幻のアルバム「SMiLE」を1967年には完成させる事が出来なかったブライアン・ウィルソンですが、そこで他のメンバーがブライアンを助けて、ブライアンの自宅に録音機材を持ち込み、1967年6月から7月にかけて改めて約1か月半と急ピッチでレコーディングして、キャピトル傘下でビーチ・ボーイズのレーベルである「ブラザー・レコード」の第1弾として、1967年9月18日にリリースしたのが「SMILEY SMILE」です。しかし、カール・ウィルソンが「みんなが満塁ホームランを期待していた時に、僕らはバントをしたのさ」と語った通りの、肩透かしの内容で、ビーチ・ボーイズのファンからまで「GOOD VIBRATIONS」と「HEROES AND VILLAINS(英雄と悪漢)」以外は聴く価値がなしと断じられる事すらあります。個人的には、以前も書いた通りに、ビーチ・ボーイズを聴き始めた時にはベスト盤以外では、コレと「SUMMER DAYS (AND SUMMER NIGHTS !!)」の廉価盤と、疑似ステレオの「PET SOUNDS」以外は日本盤は廃盤状態で、コノ奇妙な「SMILEY SMILE」が一番好きで愛聴していましたし、実は現在でもかなり好きなアルバムです。正に「SMiLE」そのものの「GOOD VIBRATIONS」と「HEROES AND VILLAINS」の2曲のシングルは、他の楽曲との落差が凄いものの、ヴァン・ダイク・パークスが共作者としてクレジットされている「VEGETABLES」と「WONDERFUL」、そしてブライアン単独名義での「WIND CHIMES」は、頓挫した「SMiLE」用の楽曲をレコーディングし直したわけで、後に小出しにされる「SMiLE」音源の中でもコレが最もソノ世界への誘い水となっています。不気味なコーラスがつづく「FALL BREAKS AND BACK TO WINTER」や、テープの回転を速めたり唐突に語りが入ったりする「SHE'S GOIN' BALD」や、Aメロとサビが全くテンポが違う「GETTIN' HUNGRY」などは、かなりサイケデリック色が強くて、1967年らしいのです。
此のアルバムは次作である「WILD HONEY」との「2in1」で6曲のボーナストラック入りの盤と、モノ・ミックスとステレオ・ミックスの「2in1」の盤を持っているのですが、ビートルズの特にポール・マッカートニーは「PET SOUNDS」だけではなく、「SMILEY SMILE」や「WILD HONEY」からの影響もかなり強く受けていて、1968年の「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」の「WILD HONEY PIE」なんかはタイトルも引用していますし、「ホワイト・アルバム」や1970年のソロ1作目の「McCARTNEY」の多重録音や宅録は、実は「SMILEY SMILE」からの影響なのではないか、とも思えます。そればかりではなく、例えば「LITTLE PAD」でのウクレレなんかを聴くと、1971年のポール&リンダ名義の「RAM」での「RAM ON」あたりに直接的に繋がっているし、例えブライアンがパッパラパー状態になってしまっても失わなかった純粋過ぎる音楽性を、ずっとポールは意識していたのでしょう。故に、2004年のブライアンのソロアルバム「GETTIN' IN OVER MY HEAD」の「A FRIEND LIKE YOU」でのブライアンとポールの共演は、実現しただけでも意味があったと思います。そして、「SMILEY SMILE」から始まった新たなるビーチ・ボーイズの足跡は、サー・ジョージ・マーティンが語った様に「ジョンとポールは二人だったが、ブライアンは一人だった」状態からの脱却が始まったとも云えます。もはや「ビートルズに勝つ」との一心で独裁体制だったビーチ・ボーイズは、ブライアンの「SMiLE」放棄からパッパラパー状態で、そんな事は云っていられなくなって、ソノ名の通り「ブラザー・レコード」として他のメンバーが頑張るしかなくなってしまったのです。ビートルズが「アップル・レコード」をぶち上げるのは1968年ですから、其の点でもビーチ・ボーイズは先を行っていたのです。しかし、時代はブルース・ロックやニュー・ロックとなり、ビーチ・ボーイズは時代遅れとされます。でもですね、プログレッシブ・ロックなんて「SMiLE」に比べたらママゴトみたいなもんですよ。
(小島イコ)