1978年11月25日に発表した「レッツ・オンド・アゲン」を最後に、コロムビア時代のナイアガラは崩壊して、大瀧師匠も沈黙状態となりました。しかしながら、それから「ロンバケ」こと「A LONG VACATION」まで、何もなかったわけではありません。先頃発売された「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK」に収録されている「ビックリハウス音頭」などの音頭モノや、山口百恵さんや須藤薫さんやスラップスティックなどへの楽曲提供や、CM楽曲の制作は行っていました。特にスラップスティックへの提供曲は、後に「ロンバケ」に歌詞を変えて収録されているし、須藤薫さんに提供した「あなただけ I LOVE YOU」に続いて書いてボツになった曲が「君は天然色」に生まれ変わったりしております。其の「君は天然色」から1980年4月に始まったレコーディングは順調に進み、当初は1980年7月28日に発売を予定していたと云う「ロンバケ」こと「A LONG VACATION」ですが、作詞を担当していた松本隆さんの妹さんが亡くなってしまい、松本さんが詞を書けなくなり、大瀧師匠に「間に合わないから降りる」と告げると、大瀧師匠は「此のアルバムは松本の詞ありきだから、待つよ」と応えたのは有名な話ですが、そもそもコロムビアとの契約が1980年まで残っていたから1981年にならないとソニーからは出せなかったとも云われております。現に1980年には、コロムビアから前述の「TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA」が勝手に出されています。
松本さんに対して大瀧師匠は「松本は作詞家で売れたし、細野さんもYMOで売れたし、山下(タツロー)も売れたから、次は俺も売れなきゃいけないと思うから、手伝って欲しい」とも云っていたらしく、レコーディングが完了していたと思われる1981年の正月には細野さんに会いに行った大瀧師匠は「今年は俺の年にする」と宣言したそうです。楽曲としては前述の通りに提供曲を発展させた「スピーチ・バルーン」「恋するカレン」や、提供曲でボツになった「君は天然色」「Velvet Motel 」や、CM曲から発展させた「Pap-pi-doo-bi-doo-ba物語」など、過去の蓄積にモノを云わせた楽曲も多いのも特徴だし、大瀧師匠はファーストの「大瀧詠一」以来、自分の歌に合わせて曲を書いたと云っておりました。しかしながら、当時にお逢いした時に大瀧師匠は「僕だってロンバケまで妥協しなければ売れないんだから、布谷くんみたいな才能は過去も未来も日本のミュージックシーンでは認められない」とハッキリと云っていました。つまり「ロンバケ」は、大瀧師匠が確信犯的に売れ線を狙ったアルバムであって、構造的には「大瀧詠一」や「NIAGARA CALENDAR’78」と何ら変わっていないのです。故に大瀧師匠は売れる自信はマンマンだったのでしょうが、まさかロングセラーとなり、1年後には100万枚を突破して、40年後には200万枚を突破して、今なお聴き続けられている未来までは予想していなかったでしょう。
(小島イコ)