
ビートルズは1965年の「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT」からシングル曲のプロモーション・フィルムを制作してテレビ局に配布していましたが、ソレはですね、ツアーなどで多忙で、本人たちがテレビに直接出られない状況だったからで、其の時には「I FEEL FINE」と「TICKET TO RIDE」と「HELP !」も一挙に撮影しています。1966年には「PAPERBACK WRITER / RAIN」も制作されて、此の時には後に映画「LET IT BE」を監督するマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が撮っています。そして1967年には「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」のプロモーション・フィルムがピーター・ゴールドマン監督で撮影されたのですが、ソレはクラウス・フォアマンの推薦があったからでした。1967年からはビートルズはライヴを休止してしまったので、プロモーション・フィルムでしか姿を拝めない状況だったので、需要は大いにあったでしょう。其の後も解散までのシングル曲は、プロモーション・フィルムが制作されてゆきます。「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」のプロモーション・フィルムはビートルズの4人が暗闇の中で奇妙なオルガンとハープを合体した様な楽器のまわりで何かしていて、ポールが逆回転で木の上に飛んだりして、最後には楽器を倒してしまいます。「PENNY LANE」の方も同じロケーションで撮影されていますが、こちらは昼で、ジョンが街中を歩いていて他の3人と合流して、馬に乗って広場に着くと白い円卓があって、各々にギターやベースが渡されると円卓をひっくり返してしまうのですが、最後はまたジョンがひとりで街中を歩く映像で終わっています。其のジョンの顔が「もう何もかもどうでもいい」と顔に書いてあるみたいに、無表情で達観してしまっています。
そして、何よりもビートルズの外見がそれまでとは違っていて、お揃いのスーツ姿ではなく、それぞれ違った服装で、4人共に口ひげをたくわえていて、ジョンは丸メガネをかけています。更には、2曲共にビートルズの演奏シーンは全くありません。1967年にはTV映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」を制作して酷評されるビートルズですが、現在では「MTV」の先取りだったと評価されていて、ソレが既に年明け早々の「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」のプロモーション・フィルムで始まっていたわけです。そう考えると日本盤のジャケットはまだ「REVOLVER」の頃なので、何だか頓珍漢ですけれど、半年位前には武道館公演でアイドルを演じていたビートルズが、もう変貌していたなんて想像出来なかったのでしょう。「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」の楽曲に話を戻すと、ポールが弾くメロトロンのイントロも印象的で、其の後は異なる2テイクを途中で繋いでいるのですが、最後がフェイドアウトしたかと思ったらまたフェイドインして、更にフェイドアウトします。コノ印象的なエンディングは、実はリンゴが激しいドラムを叩いていて途中で失敗したので、ソレを隠す為にそうなったわけで、初めからそうなると決まっていたわけではないのですけれど、またソレが幻想的な曲に合ってしまったのです。大瀧師匠も、聖子ちゃんへの提供曲「いちご畑でつかまえて」で引用しています。最後の最後でジョンが「クランベリー・ソース」と呟くところは、「アイ・ベリード・ポール(ポールを埋めた)」と空耳されて「ポール死亡説」の根拠のひとつとなりました。コノ楽曲のカヴァーでは、やはりトッド・ラングレンの1976年のアルバム「FAITHFUL」が有名で、トッドは「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「RAIN」と、ビーチ・ボーイズの「GOOD VIBRATIONS」まで完全コピーしています。
(小島イコ)