プロデューサー:ヴォイル・ギルモア、ジョージ・マーティン
エンジニア:ヒュー・デイヴィス、ピート・アボット、ジェフ・エマリック
歌と演奏:ザ・ビートルズ
(録音:1964年8月23日、1965年8月29日、30日)
1977年5月4日(米国)、5月6日(英国) アルバム発売
キャピトル SMAS-11638、パーロフォン EMTV-4 (ステレオ)
side-A1. TWIST AND SHOUT (1965年8月30日)
2. SHE'S A WOMAN (1965年8月30日)
3. DIZZY MISS LIZZY (1965年8月29日、30日)
4. TICKET TO RIDE (1965年8月29日)
5. CAN'T BUY ME LOVE (1965年8月30日)
6. THINGS WE SAID TODAY (1964年8月23日)
7. ROLL OVER BEETHOVEN (1964年8月23日)
side-B1. BOYS (1964年8月23日)
2. A HARD DAY'S NIGHT (1965年8月30日)
3. HELP ! (1965年8月29日)
4. ALL MY LOVING (1964年8月23日)
5. SHE LOVES YOU (1964年8月23日)
6. LONG TALL SALLY (1964年8月23日)
ビートルズは、米キャピトルの要請で1964年8月23日と1965年8月29日、30日のハリウッド・ボウル公演を正式レコーディングしました。然し、3トラックで録音された音源は当時の劣悪なライヴ環境(モニターがなく観客の絶叫が凄まじく、ビートルズは自分たちが歌い演奏している音が全く聴こえていなかった!)で、とても発売出来る内容ではありませんでした。十余年の時が過ぎ、キャピトルに「こんなの出て来たけど、、、(商売にならないかナァ?)」と其のテープを聴かされたジョージ・マーティンは「此れは歴史的遺産だから遺さねばならん!よし、分かった。私に任せなさいっ」とばかりに、ジェフ・エマリックと共に、マーティン所有のエア・スタジオで丹念に音源を磨き上げ、ベストのテイクを選びアルバムにしました。自分のスタジオでやったのですから、スタジオ代はチャラでしょう。編集盤のリミックスもノー・ギャラでしたし、マーティンさん、好い様に使われちゃってますね。「マーティンはビートルズに関しては、銭よりもプライドを選ぶアホやから、乗せてタダでもろとけばええんや」てなもんや。
1977年になってようやくビートルズの公式ライヴ盤が発表されたのは色々と事情はあるのですが、1962年にハンブルグのスタークラブでビートルズが行ったライヴを当時の家庭用テープ・レコーダーでモノラル録音した音源が、1977年4月にドイツで発売された事も関係しているのでしょう。其のテープの存在はビートルズも知っていたどころか、1972年にはアップル(ジョージとリンゴ)に売り込みに来られていました。しかし、当時は財政難だったアップルは買取を拒否し「どうせ著作権があるから発売など出来まい」と高を括っていたのです。ところが「イギリスでダメでも、ドイツなら平気だよ〜ん」と「Live ! at the Star-Club in Hamburg, Germany; 1962」は発売され、「ドイツで平気だったから、イギリスでも出すのだ!」と訴訟覚悟で強行発売しました。
慌てたビートルズは訴訟を起こすものの「此れは歴史的な文化遺産だから出して宜しい!」との判決でまさかの敗訴!アメリカや日本でも普通に堂々と発売されてしまいました。無名時代のライヴで録音状態も最悪なレコードを出された侭では堪ったもんじゃありませんので、ジョージ・マーティン&ジェフ・エマリックが「こっちが本物だ!」とばかりに対抗したのでしょう。驚くべき事に、13年も前の実況録音盤が英国1位、米国3位の特大ヒットとなってしまいます。「やっぱり、ビートルズは売れるナ」とレコード会社はホクホクですよ。「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」は、ビートルズ唯一の公式ライヴ盤ですが、未だにCD化されてはいません。
(小島藺子)