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2013年09月07日

「なぜ、ロビタはロックに破壊されたのか?」

『手塚治虫とキャラクターの世界』 (SAN-EI MOOK)


片瀬那奈ちゃんは「ジョジョの奇妙な冒険」や「GANTZ」を読んでいるとの事で、マンガの趣味も男の子みたいですね。あたくしは学生時代に「漫画研究会」に所属していたのですけど、最近のマンガ事情にはすっかり疎くなりました。図書館で「このマンガがすごい!2013」を借りて眺めたら、知っている作品がほとんどありません。本棚に並ぶのは、手塚治虫先生とつげ義春さんと「あしたのジョー」などなど「昭和のマンガ」ばかり。最近のマンガで買っているのは「闇金ウシジマくん」しかないではありませんか。聴いているのは1960年代から1970年代の洋楽中心で、観るプロレスは「昭和プロレス」ばかりで、映画も古いものが好きで、マンガも大昔のもんばっか後生大事に読み返す・・・「でもね、芸術なんてもんは、古いもんの方が好いんだよん。」(大瀧師匠声で)。マンガなんて読み捨てられるもんと云われていたし、親にはマンガを破られたり燃やされたりしたけれど、そんなわけなかったのは歴史が証明しました。日本のマンガを切り拓いたのは、手塚治虫先生です。小野洋子さんは「もしも英国に手塚治虫さんが居たなら、ジョンはビートルズを結成せず、漫画家になっていたでしょう」とおっしゃいました。

手塚先生の作品で特に好きなのは、「ブラック・ジャック」と「三つ目がとおる」で奇跡の大復活を遂げるまで数年間に渡ってスランプとなり、読者アンケートでも人気が低迷し、「手塚はもう古い!終わった!」と編集者に罵られていた時代の「暗い劇画風の作品群」です。「火の鳥」だと「宇宙編」「鳳凰編」「復活編」などを描き、青年誌では「きりひと讃歌」や「奇子」などの大傑作を描いていたのに、少年誌でのヒット作が出ずに打ち切りが続いていたのです。所謂ひとつの「性教育マンガ」路線も、其の時代に挑戦しました。「ダッチワイフに魂が宿る」とか「オープニングが精子たちが女王卵子へ突撃する場面から始まる、永遠に結ばれない男女の悲劇」とかを少年誌でやらかして、アニメでも「メルモちゃん」でいたいけな少年少女に生涯消えない「トラウマ」を残しやがったのだ。えっと、どこが「終わった!」なのかしらん。其の暗黒時代に、手塚先生はプライドをかなぐり捨てて依頼があるならどんな雑誌にも短編を発表していました。女性週刊誌にまで描いていたのですから、驚きます。其れがまた、面白いのだから困っちゃうのよさ。後に長編となるアイディアなども惜しげもなく短いストーリーに凝縮されていて、スゴイでゴンス。

元々が暗く残酷な手塚作品ではありますが、作風は益々重く暗いものが多くなりました。でも、やっぱり「ヒョウタンツギ」が出て来るんだよナァ。単行本ではカットされたけど「火の鳥 鳳凰編」の我王は、岩に彫られた巨大なヒョウタンツギと遭遇しました。「火の鳥」で特に好きなのは「復活編」で、「未来編」に猿田博士の助手として登場し、ロックにあっさりとぶっこわされてしまったロビタが再登場します。ところが物語は「レオナとチヒロ」の「人間とロボットの禁断のラヴ・ストーリー」と「大量生産されたロビタが集団自殺するストーリー」が時系列を無視して展開されていき、あっ。と驚く結末へと向います。其のスリリングな構成力には、何度読み返しても唸らされます。交通事故によって脳髄の半分以上が人造製となったレオナに映る世界の描写など余りにも独創的で、とても40年以上も前に描かれた作品とは思えません。手塚先生は、其の豊潤な物語を「たったの300頁余り」で描き切ってしまったのだ。「未来編」でマザー・コンピューターによって生み出された「試験管ベイビー」であるロックが、最後のロビタを破壊してしまった「悲劇の重さ」がズシリと圧し掛かり、小学生時代に初めて読んだ時には愕然としてしまいました。「復活編」が発表されたのは、1970年から1971年に掛けてです。日本には、エルヴィスもザ・ビートルズもいなかった。でも、手塚治虫がいました。


「THANX 4 うっぴー☆」 (小島藺子)



posted by 栗 at 23:45| KINASAI | 更新情報をチェックする

「歌手・片瀬那奈☆復活祭」まで、待ったなし!

Shine/REVENGE~未来(あす)への誓い~(初回)(CCCD)(DVD付) TELEPATHY (CCCD)



いよいよ、series epitaph vol.1「ゲキ×ソニック!」まで、一週間となりました。あっ。其れじゃ通じませんね。ココではずっと「レディー・パンドラ復活祭」と表記してまいりました。片瀬那奈ちゃんが昨年(2012年)に舞台で演じられた「レディー・パンドラ」として、劇中では敵であったバンド「サイケデリック・ペイン」のライヴに乱入されると予告されております。9月14日(土)と15日(日)の両日共に、当然ですが駆けつけますが、今回のイベントは正式には「歌手・片瀬那奈☆復活祭」と呼ぶべきだと思います。コレは「片瀬那奈史」に於ける重大過ぎる事件であり、見逃したならば生涯悔やむ事となるでしょう。片瀬那奈ちゃんが観衆の前で純粋に歌い手として登場するのは、2004年12月25日「PIANO GANG STA☆ Vol.11 GIGZOO FINAL」以来、なな、なんと、9年振りなのよさ。

2002年から2005年まで片瀬那奈ちゃんは「歌手活動」を行いましたが、実質的には「2002年11月から2004年12月まで」の「2年間」が「ライヴを行った期間」です。いえ、最後のライヴは「マブダチ・☆くん」のゲストであって、片瀬那奈としてのライヴは「2004年7月」で終了していました。レコードの新作リリースに関して云えば「2002年12月から2004年4月まで」と、たったの「1年半」となってしまいます。其の僅かな期間に遺された音源は「アルバム3枚とシングル6枚、そしてDVD2枚組」で追体験する事が可能です。シングル集とDVDのリリースまで含めても「歌手・片瀬那奈」は「2年半足らず」で消えたのだよ。でも、其の革新的な音楽は消えなかった。其の後、片瀬那奈ちゃんは、2008年には「一曲限定」での新曲も発表され、2009年には「美月うらら」として童謡を歌い踊って「助演女優賞」を獲得!2012年には「桜井玲奈」と「レディー・パンドラ」として劇中で歌い踊りました。どちらも観衆を前にしたライヴではありましたが、其れは「女優・片瀬那奈」としての姿です。其れでも「カエルの王女さま」のロケにエキストラ参加して歌って踊る片瀬那奈ちゃんを目撃した時には、感動してしまって涙が溢れてしまったのだ。

何度となく語って来たけれど、もしも片瀬那奈ちゃんが歌手になってくれなかったなら、こんなにも夢中になって追いかける未来はなかった。那奈ちゃんは、其れまで積み上げて来たキャリアを全て捨てて「音楽活動」へ向ったのです。グラビア・アイドルやモデルや女優さんが「歌もやる」なんて普通なのに、那奈ちゃんは「中途半端な事はやりたくない!」と宣言して、歌手活動に専念してしまったのだ。「片瀬那奈 二十歳の大決断!」でした。そして、其れは「嘘偽りの無い、真剣そのものの挑戦」でした。テレビから消えて、地道なラジオでのプロモーションやライヴ活動を行った「歌手・片瀬那奈」は、世間に「あのひとは今?」と揶揄されつつも、ファンの前に立ち続けた。「ゲキ×ソニック!」は「演劇から飛び出したバンドによるライヴ」と謳われておりますが、つまりは「ライヴ」なのよさ。かつては「女優をやるから、モデルには戻らない!」とか「歌手をやるから、女優は休業します!」とか「女優に戻るから、歌手はヤメます!」とか「結婚したら、仕事はヤメます!」とかぬかしていた「かたちん」ですが、デカクなりました。堂々と「女優」も「司会」もこなしている現在、遂に「歌手」も復帰です。

「迷わず観るのだ、観れば分かるさ!」


「片瀬那奈がきこえる INDEX」
「歌のおにいさん」INDEX
「カエルの王女さま」INDEX
「サイケデリック・ペイン」INDEX(完全版)

そして・・・

「怪優・片瀬那奈・進化論」INDEX
「第壱回・片瀬那奈・怪優グランプリ」INDEX 完全版
「片瀬那奈ちゃん、平成仮面ライダー・キラー伝説」



空想格闘メタフィクション

「千秋万歳」

COMING SOON !



(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする