時間を一寸前後させますが、1981年11月21日にはYMOことイエロー・マジック・オーケストラの6作目のアルバム「テクノデリック」がアルファからリリースされ、更に1983年5月24日には7作目のアルバム「浮気なぼくら」がアルファからリリースされました。「テクノデリック」は前作「BGM」を更に暗くした実験作とも云えますが、細野晴臣さんによると大きく歌謡曲に接近して方向転換したと思われる「浮気なぼくら」は「テクノデリック2」と云える路線だったそうです。と申しますのも「テクノデリック」が出た時には細野さんも参加した盟友である大瀧師匠の「ロンバケ」が爆発的に売れていて、YMOの3人が参加しているアッコちゃんこと矢野顕子さんやター坊こと大貫妙子さんなどの作品も売れて来て、細野さんが作曲し編曲した(作詞は松本隆さん)イモ欽トリオのシングル「ハイスクールララバイ」が7週連続1位の大ヒット(160万枚)となり、つまりは「テクノ歌謡」がYMOによって創造されてヒットチャートを賑わせていたのです。1982年になると2月14日にキヨシローこと忌野清志郎さんと教授こと坂本龍一さんのシングル「い・け・な・いルージュマジック」がロンドンレコードからリリースされて、1位を記録して50万枚も売れてしまいます。
1982年5月21日には細野さんが6作目のソロアルバム「フィルハーモニー」をアルファからリリースするのですが、細野さんはYMOに在籍中にはソロアルバムは出さないと公言していたので、コノ時点でYMOの散開を意識していたのだそうです。教授は1983年には映画「戦場のメリークリスマス」に俳優として出演して、サントラ盤も5月1日にロンドンレコードからリリースして、チャートで8位を記録して英国アカデミー賞 作曲賞を受賞しています。そして、3月25日に先行シングル「君に、胸キュン。」をA面1曲目に収録したアルバム「浮気なぼくら」が5月24日にリリースされ、1位を記録しました。しかしながら、松本隆さんの作詞で売れ線を狙った「君に、胸キュン。」が2位止まりだったのが残念だったらしく、皮肉にも1位は松本さんが作詞で細野さんが作曲し編曲した松田聖子ちゃんの「天国のキッス」でした。コノ時期のYMOは前述の通り「テクノ歌謡」を創造したり映画に出たりしただけではなく、歌番組ばかりかお笑い番組などにも積極的に出演したりして、芸能界に深く関わってゆくのでした。1983年7月27日にはインスト盤の「浮気なぼくら(インストゥルメンタル)」もリリースされております。教授によれば、こうした所謂ひとつの芸能活動は「ああでもしなかったら、息が詰まりそうだった」からだそうです。
(小島イコ)