1979年の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」がロングセラーとなり、1980年度年間チャートでも1位を獲得して、100万枚を突破したYMOことイエロー・マジック・オーケストラは、1980年2月21日にはライヴ盤の「パブリック・プレッシャー」をアルファから発売して、此の前年である1979年のワールドツアーでのロンドンとロスアンゼルスで録音されたライヴ音源に最後だけ中野サンプラザでの凱旋ライヴ音源を入れたモノが、これまた大ヒットしてライヴ盤なのに1位を獲得してしまいます。ライヴ盤と云っても、実はサポートメンバーとして渡辺香津美さんをギターで迎えていたのですが、レコード化する事を渡辺さんが所属していたコロムビアに拒否されて、教授がシンセサイザーで録音し直していて、ユキヒロによるヴォーカルも録音し直していたりするので、まあ、単なるライヴ盤ではなかったわけですけれど、YMOの様なスタジオでの録音こそが命であるユニットのライヴ盤までもが売れてしまったトコロにも、如何に当時のYMOには勢いがあったのかを感じ取って頂けるかと思います。ちなみに、渡辺香津美さんのギター入り音源は後に発売されています。
そして、1980年6月5日には、スタジオ盤の「増殖」がアルファから発売されます。レコード会社としては、もう売れている内にバンバン売ってしまおうと云うモードに入っておりましてですね、ライヴの続編を出そうとしたら、YMOに拒否されて、コレになったものの、YMOとしても、そんなにドンドンと曲が書けるわけもなく、此のアルバムではラジオ番組でコントをやっていたスネークマンショーと共演した上に、レコード盤も10インチのミニアルバムで発売となったものの、これまた1位を獲得してしまうのでした。本当に、何を出しても当時のYMOは売れてしまったわけでして、まさかスネークマンショーのコントまで売れてしまうとは、恐ろしい時代でした。スネークマンショーは小林克也さんと伊武雅刀さんと桑原茂一さんによるコント・ユニットで、此の後にはスネークマンショー単独でのアルバムまで出してヒットさせたりもします。YMOの「ナイス・エイジ」には、ポール・マッカートニーの「カミング・アップ」からのフレーズや逮捕に関するナレーションが入っていますが、コレは前述の通りにポールが逮捕されずに入国していたならば、YMOとセッションをする予定だったからです。まあ、其の逮捕までスネークマンショーはネタにしちゃうんですけれどね。
(小島イコ)