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2013年07月04日

「2013年7月4日の片瀬那奈ちゃんブログ」

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未亜:姐御!女子マネちゃんがボキのリクエストに応えてくれた、片瀬那奈ちゃんの「たべものがたり 彼女のこんだて帖」衣装紹介の第二弾を更新しましたよっ。

イコ:おいおい、未亜たんはすっかり「あまちゃん」推しに転んだんじゃなかったの?

未亜:な、なな、何を最近わけが分からない風説を撒き散らしているのですかっ。ボキは「片瀬那奈ちゃん命」ですってばさ。誰ですか?能年玲奈ちゃんって?わしゃ、知らん!そんな奴、知らないだーっ!

イコ:お前さんは、加藤嘉かよっ。あたくしは「あまちゃん」としか云っていないのに、何ゆえ能年玲奈ちゃんの名前が出てくるのよさ。

未亜:ズキッ!其れは、ホラ、まあ、人気者だから「あまちゃん」なら、誰でもそー思うでしょ?

イコ:本日の「東スポ」一面は「あまちゃん」だったけど「橋本愛ちゃん」だったぞ。

未亜:と、兎も角、片瀬那奈ちゃんの「たべものがたり 彼女のこんだて帖」は素晴らしいじゃありませんかっ。ボキもリクエストした甲斐がありましたよっ。

イコ:別に未亜たんがリクエストしなくとも、女子マネちゃんはアップしたと思うけどね。もういいから、大人しく「あまちゃん」でも観ていなさい。未亜たんが居ないと、あたくしが好き放題に「枝葉ネタ」を書けて嬉しいのよさ。「かたちん」なら、来週からいっぱい話題があるざんしょ。今は「枝葉の季節」なのだから、未亜たんは思う存分に能年玲奈ちゃんを追っかけていなさいナ。其れとも、橋本愛ちゃん推し?もしかして、他の「GMT」メムバー推し?てか、水谷さん&蘭ちゃんは本当に仲良し夫婦だね。

未亜:てかって、アータはノホホンと「徹子の部屋」を見ているじゃん!「地上波は、片瀬那奈ちゃんと内山理名ちゃん出演番組しか、もう観ていません」とか云っていて、姐御は大嘘つきですねっ。

イコ:だって、ホラ、「徹子の部屋」には「那奈理名」も出ただろ。うっかり、VTRが流れるかもしれないじゃん。出なかったけど、「カタセカイ住人」は満載だったしさ。BSとCSに比重を置き過ぎて「うっかりさん」しちゃった前轍を踏まぬ様に、地上波にも目を光らせる様にしたのよさ。心配しないで、あたくしは「かたちん」推しだから、愛する「うっかりさん」も捨てる覚悟、決めました。

未亜:嘘ですねっ。ランちゃんが出ていたから観て居たんでしょ。其れに何なんですか「うっかりさん」って?田中裕子さんでしょ?姐御は大昔から「DD」じゃん!

イコ:そーよ。あたくしはキャンディーズのファン倶楽部にも入っていたし、ランちゃん推しです。其れに、水谷さんは手塚先生原作の「バンパイヤ」以来のファンなのよさ。ジュリーの奥さんもデビュー当時からのファンだって云っているでしょーが。ショーケン目当てだけど、弟が出てた「極妻」まで録画したんだぞ。悪い?(ミサミサ声で)

未亜:だったら、ボキが「能年玲奈ちゃん推し」でもいいじゃん!

イコ:なるほど、やっぱりそーだったのね。捨てられた「かたちん」が可哀相でならないわ。

未亜:酷いよ・・・姐御。


【2013年7月4日の更新記事】
 『たべものがたり〜彼女のこんだて帖』A(女子マネちゃん)


(小島藺子/姫川未亜)



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【オマケ】(壇上みき、走る!)
【公式】ショムニ2013 第1話予告(フジテレビ 7/4)


posted by 栗 at 21:29| 7D | 更新情報をチェックする

「あしたはどっちだ 2」

あしたのジョー2 サントラ


片瀬那奈ちゃんの追っかけブログなのに、連日連夜「枝葉ネタ」で、どーもすいません。あたくしは「女子マネちゃん」でも「新マネちゃん」でもありませんので、片瀬那奈ちゃんが「ショムニ 2013」の撮影でスーツ姿を披露されたとか、はたまた片瀬那奈ちゃんが「ポスター撮り」をされたなんてこたぁ、全く知るよしもございません。あたくしが知る「かたちん」とは公的に現れてナンボでありまして、事前の裏話で仄めかされてもチンプンカンプンなのよさ。そーゆー「かたちん」の事前情報にも興味深々な未亜たんが、最近じゃすっかり「じぇじぇじぇヲタ」となってしまいましたので、あたくしはコレ幸いとばかりに、思う存分に「枝葉ネタ」を書けるのです。未亜たんの気を逸らして下さった能年玲奈ちゃんには、心から感謝しておりますよ。てか、能年玲奈ちゃんって手塚治虫先生の「人間ども集まれ!」に出てくる「リラ(無性人間・未来のお母さん)」に横顔がソックリだと、あたくしは思うのです。

と、強引に「マンガ・ネタ」へ持って行ってですね、「あしたのジョー」でございます。あたくしは原作マンガを何度も「買っては売り」を繰り返してまいりました。数年ごとに新版として発売されますので、紙媒体なので新しい方が保存に宜しいわけですよ。でもですね、先日にCSで1970年の実写版を観て、ジョー(石橋正次さん)が丹下段平を「メッカチの拳闘キチガイじじい!」と連呼していて、アレレ?と思いました。最近出ている「あしたのジョー」では、そんなセリフはありません。それで、古本屋さんへ行って、1977年版(ちばてつや漫画文庫)全20巻を「税込み二千五百円」で購入しました。そうです、其の通りです、他の多くの作品にも云えますが、いつの間にか「言葉狩り」が行われていて、所謂ひとつの「差別用語」が改変されているのでした。確かに、非常にデリケートな問題です。手塚先生の著作に「読者の皆様へ」と巻末に掲載されているのを知っている方々も多いでしょう。

1977年文庫版の「あしたのジョー」は、未だ「言葉狩り」が現在ほど進んでおらず、例えば、ジョーは段平を普通に「めっかち」とか「拳キチ」と云っています。ジョーは、見たまんまに云っているだけです。白木葉子お嬢様まで、平気で「きちがい」を連呼しているではありませんか。力石を殺してしまったと思い、テンプルを撃てなくなったジョーを、段平は「やろうはかたわだ!」と絶叫します。ホセ・メンドーサが恐怖に慄き、ジョーに反則(偉大なる世界チャンピオンが半狂乱状態となり、両腕を振り下ろし、エルボーを炸裂させ、制止するレフェリーも振り払い、頭を抱え込んでタコ殴りした上に投げ飛ばす!)をすれば、セコンドの段平は「き・・・気ちがいやろうめっ・・・」と吐き捨てます。「差別用語」に関して語ると長くなりますし、色々と問題も生じるのですけど、原作が書かれた頃には自主規制もなかったし、何よりも作者は「差別する意識でそれらの表現を使ったのではない」事は明白でしょう。

石森先生の名作「サイボーグ009」で改造人間である「004」が「俺たちは、いってみりゃ、かたわなのさ」と自嘲するセリフが「俺たちは、いってみりゃ、身体障害者なのさ」に改変されたりもしましたが、えっとですね、あたくしは改変されたセリフの方が「差別を助長させている」と感じます。「004」は、決してそんな意味で云ったのではないでしょう。今や「障害者」の「害」の字まで「差別」だとかで、「障がい者」と書くべきなのだそうです。言い換えを行うと「何々が不自由な」等とされ、より「不自由」な部分が具体的に分かる様になってしまいます。ちなみに段平の「やろうはかたわだ!」は、近年では「やろうは欠陥品だ!」に変わっていました。其れも如何なものか?と思われる言い換えです。最近ではCSでの放送でお分かりの様に「差別を助長する意図はない」「作品のオリジナリティを尊重する」として、オリジナル通りの放送や出版も行われる様になっています。お断りしておきますが、あたくしは、決して差別を助長したくて此の文章を書いたのではありません。但し、あたくしもジョーと同じで丹下段平は「メッカチの拳闘キチガイじじい」だと思うし、ホセ・メンドーサの暴走は「キチガイ沙汰」だとしか思えません。


(小島藺子)



posted by 栗 at 17:43| KINASAI | 更新情報をチェックする

「1975年のスタン・ハンセン」

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片瀬那奈ちゃんの追っかけブログなのに、枝葉の「プロレス・ネタ」で、どーもすいません。と、最早お約束の前振りをしておいて、親愛なる片瀬那奈ちゃんや片瀬那奈ちゃんファンにもおべんちゃらをかまして、思う存分に「プロレス・ネタ」を語りましょう。あたくしは、最強タッグ・チームと云ったら「ハンセン・ブロディ組」しか考えられません。文句無しに、強かった。でも「ハンセン・ブロディ組」と云われるのですから、其れはつまり「ハンセンの方がブロディよりも格が上」となるのです。例えば「BI 砲」である「馬場・猪木」然りですし、ジャンボ鶴田と天龍源一郎は「鶴龍」と呼ばれました。ドラマや映画のクレジットと同じく、前に記される方が上なのです。ちなみに、入場とコールは「後の方が格上」です。其れが原因で長州は藤波との抗争となりました。「ミラクルパワーコンビ(超獣コンビ)」と称された「ハンセン・ブロディ組」は、全日本プロレスで花開きました。元々、ハンセンもブロディも初来日は全日マットです。外国人レスラー招聘ルートは、圧倒的に馬場さんが優っていました。ジャイアント馬場はアメリカでも成功した大物レスラーでしたが、アントニオ猪木は(「アリ戦」以前は)日本でだけ知られている存在だったのです。

スカパー!の「日テレG+」で「プロレスクラシック」を放送していて、今月は貴重な「ハンセンやブロディの初来日時映像」が流されています。ブロディは、初来日から御馴染みのスタイルが確立されていて、なな、なんと、タッグマッチながら「ジャイアント馬場からフォールを奪う!」と云う破格の待遇でした。対して、ハンセンの初来日映像(1975年)はと云いますと、「アントン・ヘーシンクに逆エビ固めでギブアップ負け!」とか、「ザ・デストロイヤーに四の字固めでギブアップ負け!」などと、見るも無惨な負け役です。アマリロの「ファンク道場」で同期生だったジャンボ鶴田にも、シングル三戦全敗!しかも、ハンセンの風貌が皆さん御存知の其れとは全く違っています。若き日のスタン・ハンセンは、ブロンドの髪を肩まで長く伸ばし、髭も口元だけではなく顎にもボーボー状態なのだ。俄かにハンセンとは思えない程に、全くイメージが違います。大卒でプロフットボール球団を経て教職にも就いた「文武両道」ながら「負け役」を演じて帰国したハンセンは、ブルーノ・サンマルチノをアクシデントで病院送りにしてしまい、米国マットで干されてしまいます。ところが猪木は、不遇となったハンセンを「サンマルチノの首を折った男」として拾い上げます。

ハンセンがブレイクしたのは、1977年に新日本プロレスへ鞍替えしてからなのですが、馬場さんも「別に、ハンセンなら猪木に持ってかれてもかまわんよ」としか思っていなかったでしょう。事実、ハンセンは猪木との激闘を繰り返して大スターとなったわけで、移籍した当時には「馬力だけの不器用なレスラー(馬場さん談)」でした。そんな木偶の坊を、猪木は丹精込めて自分のライバルに育て上げたのです。ハンセンをブレイクさせたのは猪木である事実は、万人が認めるでしょう。猪木との数々の名勝負!アンドレとの超ど迫力な一騎打ち!何度も「ウエスタン・ラリアート」を喰らい続けた長州力が「リキ・ラリアット」を開発!等、大活躍!しかも、云わばヒールの外国人レスラーなのに絶大な人気を博したのです。ところが、人気絶頂となった1981年12月に、突如ハンセンは全日マットへ乱入します。内情は引き抜きで、新日にブッチャーを取られた報復でした。ハンセンとブロディは旧知の仲で若手時代にタッグも組んでおりましたから、晴れて「超獣コンビ」として再結成となります。

ブロディの初来日は、1979年とハンセンよりも随分と後で、当時は「未だ見ぬ強豪」として有名でした。実際に猪木も招聘に動き、1977年には「一番強い奴とやりたい。サンマルチノの首を折ったハンセンが一番強いかというと、あれは偶発的なものでハンセンの実力じゃないという声もある。どうもブルーザー・ブロディというのが一番骨があるらしい」と語っております。何気にガチ発言なのが、猪木らしいですね。後に念願の「運命の対決」となるのですけど、既に全盛期を過ぎた上に、もう出来上がっていたブロディとは名勝負を演じられなかった「落日の闘魂」が居ました。いや、猪木はブロディと「信頼関係」を築く事が出来なかった。結局は馬場さんに持って行かれたのだけど、前述の通り、最初から馬場さんは「自らフォール負けする」など破格の待遇(ブロディは初来日で馬場に反則負けした試合以外は全勝!)でした。其の後もジャンボ鶴田や天龍源一郎と名勝負を繰り広げ「全日の最強外国人レスラー」との地位を確立してゆきます。

ところが、出戻りのハンセンと組んだら明らかに自分が格下扱いの「ハンセン・ブロディ組」になってしまったのです。其の不満は、後に新日へ移籍と云う事に繋がりますが、ブロディとハンセンは親友だから、ブロディの移籍理由はズバリ云って「金」でしょう。兎も角、ブロディは初来日時からエリートでした。なのに何故、ハンセンが戻って来たら格下扱いされたのか?其れは、当時の「新日と全日の差」から生じたのでしょう。新間が「今はプロレス・ブームではなく、新日本プロレス・ブームなのです!」と豪語した程に、我が世の春を謳歌していました。そして、日本人は海外で評価を得てから満を持して初来日しエリート外国人として君臨したブロディよりも、最初は木偶の坊のグリーンボーイだったのに猪木と闘う事でメキメキと強くなっていったハンセンを圧倒的に支持したのです。正に、リアル「スポ根」ですからね。自らの経験を、ハンセンは四天王を育てる事で継承しました。もう、ハンセンは半分くらいは日本人ですよ。実際に奥さんは日本人で、日本にも家を建てちゃったんだからさ。ブロディも大好きだけど、やっぱり、二者択一なら、ハンセンだナァ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:57| KINASAI | 更新情報をチェックする