ジョージ・ハリスンが「ちょっとキレてますよ」とアルバム「GONE TROPPO」で全米108位と大爆死していた頃、仲良しの元同僚であるリンゴ・スターは、もっと酷い事になっていました。リンゴは1981年のアルバム「STOP AND SMELL THE ROSES」で、毎度お馴染みの「WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS」方式で、ポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンにも楽曲提供と演奏とプロデュースを頼んで、ジョン・レノンの死によって実現しなかったもののジョンにも参加してもらう予定でした。他にもニルソンやロン・ウッドやスティーヴン・スティルスにも楽曲提供や演奏やプロデュースを任せたものの、統一性に欠けるアルバムとなってしまい、全米98位で全英ではチャートインすらしない大爆死となっておりました。ソコで、今度はイーグルスのジョー・ウォルシュをプロデューサーに迎えて、巷では「NEW WAVE」が流行っているから、じゃあオレは「OLD WAVE」だとばかりに、若き日のリンゴをジャケットにした通算9作目でリンゴ的には7作目のソロ・アルバム「OLD WAVE」を、1983年6月16日にリリースするのですが、此のアルバムは、ドイツでベラフォンから、カナダでRCAから、そして日本では遅れて同年11月にRCAからリリースされたのですけれども、英国や米国ではリリースされなかったのです。つまりは大爆死する前の段階で、発売すら見送られると云う、何ともはや、イチオーは「元・ビートルズ」なのに、屈辱的な扱いをされたわけです。まあ、レコード会社も道楽でやっているわけではなく、リンゴのソロじゃ売れないと判断して、発売を拒否したのでしょうから、前作が大爆死していたので仕方ないし、ビジネスとしては当たり前の話だったのです。
内容は、A面が、1「IN MY CAR」、2「HOPLESS」、3「ALIBI」、4「BE MY BABY」、5「SHE’S ABOUT A MOVER」で、B面が、1「I KEEP FORGETTIN’」、2「PICTURE SHOW LIFE」、3「AS FAR AS WE CAN GO」、4「EVERYBODY'S IN A HURRY BUT ME」、5「GOING DOWN」の、全10曲入りです。半分の5曲がリンゴとジョー・ウォルシュの共作で、チカラが入っているものの、出来栄えはイマイチです。タイトルやジャケットのイメージから「BE MY BABY」なんてタイトルを見たら「おっと、ロネッツのカヴァーか?」と思わせますが、ジョー・ウォルシュが書いた同名異曲で、ズッコケ丸出しですよ。兎に角、発売もしてくれないんじゃ評価のしようもないわけで、英国や米国では完全に「なかった事」にされている可哀想なアルバムですが、そんな一介のファン如きから同情されても、リンゴにとっては何とも云えないでしょう。後に「オールスター・バンド」にも加入するジョー・ウォルシュは、リンゴとは仲良しなばかりではなく、ジョー・ウォルシュの奥さんは、リンゴの奥さんであるバーバラ・バックの妹なのです。つまり、ジョー・ウォルシュはリンゴの義理の弟なんですよ。ソレで、兄貴の為に奮闘したわけですが、何度も云いますけれど英国と米国では発売拒否されちゃったわけで、空回りにも程があります。コノ大失敗作以前のアルバムを最後に、リンゴもジョージ・ハリスン同様に長い沈黙状態となりますが、ジョージは音楽はセミリタイア状態でも映画制作をしていたわけで、一方のリンゴはアルコール依存症になってしまい、奥さんと共に更生施設に入ったらしく、次のスタジオ・アルバムは、なんと9年後となるのでした。CDにはボーナス・トラックで「AS FAR AS WE CAN GO」のオリジナル・ヴァージョンが収録されていますが、中古盤で1万円位の価格になっているので、高いけれども内容はヘッポコリンです。
(小島イコ)