SUGAR BABEが解散して、タツローよりも早くター坊がソロデビューしたのですが、それには色々とあります。タツローとしては「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」で既にソロとして参加していたわけでしてですね、年間4枚も出さなければならなかったナイアガラじゃないのですから、其の辺は普通の進行だったと思えます。元々はSUGAR BABEと云うのは、ター坊を前グループである三輪車から離脱させようとして、矢野誠さんがタツローや村松さんを紹介して結成されたバンドでした。つまりター坊のソロデビューと云うのは、SUGAR BABE以前から画策されていたわけです。よくSUGAR BABEはタツローのワンマンバンドだとか、独裁体制だったとか云われますが、其れは些かター坊たち他のメンバーを過小評価していると思います。SUGAR BABEはタツローが云う様にバンドであって、決してタツローだけが秀でていたわけではありません。其れは此の1976年12月25日にRCA/RVCから発売されたタツローのソロデビューアルバム「CIRCUS TOWN」を聴けば分かります。ター坊が此のアルバムを聴いて「山下くんはこういう音楽をやりたかったんだなと、コレはSUGAR BABEでは出来ない音楽」と語っていますが、その通りなのです。ター坊のデビューアルバム「Grey Skies」にはあったSUGAR BABEの残り香が、此のアルバムにはありません。
タツローはSUGAR BABEが解散したので仕方なくソロとなったわけで、ソロで契約する条件として海外レコーディングを望み、それ故に契約とレコーディングが難航してター坊よりも後となりました。此のアルバムではSUGAR BABE時代のレパートリーである「WINDY LADY」や、SUGAR BABE時代に美奈子と共作して「FLAPPER」に収録された「永遠に」と「LAST STEP」も収録されているのですが、それらにはもうSUGAR BABEの感触はありません。此のアルバムはSUGAR BABEで挫折したタツローが、曲作りと歌以外は全て他人に委ねて制作された作品で、SUGAR BABEは勿論の事、其の後のアルバムとも違った印象を強く受けます。海外レコーディングはニューヨークとロサンゼルスで行われましたが、ニューヨークでのチャーリー・カレロのプロデュースは高額だった為に、片面はロスでジミー・サイターとジョン・サイターによるプロデュースとなっていて、まあ、かなり難航した様です。チャーリー・カレロに好きなミュージシャンを訊かれて応えたら、「彼らは確かに1967年には一流だった」と云われてしまい、其の発言でタツローの音楽観は大きく変化する事となります。海外録音で華々しくソロデビューしたタツローですが、当時のオリコンチャートでは50位止まりで、後の大ブレイクは到底想像出来ない結果でした。
(小島イコ)