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2012年10月01日

「シューイチスピンオフ 庵野秀明・樋口真嗣が語る『特撮博物館』のすべて!」

館長 庵野秀明 特撮博物館 会場限定 巨神兵東京に現る ヴィネットフィギュア 「巨神兵現わる」カラーver


CS 日テレプラス 23:00〜24:00

【リピート】
 10月3日(水)19:00〜20:00
 10月4日(木)11:00〜12:00
 10月6日(土)1:00〜2:00
 10月6日(土)19:00〜20:00

日テレ毎週日曜あさ8時から放送中の「シューイチ」MC・中山秀征と片瀬那奈が、「特撮博物館」の会場へ! そこには、本博物館「館長」を務める庵野監督や、企画制作協力をしたスタジオジブリらスタッフが手を尽くして集めた、日本の特撮史を彩る「貴重なミニチュア」と「特撮に関する資料」の数々が…

【出演】 中山秀征、片瀬那奈、庵野秀明、樋口真嗣


7月10日に始まった「特撮博物館」開催期間も、早いもので10月8日の終了日が近づいてまいりました。「シューイチ」では7月15日に取り上げ、7月22日には関東限定で『「館長庵野秀明・特撮博物館」SP コレが決定版!最強特撮ベスト10』が放送されています。

今回、CS 日テレプラスで放送されるのは其の時の映像の再編集版の様です。尺も長くなっておりますしインタビューや対談を中心にした構成になって、未公開映像も含まれるのでしょう。五回リピートされるみたいですので、視聴可能な方々は是非とも「巨大化し暴れる片瀬那奈ちゃん」を御覧になって頂きたいと思います。


【参考過去記事】
 2012年7月15日:「シューイチ」#065
 2012年7月22日:『「館長庵野秀明・特撮博物館」SP コレが決定版!最強特撮ベスト10』


(小島藺子)



posted by 栗 at 23:07| TV | 更新情報をチェックする

「LET IT BE」INDEX

レット・イット・ビー


 プロデューサー:フィル・スペクター
 エンジニア:ピーター・ボーン
 歌と演奏:ザ・ビートルズ

 (録音:1968年2月4日〜2月8日、1969年1月22日〜1月31日、1970年1月3日〜4月1日)

 1970年5月8日 アルバム発売(最高位、英米1位)
 アップル(パーロフォン) PCS 7066(ステレオ)


side-A

1. TWO OF US
2. DIG A PONY
3. ACROSS THE UNIVERSE
4. I ME MINE
5. DIG IT
6. LET IT BE
7. MAGGIE MAE

side-B

1. I'VE GOT A FEELING
2. ONE AFTER 909
3. THE LONG AND WINDING ROAD
4. FOR YOU BLUE
5. GET BACK


ビートルズの第12作目となるオリジナル・アルバム「LET IT BE」は、彼らのラスト・アルバムです。但し、ほとんどの音源は1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」を元にしており、本来なら「ABBEY ROAD」よりも前に発表されるはずでした。内容に納得しなかったビートルズは、グリン・ジョンズによってまとめられたアルバム「GET BACK」を二度もダメ出し!あわや幻の音源となるかとも思われましたが、映画公開が決定しており、サントラ盤としてのアルバムを出さなければとなります。其れで、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、アラン・クライン、ついでにリンゴ・スターが、フィル・スペクターに依頼するのです。よーするに、スペクターは頼まれたから要望に応えるべく頑張っただけなのだ。

特に強く推したのはジョンの様で、ジョージ・マーティンは「THE GET BACK SESSIONS をオーヴァー・ダビングなしで行うと望んだのはジョンだったのに、そのジョンが過剰なオーヴァー・ダビングを許して作り直させていると聞いた時には、流石に驚いたよ」と語っております。マーティンよりも驚愕したのは、何の相談も無しにスペクター起用が決められ其のアレンジを聴いたポール・マッカートニーでした。ハブにされたポールは怒髪天を突き発狂モードとなり「ビートルズ脱退宣言」をぶちかまし、其れを知った(先に脱退したのに公表を禁じられていた)ジョンは怒り百万馬力でポールを憎み、ビートルズは崩壊します。

各曲解説でも散々と繰り返し書いていますが、あたくしはアルバム「LET IT BE」をプロデュースしたフィル・スペクターの手腕を大いに評価しています。確かに「THE LONG AND WINDING ROAD」は些かやり過ぎだったかもしれませんが、「THE GET BACK SESSIONS」に関して過剰なオーヴァー・ダビングをしたのは其れだけです。「ACROSS THE UNIVERSE」と「I ME MINE」は、そもそも「THE GET BACK SESSIONS」音源ではありませんからね。少なくとも「LET IT BE...NAKED」なんてヘッポコ盤の十万光年倍は好い作品ですよ。フィル・スペクターはイカレポンチの大奇人ですけど、其れと作品の評価は全く別です。イカレポンチで大奇人って云い出したら、ビートルズだって他の多くのミュージシャンだって変わらないじゃん。


(C)2002-2012 (小島藺子/姫川未亜/鳴海ルナ)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする

「ABBEY ROAD」INDEX

アビイ・ロード


 プロデューサー:ジョージ・マーティン
 エンジニア:ジェフ・エマリック、フィル・マクドナルド、他
 歌と演奏:ザ・ビートルズ

 (録音:1969年2月22日〜8月20日)

 1969年9月26日 アルバム発売(最高位、英米1位)
 アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)


side-A

1. COME TOGETHER
2. SOMETHING
3. MAXWELL'S SILVER HAMMER
4. OH ! DARLING
5. OCTOPUS'S GARDEN
6. I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)

side-B

1. HERE COMES THE SUN
2. BECAUSE
3. YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY
4. SUN KING
5. MEAN MR. MUSTARD
6. POLYTHENE PAM
7. SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW
8. GOLDEN SLUMBERS
9. CARRY THAT WEIGHT
10. THE END
11. HER MAJESTY


ビートルズの第11作目オリジナル・アルバム「ABBEY ROAD」は、実質的なラスト・アルバムと云われています。ビートルズは1969年1月に「THE GET BACK SESSIONS」を敢行し、それをまとめたアルバム「GET BACK」が1969年5月に完成しました。ところが、色々とあってですね、其の音源は1970年5月にアルバム「LET IT BE」となるのです。ゆえに、録音順だと「ABBEY ROAD」が最後とされるわけですよ。でもですね、アルバム「LET IT BE」には「ABBEY ROAD」以後に録音された音源も含まれています。然し乍ら、ビートルズ四人が揃って録音した最後の音源は、確かに「ABBEY ROAD」です。

「THE GET BACK SESSIONS」の失敗から、ポール・マッカートニーは再びジョージ・マーティン&ジェフ・エマリックと組んでガツン!と一発決めたいと思いました。ポールはマーティン&エマリックに頭を下げ「前みたいに、ちゃんとレコードを作りたい」とお願いします。アレだけ屈辱を味わいビートルズに匙を投げた二人が本気を出して加わったのですから、ビートルズ(特にポール)も反省したのでしょう。いや、誰もが「もう、コレが最後になるかもしれない」と覚悟して挑んだとしか思えない緊張感があります。素晴らしい名演ばかりが揃っていて、B面メドレーには圧倒されますが、どこか冷めたビートルズが居ます。「COME TOGETHER」をジョンと歌ったポールが「昔の様には、ハモれなかった」と云ったのが、とっても切ないです。

1969年9月17日にアメリカアイオワ州ドレイク大学の学生新聞に「ポール死亡説」が掲載され、瞬く間に噂が広まった時にタイミングよく「ABBEY ROAD」が発売されました。「ポール死亡説」の根拠は全てビートルズの楽曲やアルバム・ジャケットにあるとされ、余りにも多くのヒントがビートルズ自身によって示唆されていたので「自作自演ではないのか?」との疑惑もあります。何にせよ、「ポール死亡説」によってアルバム「ABBEY ROAD」の売り上げが増したのだけは事実です。

キング・クリムゾンのデビュー・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」が「ABBEY ROAD」をチャート首位から引き摺り下ろし「新旧交代」が成し遂げられた!と云うのは、かなり盛っています。確かに「クリムゾン・キングの宮殿」は傑作ですが、英国では最高5位、米国では最高28位です。てか、「チャート首位から引き摺り下ろした」のが誰であろうが、「ABBEY ROAD」は18週連続首位!で、もう四ヶ月半も首位だったんですから自然に落ちますよ。


(C)2002-2012 (小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする