「レッツ・オンド・アゲン」の「禁煙音頭」で「煙が目にしみる」を咳き込みながら歌ったタツローこと山下達郎さんは、1978年12月20日に3枚目のスタジオ・ソロアルバム「GO AHEAD !」をRCA/RVCから発売しました。前作「IT'S A POPPIN' TIME」は経費節減の為に2枚組のライヴ盤でしたが、スタジオ盤では3枚目で、タツローは「もうレコードを出せるのはコレで最後だろう」と考えて、やりたい事を全部詰め込んでおしまいにしようとごった煮のアルバムを世に問うたわけです。しかしながら、結果は75位と惨敗してしまいます。内容はと云うと、後にタツローの代名詞のひとつともなるアカペラ多重録音によるA面1曲目「OVERTURE」に始まり、2曲目「LOVE CELEBRATION」は女性歌手用のボツ楽曲、3曲目「LET'S DANCE BABY」はザ・キングトーンズ用に書いた曲で、以後はライヴで定番になり、4曲目「MONDAY BLUE」、5曲目「ついておいで (FOLLOW ME ALONG)」と来て、B面は1曲目「BOMBER」、2曲目「潮騒 (THE WHISPERING SEA)」、3曲目「PAPER DOLL」、4曲目はカヴァー「THIS COULD BE THE NIGHT」、そして最後の5曲目「2000トンの雨 (2000t OF RAIN)」と、全てが名曲で名演が詰まっております。ライヴではお客さんがクラッカーを鳴らす「LET'S DANCE BABY」は、ディレクターの小杉さんが気に入ったので、タツローのソロでは初シングルとなりました。
しかしながら、繰り返しますが結果は75位なわけで、いよいよ後がない状況となったのです。ところがですね、翌1979年1月25日にシングルカットされた「LET'S DANCE BABY」のB面になった「BOMBER」が、大阪のディスコを中心に、今で云うならば「バズった」事で、タツローの音楽人生は一変する事となるのでした。先を急げば、1979年10月21日には4枚目のスタジオ盤「MOONGLOW」を新レーベルのAIRから出せて、20位と躍進して、1980年5月1日に発売されたシングル「RIDE ON TIME」が3位になって大ブレイクするわけです。其の発端となったのは、やはりコノ「GO AHEAD !」でありましてですね、後の定番ライヴ曲も多いし、フィル・スペクター関連でもモダン・フォーク・カルテットの曲「THIS COULD BE THE NIGHT」をカヴァーしていたり、トッド・ラングレンを意識した「潮騒」や、後にヴォーカルを録音し直す「2000トンの雨」などは掛け値なしの名曲です。しかしながら、やはり後に繋がったのは大阪ではA面にしたプロモ盤も出た「BOMBER」のヒットだったわけで、それまでは東京でしか人気がなかったタツローが、日本全国で親しまれる様になったのは「BOMBER」抜きでは考えられないのでした。そもそもボツ曲流用の「LET'S DANCE BABY」を小杉さんがシングルカットする事から始まっているわけですから、何がどうなるかなんて誰にも分かりませんなあ。
(小島イコ)