1986年のアルバム「PRESS TO PLAY」が全英8位で全米30位と云う結果となり「失敗作」とされたポール・マッカートニーは、1987年にはベスト盤「ALL THE BEST!」をリリースしました。こちらも全英2位で全米62位と云う結果で、本国である英国ではアルバム「PRESS TO PLAY」もベスト盤「ALL THE BEST!」も立派な成績なのですが、米国では売れなくなっていました。しかしながら、1987年には英国ではベスト盤「ALL THE BEST!」からシングル・カットされた「ONCE UPON A LONG AGO」のB面に「BACK ON MY FEET」を収録していて、コレはポールとエルヴィス・コステロの初共作曲で、両面共にフィル・ラモーンのプロデュースで、英国では10位まで上がるヒットとなりました。シングルのB面でひっそりと発表されたコステロとの共作曲ですが、コレが後の「VERONICA」や「MY BRAVE FACE」と云った13曲とも14曲とも云われるポールとコステロの共作曲の始まりでした。フィル・ラモーンに関しても、コレ以外にもポールはプロデュースを任せてアルバム「RETURN TO PEPPERLAND」を制作していて、結局はボツになってしまうのですが、ブートレグで聴ける楽曲「RETURN TO PEPPERLAND」はタイトルからして「ビートリー」な名曲ですし、後にリリースされる「BEAUTIFUL NIGHT」なども其のセッションで取り上げられていました。
ポールとしても試行錯誤していたであろう1987年ですが、リリースを考えずに自宅スタジオにミュージシャンを迎えて気ままにレコーディングしていて、1987年7月20日と21日には1950年代のロックンロール・ナンバーを22曲レコーディングしたのです。レコーディング・メンバーは、ポール・マッカートニー(ベース、ギター、ヴォーカル)、ミック・ギャラガー(キーボード、ピアノ)に、7月20日は、ミック・グリーン(ギター)、クリス・ウィッテン(ドラムス)、7月21日は、ニック・ガーヴェイ(ベース、ギター、バックヴォーカル)、ヘンリー・スピネッティ(ドラムス、パーカッション)です。ポールには当時のソビエト連邦からアルバムをリリースする様に打診されていて、1988年10月31日にメローディヤからアルバム「CHOBA B CCCP」をリリースしました。コレは旧作をリリースすると英国パーロフォンや米国キャピトルとの契約で面倒な事になるので、たまたまレコーディングして未発表だったロックンロール集ならばいいだろうと云うポールの判断でしょう。旧ソ連でしかリリースされなかった為に一時はマニアが大騒ぎしたのですが、1991年9月30日には世界共通盤CDがリリースされました。
旧ソ連での内容は、A面が、1「KANSAS CITY」、2「TWENTY FLIGHT ROCK」、3「LAWDY MISS CLAWDY」、4「BRING IT ON HOME TO ME」、5「LUCILLE」、6「DON'T GET AROUND MUCH ANYMORE」で、B面が、1「THAT'S ALL RIGHT(MAMA)」、2「AIN’T THAT A SHAME」、3「CRACKIN' UP」、4「JUST BECAUSE」、5「MIDNIGHT SPECIAL」の、全11曲入りです。翌1989年1月20日には旧ソ連での第2版がリリースされて、「I’M GONNA BE WHEEL SOMEDAY」と「SUMMERTIME」が加わった全13曲入りとなり、世界共通盤では更に「I'M IN LOVE AGAIN」を加えた全14曲入りとなりました。セッションは22曲なので、残りは8曲あるわけで、1989年のシングル「THIS ONE」で「I WANNA CRY」が、1990年のエルヴィス・プレスリーのトリビュート盤で「IT'S NOW OR NEVER」がリリースされました。リリースされていない6曲は「I SAW HER STANDING THERE」、「TAKE THIS HAMMER」、「CUT ACROSS SHORTY」、「POOR BOY」、「LEND ME YOUR COMB」、「NO OTHER BABY」です。内容は、一発録音のラフな演奏で、ライヴのサウンドチェック並みの出来栄えです。ロックンロールのカヴァー集としてはジョン・レノンの名盤「ROCK'N'ROLL」があり、ソレと重複している曲も取り上げていますが、とてもじゃないけど比べ物にならない作品で、世界共通盤は全英63位、全米109位と、あくまでもマニア向けの作品です。
(小島イコ)