編は、1970年の「MAYBE I'M AMAZED」で始まり、1979年のグラスゴーでのライヴ「COMING UP」で終わる、全35曲入りです。ジョン編は、1969年の「GIVE PEACE A CHANCE」で始まり、1980年(リリースは1984年)の「GROW OLD WITH ME」で終わる、全42曲入りです。ジョージ編は、1970年の「MY SWEET LORD」で始まり、2002年の遺作「BRAINWASHED」を経て、最後は「ALL THINGS MUST PASS」の2020年リミックスで終わる、全42曲入りです。リンゴ編は、1970年の「SENTIMENTAL JOURNEY」で始まり、2015年の「ロックの殿堂入り」のライヴ音源「I WANNA BE YOUR MAN」で終わる、全45曲入りです。
こうして、サラッと書くと、4人それぞれ均等に選曲されているみたいに思えるし、事実、ジョンは全キャリアからの選曲で、シングル曲の抜けもなく年代順に並べてあるので、公式盤のベスト盤よりも優れた編集だとすら思えますし、ソレはジョージにも云えるし、ポールとリンゴに関しては現役バリバリで道半ばなのです。此のシリーズは、全てが別テイクやラフ・ミックスやライヴ音源から選曲されているので、裏ベスト盤として聴けます。ところが、ところがですよ、よく見て聴いてみるとですね、不可思議な事実に気が付いてしまうのです。前述の通り、既に亡くなっているジョンは「1969年から1980年までの音源」で、ジョージは「1970年から2001年までの音源」です。そして、現役のリンゴは「1970年から2015年までの音源」となっております。
そして、現役バリバリのポールは、なんと、まあ、「1970年から1979年までの音源」なのです。最初の宅録ソロで1970年リリースのアルバム「McCARTNEY」から、1979年のウイングスの最後のツアーでのライヴ音源までからしか選曲されていないのでした。別にポールが1970年代にしかヒット曲がなかったわけではなくて、1970年代だけで他の3人と同じ収録時間に達してしまって、1980年代以降はバッサリと切り捨てるしかなかったわけですよ。リンゴなんて、1970年から2015年までから選んでいるのに、中にはジョンが歌った「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」とかが混じっているし、最後の「ロックの殿堂」ライヴにはポールが参加しているのです。「ONLY YOU(AND YOU ALONE)」なんて、リンゴはドラムを叩いているだけなんですよ。
そもそも、ベスト盤がCD4枚組で全67曲入りでも文句を云われるポールですから、他の3人とは同列に語れないし、同じキャパでベスト盤を作る事など無理なのです。ちなみに、ジョンは全42曲中33曲目までは1970年代の音源ですが、ジョンは1980年に殺されたので仕方ありません。ジョージは全42曲中29曲目までが1970年代の曲ですが、1980年代は寡作だったので仕方ありません。そして、リンゴは全45曲中31曲目までが1970年代の音源ですが、1970年代前半の「リンゴ狂い咲き時代」があったので、ヒット曲を考えるとそうなりますわなあ。対してポールは、1980年代以降も大ヒット曲があり捲りなので、もう1970年代だけにして、其の後は他の機会でと切り捨てた選曲なのです。
ちなみに、ポール編は、CD1が、1「MAYBE I'M AMAZED」(1970)、2「ANOTHER DAY」(1971)、3「UNCLE ALBERT / ADMIRAL HALSEY」(1971)、4「UNCLE ALBERT JAM」(1971)、5「EAT AT HOME」(1972 Live)、6「SMILE AWAY」(1972 Live)、7「GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH」(1972)、8「MARY HAD A LITTLE LAMB」(1972)、9「HI, HI, HI」(1972)、10「SEASIDE WOMAN」(1972)、11「THE MESS」(1972)、12「MY LOVE」(1973)、13「LIVE AND LET DIE」(1973)、14「HELEN WHEELS」(1973)、15「JET」(1973)、16「BAND ON THE RUN」(1973)、17「JUNIOR'S FARM」(1974)、18「SALLY G」(1974)、19「SEND ME THE HEART」(1974)、20「VENUS AND MARS」(1975)の全20曲入りです。
CD2が、1「ROCK SHOW」(1975)、2「LETTING GO」(1975)、3「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」(1975)、4「SILLY LOVE SONGS」(1976)、5「LET ’EM IN」(1976)、6「MULL OF KINTYRE」(1977)、7「GIRLS' SCHOOL」(1977)、8「WATERSPOT」(1977)、9「WITH A LITTLE LUCK」(1978)、10「I'VE HAD ENOUGH」(1978)、11「LONDON TOWN」(1978)、12「GOODNIGHT TONIGHT」(1979)、13「NO WORDS」(1979 Live)、14「BAND ON THE RUN」(1979 Live)、15「COMING UP」(1979 Live)の全15曲入りで計35曲入りで、CD2の曲数が少ないのは「EXTENDED VERSION」が多いからです。デニー・レインの「SEND ME THE HEART」が要らない位で有名曲のレア・テイクが並んでいて、1970年代に限定してもシングル曲にすら漏れがある選曲です。
コレがジョン編だと、CD1は、1「GIVE PEACE A CHANCE」(1969)、2「COLD TURKEY」(1969)、3「INSTANT KARMA」(1970)、4「MOTHER」(1970)、5「LOVE」(1970)、6「GOD」(1970)、7「POWER TO THE PEOPLE」(1971)、8「IMAGINE」(1971)、9「JEALOUS GUY」(1971)、10「GIMME SOME TRUTH」(1971)、11「HOW?」(1971)、12「ATTICA STATE」(1971 Live)、13「JOHN SINCLAIR」(1971 Live)、14「IMAGINE」(1971 Live)、15「NEW YORK CITY」(1972)、16「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」(1972)、17「PEOPLE(ANGELA Demo)」(1972)、18「SUNDAY BLOODY SUNDAY」(1972)、19「THE LUCK OF THE IRISH」(1972 Live)、20「WORKING CLASS HERO」(1972 Live Rehearsal)、21「HAPPY XMAS(WAR IS OVER!)」(1971)の、全21曲入りです。
CD2は、1「MIND GAMES」(1973)、2「MEAT CITY」(1973)、3「ONE DAY(AT A TIME)」(1973)、4「OUT THE BLUE」(1973)、5「ROCK’N’ROLL PEOPLE」(1973)、6「I'M THE GREATEST」(1973)、7「WHATEVER GET YOU THRU THE NIGHT」(1974)、8「#9 DREAM」(1974)、9「MOVE OVER MS. L」(1975)、10「NOBODY LOVES YOU(WHEN YOU’RE DOWN AND OUT)」(1974)、11「STAND BY ME」(1975)、12「SLIPPIN' AND SLIDIN'」(1975)、13「(JUST LIKE)STARTING OVER」(1980)、14「BEAUTIFUL BOY」(1980)、15「WATCHING THE WHEELS」(1980)、16「WOMAN」(1980)、17「NOBODY TOLD ME」(1980, 1984)、18「I DON'T WANNA FACE IT」(1980, 1984)、19「BORROWED TIME」(1980, 1984)、20「I'M STEPPING OUT」(1980, 1984)、21「GROW OLD WITH ME」(1980, 1984)の、全21曲入りで、計42曲入りです。全キャリアからの選曲で文句なしですが、ジョンには続きがないわけで、ソレは曲目を次回に紹介しますがジョージも同じで、リンゴに過度な期待も出来ないので、ポールに頑張ってもらうしかないのです。
(小島イコ)