ポール・マッカートニーは、1986年9月1日に英国でMPL/パーロフォンから、同年8月21日に米国でMPL/キャピトルから、ソロとしては6作目でウイングスなども含めると14作目のスタジオ・アルバム「PRESS TO PLAY」をリリースしました。内容は、A面が、1「STRANGLEHOLD」、2「GOOD TIME COMING / FEEL THE SUN」、3「TALK MORE TALK」、4「FOOTPRINTS」、5「ONLY LOVE REMAINS」で、B面が、1「PRESS」、2「PRETTY LITTLE HEAD」、3「MOVE OVER BUSTER」、4「ANGRY」、5「HOWEVER ABSURD」の、全10曲入りですが、CDも同時発売されて、そちらには、11「WRITE AWAY」、12「IT'S NOT TRUE」、13「TOUGH ON A TIGHTROPE」が加わった全13曲入りとなっております。プロデュースはポールとシングル「SPIES LIKE US」でも組んでいたヒュー・パジャムの共同で、演奏には、ポールとお馴染みのリンダ・マッカートニー(コーラス)の他には、ジェリー・マロッタ(ドラムス)、カルロス・アロマー(ギター)、フィル・コリンズ(ドラムス)、ピート・タウンゼント(ギター)、そして、元10ccとなったエリック・スチュワートなどが参加しています。エリック・スチュワートは、キーボードやギターやコーラスを担当しただけではなく、アナログ盤では10曲中6曲「STRANGLEHOLD」と「FOOTPRINTS」と「PRETTY LITTLE HEAD」と「MOVE OVER BUSTER」と「ANGRY」と「HOWEVER ABSURD」、CDでは更に「WRITE AWAY」と「TOUGH ON A TIGHTROPE」も加えて全13曲中8曲もの楽曲を、ポールと共作しています。コレは、1枚のアルバムとしては異例で、ほとんどをリンダ・マッカートニーとの共作になっていたりした以外では初めての事です。10年以上もウイングスにいたデニー・レインでも、アルバム「LONDON TOWN」での全13曲中5曲が最高なので、こんな美味しい目にはあっていません。
エリック・スチュワートは1972年からの10ccでの活動で有名ですが、レコード・デビューは1963年6月のウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズのリード・ギタリストとしてで、「THE GAME OF LOVE」などの大ヒット曲を出して、フォンタナが独立後には、ザ・マインドベンダーズとしてエリックがリード・ヴォーカルも務めて「A GROOVY KIND OF LOVE(恋はごきげん)」などを大ヒットさせています。1967年公開のシドニー・ポワチエ主演の映画「いつも心に太陽を(TO SIR WITH LOVE)」には、ザ・マインドベンダーズがパーティー・バンド役で出演して演奏しているので、若き日のエリックがヴォーカルとギターを披露している姿が拝めます。ザ・マインドベンダーズには末期に既にソングライターとして有名だったグレアム・グールドマンが参加していて、解散後にエリックが印税を元手にしてストロベリー・スタジオを設立するとグレアムも共同出資者となり、そこへ旧知のケヴィン・ゴドレイとロル・クレームも集って、後の10ccの母体となりました。其の後に不在だったグレアム以外の3人で冗談でレコーディングした1970年リリースのホットレッグス名義の「NEANDERTHAL MAN」が大ヒットしてしまい、エリックたちはビビッて逃げてしまうのですが、1972年に10ccとしてデビューして、ソノ後の活躍はこれまで書いてきた通りです。スタジオを経営してエンジニアとしてのキャリア(10ccの代表曲「I'M NOT IN LOVE」でエリックはリード・ヴォーカルを担当して、マルチトラックでのコーラスには参加していないのは、エリックがコーラスを多重録音する時にエンジニアを務めていたから)もあって、ソングライターで、リード・ヴォーカルも担当して、マルチ・プレイヤーで、エンジニアでもあると云う「才人」です。ソノ上堅実で「スタジオの経営者」でもあるわけで、偉大な音楽人のひとりなのです。
故に、ソノ辺の実績を語らずに「ミニ・ポール・マッカートニー」とか「10ccのポール」とか過小評価している評論家は、此のアルバム「PRESS TO PLAY」が全英8位で全米30位と云う成績であった事の責任をエリックのせいにしてしまうのですが、ソレは大きな間違いです。ポールとエリックが共作した8曲は全てが佳曲ですし、他にもシングル「PRESS」に収録された「HANGLIDE」と、後に再結成10ccでエリックが歌った「DON'T BREAK THE PROMISES」と「YVONNE'S THE ONE」も加えれば、発表されただけでもポールとエリックは11曲も共作していたのです。エリック・スチュワートとポールは、おそらく1960年代からの顔なじみではあったでしょうけれど、1974年に10ccが2作目のアルバム「SHEET MUSIC」をレコーディング中に、同じストロベリー・スタジオで、ポールが実弟であるマイク・マクギアのアルバム「McGEAR」を同時進行でレコーディングした時から仲良くなったのでしょう。そして、ポールは1982年のアルバム「TUG OF WAR」と1983年のアルバム「PIPES OF PEACE」と1984年のサントラ盤「GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET」とエリックを起用し続けて、そこから発展して1986年のアルバム「PRESS TO PLAY」での本格的な共作となったわけで、エリックはソノ大役を見事に勤め上げていると思います。アルバムのセールスが悪かったのは、プロデューサーのヒュー・パジャムが、如何にも1980年代風の音作りにしちゃったのと、ソレを止められずに流されてしまったポール・マッカートニーの責任であって、何でポールのアルバムなのに「エリックが悪い」なんて云われるのか理解に苦しみます。そんな1980年代風なサウンドにもめげない普遍的な曲を共作したエリックは、称えられるべきなのです。先行シングルの「PRESS」は兎も角として、ソノ後にシングル・カットされた「ONLY LOVE REMAINS」に代表されるポール単独作の甘ったるい路線(個人的には嫌いではない)こそが失敗の原因でしょう。此のアルバムでエリック・スチュワートを貶す評論家は、信用しない事にしています。
(小島イコ)