1981年3月21日は、またもや日本のミュージック史上、記念すべき日となります。それは、YMOことイエロー・マジック・オーケストラのアルバム「BGM」がアルファからと、大瀧師匠の「ロンバケ」こと「A LONG VACATION」がソニーから同日に発売されたからなのです。1979年のスタジオ盤「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が100万枚を突破して、1980年のライヴ盤「パブリック・プレッシャー」も大ヒットして、スネークマンショーのコントとコラボした「増殖」までもが大ヒットしたYMOは、正にイケイケどんどん状態でありましてですね、もう何を出しても「売れる」事は間違いなかったのです。更に前述のター坊こと大貫妙子さんやアッコちゃんこと矢野顕子さんのアルバムなど、YMOがバックを務めているアルバムも売れ始めておりました。そんな社会現象とも云える状況の中で、ほぼ確信犯的に発表されたのが「BGM」です。此の時期になると教授と細野さんの間に確執が生まれて、ユキヒロが仲介役になっていたりもしたらしく、教授の新曲は「音楽の計画」1曲のみで他の2曲は蔵出しでした。「ハッピー・エンド」はソロ曲のダブミックスで、「千のナイフ」は細野さんに「千のナイフみたいな曲を書いてよ」と云われて、そのまんまやっています。
それで、細野さんとユキヒロの新曲が多いわけで、「バレエ」「カムフラージュ」はユキヒロで、「ラップ現象」「マス」は細野さんで、「キュー」は二人の合作で、「ユーティー」「来たるべきもの」はYMO名義で後者はプログラマーの松武秀樹さんも名を連ねています。此のアルバムはタツローの「ON THE STREET CORNER」同様に、売れなければ世に出ていなかったかもしれない作品です。もう何を出しても売れる状況下で、YMO(特に細野さんとユキヒロ)はコレをやっちゃったわけですよ。細野さんはハッキリと「沢山売れたからやれた音楽で、YMOのベスト作」と語り、ユキヒロも「云いたい事を詞にして、思っていた音楽が作れた、YMOのベスト作」と語り、スランプだった教授ですら「世間の期待をはぐらかせてみた」と面白がっていた模様です。アルバムのタイトルは、細野さんは「危険なので距離を置いてBGMのように聴いてくれ」を意味していると云い、ユキヒロはYMOが評論家から「ミューザックだ」と酷評された事への意趣返しだと云っています。「テクノポリス」や「ライディーン」を期待していた大衆に対して、見事に裏切った「BGM」は、次作の「テクノデリック」と合わせてYMOのベスト作だと思いますし、何でも売れるからと云って、実際にこんな実験作を発表してしまった心意気には、心底、感動してしまいます。
(小島イコ)