「GET BACK」のジャケットを見ると、中味とはジョンとポールの風貌が合っていないと誰でも気が付くでしょう。アルバム「GET BACK」と映画「LET IT BE」、更に今回のドキュメンタリー「GET BACK」は全てが1969年1月に行われた「THE GET BACK SESSIONS」を元にしていますが、アルバム「GET BACK」用に撮影されて後に「赤盤」と「青盤」に使われたジャケット写真が撮影されたのは1969年5月なのです。其の間にジョンは髪と髭を伸ばし捲り、ポールは髭を剃ってしまったわけですね。なんでそんな事になったのかと云うとですね、アルバム「GET BACK」は原点回帰がテーマだったのでデビューアルバムである「PLEASE PLEASE ME」と同じデザインにする為に、同じ場所で同じカメラマンによって撮影されたからで、まあ、1月にはまだ其の案が固まっていなくて5月になってから撮影したらジョンとポールはもう風貌が激変していたって事でしょう。今回のドキュメンタリー「GET BACK」では1963年と1969年の彼らが合成されたデザインとなっております。そして映画とアルバム「LET IT BE」には中味と合った写真が使われていて、アルバム「GET BACK」用だった写真は前述の通りにベスト盤までお蔵入りとなっていたわけです。
ドキュメンタリーを観ると、1969年1月の段階でアルバム「GET BACK」(後のアルバム「LET IT BE」)の収録曲ばかりか、アルバム「ABBEY ROAD」のほとんどの収録曲と、更には解散後のジョンとポールとジョージのソロアルバムに収録される楽曲までもが既に出来上がっていたりします。膨大な「THE GET BACK SESSIONS」のブートレグで音は聴いておりましたが、例えば後にジョンの「IMAGINE」に収録される「GIVE ME SOME TRUTH」をジョンとポールが一緒に歌っている映像などを観ると、なかなか胸に来るものがあります。ジョージなんかはこの時期がソングライターとしてピークに来ていて、後に3枚組で発表する「ALL THINGS MUST PASS」の収録曲なんてほとんど出来ていたりします。其れでスタジオからポールが消えた途端に、ジョージがジョンに「ソロアルバムを出したい」とお願いして、ジョンから「グループが結束しようとしている時に、ソロかよ」と諫められているのですが、ジョンの横にピッタリくっついているヨーコが「いいと思うわ」と云うとジョンは急変して「いいんじゃないか」と云います。ジョージとしては「お前に訊いてない」だったでしょうけどね。
ところで、1969年1月と云うとビートルズは2枚組30曲入りの「THE BEATLES(「ホワイト・アルバム」)を1968年11月22日に発売したばかりでして、「THE GET BACK SESSIONS」は翌1969年1月2日にはもう始まっているのです。サントラ盤でビートルズの曲は新曲が4曲(しかも全て蔵出し)しか収録されていない「YELLOW SUBMARINE」は、正にセッション中の1969年1月17日に発売されています。何故、ビートルズはそんなに急いでいたのでしょうか。ポールは「前のアルバム(「ホワイト・アルバム」)は、失敗作だった」などと、後に「アンソロジー」で「ビートルズのホワイト・アルバムだ!文句あっか!」などと啖呵を切ったのとは真逆の事を云っています。「ホワイト・アルバム」発売から「THE GET BACK SESSIONS」開始までは僅か一か月余りなのですが、其の僅かな間にジョンがローリング・ストーンズの「ロックン・ロール・サーカス」に出演して、クラプトンやキース・リチャーズたちとスーパーバンド「THE DIRTY MAC」を結成して演奏したのが、かなりポールの気持ちを揺さぶったと思われます。勿論ヨーコの存在もありましたが、ポールは「ヨーコのせいで解散したなんて云ったら、50年後に笑い者にされる」と云ってたりもします。「このままでは、ジョンがビートルズから離れていってしまう」との危機感にポールは焦り、もう一度バンドとしての結束をと云いつつも、実はジョンと昔の様に合作し一緒に演奏したかったのでしょう。
映画「LET IT BE」ではポールがジョンに「君と一緒なら幾らでも演奏するよ」と面と向かって云う場面までありましたが、映画「LET IT BE」がソフト化されないのはポールとジョージの口論が入っているからと推察されてもいました。ところが今回の「GET BACK」では其の「TWO OF US」での口論はもっと長く入っていて、ジョージが自ら「クラプトンを呼べよ」などと自虐的な発言をしていたり、数日後の「GET BACK」をリハーサル中にポールがジョージに向かって「ギターはジョンひとりだけでいい」などと「其れを云っちゃあおしまいよ」発言をぶちかまして、ジョージがジョンに「バンドを辞める、今すぐだ」と脱退を告げて去ってゆくと云う、もうどうしようもない展開までバッチリと描かれていて、しかもそこで第一部が終わってしまいます。エンディングに流れるのは、ジョージのソロの名曲「ISN’T IT A PITY」のビートルズ時代の音源です。翌1970年には本格的なソロアルバムを3枚組で出して大ヒットさせるジョージですが、其のほとんどはビートルズ時代に書いて主にポールによってボツにされ捲った楽曲だったわけで「曲は取り上げてもらえないし、演奏にもいちいちダメ出しされる」状況は耐え難かったでしょう。しかもジョージは「静かなビートル」などと呼ばれていたものの一番社交的で、此の頃には多くのミュージシャンと交流していて、既にクラプトンを呼んだりディランと共作したりしていたわけで、何故ビートルズだと自分が軽視されるのか理解不能だったのでしょう。答えは簡単で、ポールにとって重要なのはジョンだけで、他の二人は眼中になかったって事です。
(小島イコ)