もしもジョン・レノンが殺されていなければ、ジョンはポール・マッカートニーのアルバム「TUG OF WAR」を聴いて、例えばポールがスティーヴィー・ワンダーと共演した「EBONY AND IVORY」は「歌詞の内容が当たり前過ぎて踏み込みが甘過ぎる」とか、「HERE TODAY」は「感傷的過ぎる」とか的確なアドバイスを含んだ毒舌で評していたでしょう。まあ「HERE TODAY」は、ジョンが生きていたならば生まれてはいない楽曲ではありますが、鍵盤楽器の白と黒を人種に例えて、黒人最高のミュージシャンであるスティーヴィー・ワンダーと一緒に演奏して歌うなんて事は、天然バカボンのポール・マッカートニーだからこそ本人は大真面目に考えて、大衆にも受け入れられて大ヒットしたわけで、少なくともジョン・レノンは絶対にやっていない路線です。そんなジョン・レノンが亡くなって、現在まで多くのベスト盤がリリースされていますが、死後に最初にリリースされたのが、1982年11月1日に英国でEMIパーロフォンから、同年11月8日に米国ゲフィンから出た「THE JOHN LENNON COLLECTION」です。アナログ盤で、英国盤(日本盤も)は17曲入りで、米国盤は15曲入りでした。当時はEMIとゲフィンでレーベルが違っていた音源を、垣根を越えて1枚に収められていました。ジョンのベスト盤としては、1975年リリースの「SHAVED FISH」があって、そちらはEMI時代のシングル曲をジョン自身が編集していましたが、こちらは其の後も含めてのオール・タイム・ベスト盤で、何より凄いのがジャケットで、此のジョンがまっすぐにこちらを見ているポートレートは、1980年12月8日に撮影されていて、つまり、此の写真の数時間後にはジョンは殺されてしまうのです。1989年10月23日にCD化されて、英国盤に2曲加えた全19曲入りとなっています。
CD化された内容は、1「GIVE PEACE A CHANCE」(1969年シングル)、2「INSTANT KARMA!」(1970年シングル)、3「POWER TO THE PEOPLE」(1971年シングル)、4「WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT」、5「#9 DREAM」(4,5は1974年アルバム「WALLS AND BRIDGES」シングル・カット)、6「MIND GAMES」(1973年アルバム「MIND GAMES」シングル・カット)、7「LOVE」(1970年アルバム「JOHN LENNON / PLASTIC ONO BAND(ジョンの魂)」)、8「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」(1971年シングル)、9「IMAGINE」(1971年アルバム「IMAGINE」シングル・カット)、10「JEALOUS GUY」(1971年アルバム「IMAGINE」)、11「STAND BY ME」(1975年アルバム「ROCK'N'ROLL」シングル・カット)、12「(JUST LIKE)STARTING OVER」、13「WOMAN」、14「I'M LOSING YOU」、15「BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)」、16「WATCHING THE WHEELS」、17「DEAR YOKO」(12から17、1980年アルバム「DOUBLE FANTASY」、12、13、16はシングル・カット)、18「MOVE OVER MS. L」(1975年シングル「STAND BY ME」B面)、19「COLD TURKEY」(1969年シングル)です。まずは目に付くのが、遺作となってしまったアルバム「DOUBLE FANTASY」から6曲も選曲されている事です。ジョンとヨーコさんの曲が会話形式で代わる代わる収録されているオリジナルとは違って、ジョンが書いて歌っている7曲中6曲が選ばれているのです。コレに関しては「アルバム“DOUBLE FANTASY”は通して聴け!」とエラソーに云っていた評論家さんたちはどう思っているのでしょうか。ジョンの曲だけを聴きたければ「CLEANUP TIME」以外の6曲は、コレで聴けてしまうんですよ。公式盤でそう云う事になったわけで、困りましたね。
レーベルを越えての選曲だったので、アルバム「DOUBLE FANTASY」しかなかったゲフィンとしては、こうするより他に手はなかったのでしょう。結局はゲフィンも其の後のポリドールも、EMIに権利を渡してしまうんですけれどね。そして、ジョンが選曲したシングル集だった「SHAVED FISH」全11曲中で選曲から漏れたのが「MOTHER」と「WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD」の2曲です。その代わりにEMI時代からは「LOVE」と「JEALOUS GUY」と「STAND BY ME」と「MOVE OVER MS. L」が加わっていて、「LOVE」と「JEALOUS GUY」はシングル・カットもされました。「BEAUTIFUL BOY(DARLING BOY)」も、ショーンがCMに出た時に日本だけでシングル・カットされています。此の辺りの匙加減は、当時ジョンの死後に「愛と平和のジョン・レノン」路線で売っていこうとしていたレコード会社などの思惑が反映されていたのでしょう。「MOVE OVER MS. L」に関しては、キース・ムーンへの提供曲のセルフ・カヴァーで、シングル「STAND BY ME」のB面でアルバム未収録だったので、ナイスな選曲だったし、最後に唐突に「COLD TURKEY」が入っているので、初心者には「アレレ、愛と平和のジョンじゃないぞ」と思わせたでしょうね。結局は「I'M LOSING YOU」と「DEAR YOKO」以外の17曲はシングルのみかシングル・カットされた曲になったのです。アルバム「SHAVED FISH」では最初の「GIVE PEACE A CHANCE」から2曲目の「COLD TURKEY」がメドレーになっていて、最後の「HAPPY XMAS(WAR IS OVER)」と「GIVE PEACE A CHANCE」もメドレーになっていたのですが、最後の方の「GIVE PEACE A CHANCE」は1972年8月30日にマディソン・スクエア・ガーデンで行われた「ワン・トゥ・ワン・コンサート」からのライヴ音源で、ジョンの声よりも目立っているのが「スティーヴィー・ワンダー」なのです。つまり、スティーヴィーとジョンは、ポールとの「EBONY AND IVORY」の10年前に共演していたわけです。
(小島イコ)