英国の1960年代のバンドで、ビートルズの他にも好きなバンドは多いのですが、今回はゾンビーズを取り上げたいと思います。ゾンビーズは1964年にデッカからリリースしたデビュー・シングル「SHE'S NOT THERE」が大ヒットして、翌1965年にはファースト・アルバム「BEGIN HERE」をリリースします。1965年にはタツローこと山下達郎さんも大好きなシングル「TELL HER NO」も、特に米国で大ヒットするものの、何故かアルバムは出さず、其の内に楽曲は素晴らしいのに売れなくなって、1967年にCBSに移籍して、何故かEMIのスタジオでビートルズの「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」で使った4トラック・レコーダーで同じジェフ・エメリックがエンジニアを務めてレコーディングして、翌1968年4月19日にセカンド・アルバム「ODESSEY & ORACLE」を英国でリリースするも売れず、ソレが米国ではアル・クーパーが気に入って「TIME OF THE SEASON(ふたりのシーズン)」をシングル・カットしたら大ヒットしてしまうのですが、其の時には既にメンバーが「もう売れないから」と見切りをつけていて、1967年に解散していたのでした。つまりはデビューして4年間でシングルやEPはそれなりにリリースしたけれど、アルバムはたったの2枚しか出せなかったバンドなのです。それでも「ロックの殿堂」入りしていると云う、何だかトンデモナイ魅力があるバンドなのです。まあ、其の後に再結成したりして新作を出したりライヴもやっているものの、基本的には1960年代中期に2枚しかアルバムを出していないバンドで、評価されているのも其のたったの4年間の活動なのです。日本ではGSのカーナビーツが日本語でカヴァーした「I LOVE YOU(好きさ好きさ好きさ)」のオリジナルも、ゾンビーズだったりします。4年間で2枚と云うのは1960年代当時としては異常で、普通のバンドは毎年2枚は出していたのです。
現在ではたった2枚ではなくなっていて、あたくしが持っているのだけでも「BEGIN HERE」の拡大盤モノラルCD2枚組、「ODESSEY & ORACLE」の拡大盤モノラル&ステレオCD2枚組、「BEGIN HERE」も含めたデッカ音源のステレオ盤CD2枚組、シングル集CD、オマケにアージェントのライヴ入りの怪しげなベスト盤CD、BBC音源「LIVE AT THE BBC」、幻のアルバム「R.I.P.」音源集、と沢山出ているし、ヴォーカルのコリン・ブランストーンのソロ・アルバム「ONE YEAR」とベスト盤も持っています。大瀧師匠もゾンビーズの楽曲「LEAVE ME BE」のメロディーを「雨のウェンズデイ」に引用していて、アタマのメロディーなんかソックリで、思わず「壊れかけたワーゲンの」と歌いたくなります。ゾンビーズにはロッド・アージェントとクリス・ホワイトと云う二人の優秀なソングライターが居て、ロッドの弾くキーボードがジャズの影響も受けていて、曲調も独特で、ソコにコリンのハスキーなヴォーカルが乗ると、実に切ない楽曲となるのです。兎に角、美しい楽曲ばかりで、米国で「ふたりのシーズン」がバカ売れした時には「再結成しろ」だの「新曲を出せ」だの散々云われ、偽者まで登場したらしいのですが、ロッドはキッパリと断ったそうです。まあ、後々に再結成はしますが、一時的な例外を除けば、ソレはもう1990年代になってからだったので、まあ、丸くなったんでしょう。そう考えると、結局は2枚しかアルバムを出さなかったのも、英国よりも米国で人気があったのに積極的に米国に渡って活動する事もなかったのも、とてもロック・バンドとは思えない「BEGIN HERE」のジャケット写真に代表されるビジュアルも、ゾンビーズには美学があって、頑なにソレを貫いた結果だったのかもしれません。それにしても、ゾンビーズのCDを10枚以上も持てるなんて、良い時代になったものですなあ。
さて、本日7月7日は、リンゴ・スターことサー・リチャード・スターキーのお誕生日です。83歳になりましたが、元気ですね。最近では、2歳下のサー・ポール・マッカートニーの方がヨボヨボのおじいさんになっちゃって声も出なくなっていますが、リンゴは元々がとぼけた低音ヴォイスなので、あんまり変わっていません。ちなみに、櫻坂46の一期生の土生ちゃんと三期生のこんなぎちゃんもお誕生日です。皆さん、お誕生日おめでとうございます。
(小島イコ)