プロデューサー:ジョージ・マーティン
エンジニア:ジェフ・エマリック、フィル・マクドナルド、他
歌と演奏:ザ・ビートルズ
(録音:1969年2月22日〜8月20日)
1969年9月26日 アルバム発売(最高位、英米1位)
アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)
side-A
1. COME TOGETHER
2. SOMETHING
3. MAXWELL'S SILVER HAMMER
4. OH ! DARLING
5. OCTOPUS'S GARDEN
6. I WANT YOU(SHE'S SO HEAVY)
side-B
1. HERE COMES THE SUN
2. BECAUSE
3. YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY
4. SUN KING
5. MEAN MR. MUSTARD
6. POLYTHENE PAM
7. SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW
8. GOLDEN SLUMBERS
9. CARRY THAT WEIGHT
10. THE END
11. HER MAJESTY
ビートルズの第11作目オリジナル・アルバム「ABBEY ROAD」は、実質的なラスト・アルバムと云われています。ビートルズは1969年1月に「THE GET BACK SESSIONS」を敢行し、それをまとめたアルバム「GET BACK」が1969年5月に完成しました。ところが、色々とあってですね、其の音源は1970年5月にアルバム「LET IT BE」となるのです。ゆえに、録音順だと「ABBEY ROAD」が最後とされるわけですよ。でもですね、アルバム「LET IT BE」には「ABBEY ROAD」以後に録音された音源も含まれています。然し乍ら、ビートルズ四人が揃って録音した最後の音源は、確かに「ABBEY ROAD」です。
「THE GET BACK SESSIONS」の失敗から、ポール・マッカートニーは再びジョージ・マーティン&ジェフ・エマリックと組んでガツン!と一発決めたいと思いました。ポールはマーティン&エマリックに頭を下げ「前みたいに、ちゃんとレコードを作りたい」とお願いします。アレだけ屈辱を味わいビートルズに匙を投げた二人が本気を出して加わったのですから、ビートルズ(特にポール)も反省したのでしょう。いや、誰もが「もう、コレが最後になるかもしれない」と覚悟して挑んだとしか思えない緊張感があります。素晴らしい名演ばかりが揃っていて、B面メドレーには圧倒されますが、どこか冷めたビートルズが居ます。「COME TOGETHER」をジョンと歌ったポールが「昔の様には、ハモれなかった」と云ったのが、とっても切ないです。
1969年9月17日にアメリカアイオワ州ドレイク大学の学生新聞に「ポール死亡説」が掲載され、瞬く間に噂が広まった時にタイミングよく「ABBEY ROAD」が発売されました。「ポール死亡説」の根拠は全てビートルズの楽曲やアルバム・ジャケットにあるとされ、余りにも多くのヒントがビートルズ自身によって示唆されていたので「自作自演ではないのか?」との疑惑もあります。何にせよ、「ポール死亡説」によってアルバム「ABBEY ROAD」の売り上げが増したのだけは事実です。
キング・クリムゾンのデビュー・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」が「ABBEY ROAD」をチャート首位から引き摺り下ろし「新旧交代」が成し遂げられた!と云うのは、かなり盛っています。確かに「クリムゾン・キングの宮殿」は傑作ですが、英国では最高5位、米国では最高28位です。てか、「チャート首位から引き摺り下ろした」のが誰であろうが、「ABBEY ROAD」は18週連続首位!で、もう四ヶ月半も首位だったんですから自然に落ちますよ。
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