nana.812.png

2012年11月14日

「えっと、もうすぐ片瀬那奈ちゃん歌手デビュー10周年なんですけど」

GALAXY/TELEPATHY (CCCD) TELEPATHY (CCCD)


先日、近所の大手スーパーの家電コーナーに行って「DVD-R」と「CD-R」を買ったのですが、何やらワゴンで「CD」と「DVD」が叩き売りされていたのです。何かしらん?と見たら、おいおい、エイベックスの廉価版ではありませんか!すわっ、コレは大変だと全タイトルの曲目をチェックしたのだけど、片瀬那奈ちゃんの名前はありませんでした。えっとですね、そろそろ廉価版でも構いませんので、せめてアルバム「TELEPATHY」とミニアルバム「EXTENDED」を「CDDA」で再発していただけないでしょうかしらん。片瀬那奈ちゃんの歌手デビューが公式発表されたのは「2002年11月12日」で、初めてのライヴは「2002年11月22日」で、デビュー・シングル発売日が「2002年12月4日」です。正に、今、此の時期が「片瀬那奈ちゃんの歌手デビュー10周年!」なのです。

片瀬那奈ちゃんのエイベックスでのリリースは、2002年12月4日から2005年3月2日までで、シングルが「6枚」とアルバムが「3枚」の、計「9枚」です。いえ、そんなもんじゃないって話はたっぷりと語りました。然し、音源としては「9枚」でいいでしょう。其の内、なな、なんと、2005年3月2日発売の「RELOADED」のみが「CDDA」であり、他は全て「CCCD」なのです。2012年の世界では「CCCD」なんぞと云うコトノハの意味を知らない方々も多いでしょう。「CCCD」とは、「Copy-Controlled Compact Disc」の略で「コピーコントロール CD」と呼ばれておりました。そうです、其の通りです。此処の原題である「COPY CONTROL」の語源であります。

あたくしが2004年に片瀬那奈ちゃんを語るブログを立ち上げた時に「COPY CONTROL」と命名したのは、当時の片瀬那奈ちゃんは歌手活動を中心としており、それなのに音源が全て「CCCD」でしか発売されていなかった事への揶揄です。エイベックスは、2002年から2004年に「CCCD」を導入しましたが、不評でやめました。たったの三年と云うなかれ。欠陥商品である「CCCD」をエイベックスが売り続けた其の三年間とは、正に「歌手・片瀬那奈の現役時代」だったのだ!シングル集の「RELOADED」を「CDDA」で出しただけでは、到底許される事ではありませんよっ。「歌手デビュー10周年」となった2012年には、片瀬那奈ちゃんはドラマ「カエルの王女さま」と舞台「サイケデリック・ペイン」で歌って踊りました。御本尊様からの慈愛の手が差し伸べられたと、エイベックスは気付くべきです。片瀬那奈ちゃんの素晴らしい音楽を「CCCD」なんぞで出しやがった罪は永遠に消えませんが、罪をつぐなう事が出来るのです。さあ、今こそ、「TELEPATHY」と「EXTENDED」を、せめて「CDDA」で再発しなさい!もしもアナログ盤だったら、綺麗サッパリと過去の罪状は忘れ、恩赦です。


「片瀬那奈がきこえる INDEX」


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 15:33| YUMEKAYO | 更新情報をチェックする

BOOT-027:BAD TO ME

ビリー・J・クレイマーとダコタス Abbey Road 1963-1966


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 1963年5月に作詞作曲

 (ビリー・J・クレマー&ザ・ダコタス盤:1963年7月26日発売 パーロフォン R5094)


ブライアン・エプスタインがマネジメントして、ジョージ・マーティンがプロデュースする、と云うビートルズとおんなじパターンは他にも多くあります。エプスタインとマーティンは「ビートルズが売れるぞ!」と予感し、次々と自らの手で後追いバンドを手掛けました。そして、レノン・マッカートニーに楽曲を提供させているのです。ビートルズを中心として似たようなバンドもドンドンと売っていく戦略は、50年後の「AKB48」と何ら変わりません。「初期ビートルズ商法」は革新的であり、半世紀後でも通用するわけです。ビートルズの成功に後追いして多くのバンドが出てきますが、例えばローリング・ストーンズは「ビートルズが発掘し、自分たちを落としたデッカに紹介している」のです。マネジャーのアンドリュー・ゴールダムは、ブライアン・エプスタインの弟子です。もう何もかもが、ビートルズ絡みで仕掛けられたとしか思えません。

其れは、丸っきり「AKB48」が核となって「アイドル戦国時代」なんぞと謳われ、其の中から「ももいろクローバーZ」などが台頭して来る図式と酷似しております。更に云えば、ブライアン・エプスタインがやらかしたのは「ジャニーズ」の先駆けだったとも思われます。きっと、エプスタインは次々とビートルズの弟分を発掘してデビューさせ、エプスタイン帝国を創りたかったのでしょう。いえ、別に深い意味はありません。でも、やっぱりエプスタインは「ジョン・レノンがすべて」の人だったのです。其れで、ビートルズのレコーディングにも顔を出して、うっかり意見したら、ジョンに「ブライアン、あんたは金勘定だけしてろ!」と云われて、しょんぼりしちゃうのだ。

そんなわけで、ビリー・J・クレマー&ザ・ダコタスは、デビュー・シングルが「DO YOU WANT TO KNOW A SECRET」(B面は「I'LL BE ON MY WAY」)、二枚目が「BAD TO ME」(B面は「I CALL YOUR NAME」)と二枚連続で全てが「レノン・マッカートニー作品」で連続して全英首位の大ヒット!其の後も「I'LL KEEP YOU SATISFIED」や「FROM A WINDOW」を提供され、思いっ切り優遇されました。結局はザ・フォアモストに提供する「I'M IN LOVE」も、ビリー・J・クレマー&ザ・ダコタス用だったとも云われます。そもそも、ジョン・レノンがわざわざ書き下ろしの新曲を提供するって云うのがトンデモない事です。

此の「BAD TO ME」は、ジョンがエプスタインと二人でスペインに旅行した直後に書かれた曲です。ゲイであるエプスタインは完全にジョンに惚れていましたし、二人っきりで異国へとなれば「怪しい」とも思えますが、問題はそんな事ではありません。エプスタインは旅行中に、ジョンに「僕がマネジメントする他のバンドにも曲を書いて欲しい。ポールにも伝えてくれないか」と頼んでいるのです。其れで、ジョンとポールはソングライターとして成長するわけですよ。「BAD TO ME」はなかなか好い曲なので、出来ればビートルズのヴァージョンも聴きたかったのですが、ジョンによるホーム・デモしか残されていません。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:27| FAB4 | 更新情報をチェックする