ブライアン・ウィルソンが聴いていたビートルズの「RUBBER SOUL」は、果たしてオリジナルの英国盤だったのか、もしくはスットコドッコイでスカスカの米国盤だったのか、意見が分かれるところではありますが、ブライアンが「フォーク・アルバムだ」と云っているので、やはり「DRIVE MY CAR」でファンキーに始まる英国盤ではなくて「I’VE JUST SEEN A FACE」から始まる米国盤だったと思います。サー・ジョージ・マーティンは「20世紀のポピュラー音楽に於いて真の天才は、ジョンとポールではなく、ブライアン・ウィルソンだ」と語り、つづけて「理由は、ジョンとポールは二人だったが、ブライアンはひとりだったからだ」と云っております。そんなの当たり前じゃん、と思える発言ではあるものの、何せビートルズのプロデューサーでレノン=マッカートニーを最もそばで見て来たマーティンの発言なのですから、重みが違います。ソレに加えて、ビートルズにはご本人であるサー・ジョージ・マーティンもいたし、ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターもいたのです。対してブライアンには、確かに作詞担当で陽気な従兄のマイク・ラヴもいたし、デニスとカールの実弟もいたし、アルとブルースもいたのですが、彼らがツアーに出ている間に、ブライアンはコピーライターだったトニー・アッシャーに作詞を依頼して、バッキング・トラックはセッション・ミュージシャン(レッキング・クルー)の面々を指揮してレコーディングして、ツアーから帰って来たメンバーには歌とコーラスだけやらせると云う「独裁体制」で、つまりは基本的にはブライアン単独で「PET SOUNDS」を完成させたのです。それで他のメンバーは黙って従ったかと云うとですね、出来上がったオケを聴いても詞も曲も理解出来ず、それでもデニスとカールとブルースは理解しようとしたものの、マイクとアルは反発して、特に作詞家の役割まで奪われたマイク・ラヴは「こんな訳が分からない音楽は誰が聴くんだ?犬か?」と怒り狂ったので、タイトルが「PET SOUNDS」になったと云う話まであります。
ブライアンが聴いた「RUBBER SOUL」が英国盤であれ米国盤であれ、そこにはアルバムとしての統一感があって、所謂ひとつの「トータル・アルバム」であるとブライアンは感じたのでしょう。あたくしがビーチ・ボーイズを聴き始めた頃には、日本盤で出ていたのはベスト盤の「ENDLESS SUMMER」と、廉価盤の「SUMMER DAYS (AND SUMMER NIGHTS !!)」と「SMILEY SMILE」と、疑似ステレオの「PET SOUNDS」位で、疑似ステレオの「PET SOUNDS」は音が悪い上に難解で「何だか同じ様な曲がつづくなあ」と思えて、一寸奇妙な「SMILEY SMILE」の方が好きでした。米国で10位まで上がり、英国では2位まで上がった「PET SOUNDS」は、日本ではタツローこと山下達郎さん位しか騒いでいなかったのです。ソレがですね、1988年にCD化された辺りから急に世紀の名盤とか云われる様になったんですよ。あたくしはビーチ・ボーイズは結局は2in1のCDで全部集めたのですが、「PET SOUNDS」(と「SMiLE」)だけは別で、1997年の4枚組BOX「THE PET SOUNDS SESSIONS」と、1999年のモノラルとステレオの2in1と、2016年の2枚組で1枚目がモノラルとステレオの2in1と2枚目がカラオケとライヴ音源入りと、ブートレグで2枚組の「PET SOUNDS MILLEMIUM EDITION」なんてものまで持っています。元々が「PET SOUNDS」(と「SMiLE」)は2in1のラインナップからは外されているので、ソレもまた名盤らしさを醸し出してはいるんですよね。1966年5月16日に、これだけの名盤を発表したと云うのに、発売元のキャピトルですら其の真価を理解出来ず、2か月と経たない同年7月11日にベスト盤をリリースして潰しにかかったのですから、其の後に何十年も売れ続けて商売繁盛となる「PET SOUNDS」を、キャピトルと云う会社は何も分かっていなかったわけです。英国では前述の通りに2位の大ヒットで、人気投票でビートルズを蹴落として首位になっています。ジョンとポールもいち早く聴いて、影響を受けて「REVOLVER」から「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」へと続くのでした。
(小島イコ)