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2012年09月19日

「片瀬那奈ちゃんバラエティ出演録」#40(2011-part7)

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2012年12月1日:「テレビでスペイン語」8(再)(NHK Eテレ)
2011年12月1日:「テレビでスペイン語」9(再)(NHK Eテレ)
2011年12月2日:「Oh ! どや顔サミット」26(テレビ朝日)
2011年12月3日:「CWC 開幕まで5日!」(日本テレビ)
2011年12月4日:「シューイチ」34(日本テレビ)
2011年12月5日:「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ)
2011年12月8日:「ZIP !」(日本テレビ)
2011年12月8日:「スッキリ!!」(日本テレビ)
2011年12月8日:「PON !」「ハラハラトーク スタア秘宝館」(日本テレビ)
2011年12月8日:「ヒルナンデス!」(日本テレビ)
2011年12月8日:「テレビでスペイン語」9(再)(NHK Eテレ)
2011年12月8日:「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ、日本テレビ)
2011年12月8日:「CWC 今夜開幕!」(日本テレビ)
2011年12月8日:「CWC ついに開幕!」(日本テレビ)
2011年12月8日:「FIFA CWC 開幕戦」柏レイソルXオークランドシティ(日本テレビ)
2011年12月8日:「テレビでスペイン語」10(再)(NHK Eテレ)
2011年12月9日:「Oh ! どや顔サミット」27(テレビ朝日)
2011年12月10日:「CWC開幕SP さんまのスター表の顔!ウラの顔!」(日本テレビ)
2011年12月11日:「シューイチ」35(日本テレビ)
2011年12月11日:「CWC 準々決勝世界の強豪続々登場!」(日本テレビ)
2011年12月11日:「FIFA CWC 準々決勝」エスペランスXアルサッド(日本テレビ)
2011年12月11日:「CWC 準々決勝 柏レイソルが登場!」(日本テレビ)
2011年12月11日:「CWC 準々決勝 柏レイソル登場!」(日本テレビ)
2011年12月11日:「FIFA CWC 準々決勝」柏レイソルXモンテレイ(日本テレビ)
2011年12月14日:「CWC 柏レイソルがサントスと対決!」(日本テレビ)
2011年12月14日:「FIFA CWC」モンテレイ×エスペランス(日本テレビ)
2011年12月14日:「柏レイソル快進撃!優勝候補のサントスと歴史的一戦」(日本テレビ)
2011年12月14日:「FIFA CWC 準決勝 柏レイソル×サントス!」(日本テレビ)
2011年12月14日:「グータンヌーボ」(関西テレビ)
2011年12月15日:「テレビでスペイン語」10(再)(NHK Eテレ)
2011年12月15日:「バルセロナいよいよ準決勝に登場」(日本テレビ)
2011年12月15日:「FIFA CWC 準決勝」バルセロナXアルサッド(日本テレビ)
2011年12月15日:「テレビでスペイン語」11(再)(NHK Eテレ)
2011年12月17日:「CWC の頂点がいよいよ日本で決まる!」(日本テレビ)
2011年12月18日:「シューイチ」36(日本テレビ)
2011年12月18日:「CWC 今夜世界注目の決勝!」(日本テレビ)
2011年12月18日:「FIFA CWC 3位決定戦」柏レイソルXアルサッド(日本テレビ)
2011年12月18日:「CWC 歴史的一戦!サントス×バルセロナ」(日本テレビ)
2011年12月18日:「FIFA CWC 決勝戦」サントス×バルセロナ(日本テレビ)
2011年12月18日:「FIFA CWC 総集編生放送SP」(日本テレビ)
2012年12月22日:「テレビでスペイン語」11(再)(NHK Eテレ)
2011年12月22日:「テレビでスペイン語」12(再)(NHK Eテレ)
2011年12月24日:「炎の体育会TV ダイジェスト」(TBS)
2011年12月25日:「シューイチ」37(日本テレビ)
2011年12月25日:「みんなのKEIBA」(フジテレビ)
2011年12月28日:「笑っていいとも!年忘れ特大号2011」(フジテレビ)
2011年12月29日:「テレビでスペイン語」12(再)(NHK Eテレ)

上記が、2011年12月の片瀬那奈ちゃんテレビ出演記録です。片瀬那奈ちゃんは此の時期にはドラマには出演されておりませんので、此れが全てです。何ゆえ、2011年11月と12月をそれぞれ一ヶ月でまとめたのかがご理解頂けたかと思います。


片瀬那奈ちゃんは、2011年10月期と2012年1月期の連続ドラマには御出演されませんでした。2クール連ドラ出演がなく、主に司会者としてのレギュラー番組二本でテレビに出ておられたのです。2012年に入りますと、4月クールの連ドラ「カエルの王女さま」出演へ向けてのレッスンが始まるわけですが、2011年10月期と2012年1月期の連続ドラマ出演がなかった理由は、此の「2011年12月テレビ出演記録」を見ただけでも納得して頂けるかと思います。此の状況で連ドラまでやらかしていたら、幾ら強靭な片瀬クンでもダウンしてしまいますよっ。

なな、なんと、片瀬那奈ちゃんは2011年12月に「FIFA クラブワールドカップ」の中継や関連番組でメイン司会をも務められたのです。それまでも那奈ちゃんは多くのサッカー関連番組にゲストとして御出演されてきましたが、遂にメイン司会の座に登り詰めてしまわれたっ。勿論、ほとんど全てが生放送でした。「シューイチ」も当然乍ら生放送です。「Oh ! どや顔サミット」の先撮り収録も行っておりましたし、「麦のごちそう」のCM撮影も年末に行われています。余りにも過酷なスケジュールだっ。那奈ちゃんは、唯一ただ一人、全ての中継と関連番組に皆勤出演されました。

そー云えば、此の時期に「Nana Tabi」と云う企画も始まり、2011年11月から12月にかけて「第一弾!」として「箱根」篇がネットで公開されました。まだ片瀬那奈ちゃんの髪が長いので、収録は2011年10月末から11月の初めだったと思われます。引き続き「第二弾!」へと進むのかと期待したものの、2012年9月現在でも続編は公開されておりません。片瀬那奈ちゃんの怒涛の活躍ぶりから判断すると、忙しくて次の「Nana Tabi」に行けない状況なのでしょう。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:15| SMiLE | 更新情報をチェックする

FAB4-207:I ME MINE

ジョージ・ハリスン自伝―I・ME・MINE ジョージ・ハリスン・トリビュート~ソングス・フロム・ザ・マテリアル・ワールド オール・シングス・マスト・パス 〜ニュー・センチュリー・エディション〜


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン('70-1/3)、グリン・ジョンズ('70-1/5)、
   フィル・スペクター('70-3/23、4/1、2)
 E:フィル・マクドナルド('70-1/3)、グリン・ジョンズ('70-1/5)、
   ピーター・ボーン('70-3/23、4/1、2)
 2E:リチャード・ランガム('70-1/3)、グリン・ジョンズ('70-1/5)、
    ロジャー・フェリス('70-3/23、4/2)、リチャード・ラッシュ('70-4/1)
 録音:1970年1月3日(take 1-16)(アルバム「GET BACK」改訂版に収録)、
    4月1日(take 16 を編集し take 17-18、take 18 に SI 「オーケストラ、ドラムス」)
    (アルバム「LET IT BE」に収録)
 STEREO MIX:1970年1月5日(take 16 より 1)、3月23日(リミックス 1-3 を編集し 2)、
         4月2日(take 18 より 10-12、11と12を編集)
 
 1970年5月8日 アルバム発売 (「LET IT BE」 A-4)
 アップル(パーロフォン) PCS 7066(ステレオ)


ジョージ・ハリスンが書いた楽曲で、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」でリハーサルが行われるものの正式レコーディング曲には採用されません。ゆえに、幻のアルバム「GET BACK」の第一版(1969年5月)には未収録です。然し、映画「LET IT BE」に此の曲のリハーサル場面が使われる事となり、1970年1月3日に正式レコーディングされました。映画では、ジョージ・ハリスン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターの三人でリハーサルされ、ジョン・レノンはヨーコと踊っていました。奇しくも、正式レコーディング時にもジョンは休暇中でデンマークに居たので、他の三人で行われました。翌1月4日に「LET IT BE」(1969年1月31日に録音した take 27)にオーヴァー・ダビングを加えたのがジョンを欠いた三人のビートルズが行った最後の録音で、其の後フィル・スペクターによってオーケストラなどのオーヴァー・ダビングがビートルズ名義で行われていますが、演奏に参加したビートルズのメムバーはリンゴ・スターのみです。ゆえに、ビートルズが最後にレコーディングした楽曲は、皮肉なことに「THE GET BACK SESSIONS」でボツにされ録音もされなかったジョージ作の「I ME MINE」となったのです。グリン・ジョンズは「GET BACK」の改訂版(1970年1月)に「I ME MINE」を加えますが、其の時はレコーディング通りの「1分34秒」しかありませんでした。

フィル・スペクターに任されて、此の楽曲は一変します。まず、スペクターは曲の長さを「2分25秒」に引き伸ばし、オーケストラをオーヴァーダビングし壮大なアレンジを施しました。こうしたスペクターの仕事ぶりを熱心に見学し感銘を受けたジョージ・ハリスンは、1970年11月発表のソロ・アルバムで三枚組「ALL THINGS MUST PASS」のプロデュースも引き続き依頼し、其れはジョージ・ハリスンとフィル・スペクター両者にとって輝かしい栄光をもたらすのです。アルバム「LET IT BE」がなければ、其の後のジョージ・ハリスンやジョン・レノンのソロ作品へ繋がらなかったのですから、途轍もなく重要な作品と云えるでしょう。事実、スペクターに依頼した時にジョンは「俺たち(其れは時期的に考えてビートルズと云うよりも、依頼したジョンとジョージを指していたとも思われる)と仕事したいなら、このクズ音源を何とか聴けるようにしてくれ」と云っており、ジョンとジョージによるテストだったのでしょう。其れに満足したからこそ、ジョンとジョージは其の後もスペクターと組むのです。「I ME MINE」は、ジョージ・ハリスンが自伝のタイトルにしており、思い入れもある曲です。其の自伝を読んだジョン・レノンは、「何で、俺様の事をほとんど書いてないんだ?アレだけガキの頃から可愛がってやったのに、あいつの人生にとって俺様はその程度ってことか!」と激怒し、当時は引退状態だったのにジョージを揶揄した楽曲「The Rishi Kesh Song」(「ジョン・レノン・アンソロジー」などで聴けます)を書きました。ジョージは「ジョンはポールを特別扱いしていて、僕とリンゴの事はよく見てなかったんじゃないか?」と反論しています。

そして、此の「I ME MINE」で歌われている「自己中野郎」とは、ズバリ!ポール・マッカートニーだと云われています。ジョージは自分を軽んじるポールに対して憎悪しており、其の鬱憤を曲にしたと推察できるのです。映画「LET IT BE」での喧嘩場面を観ると確かに二人の関係は険悪そのもので、事実ジョージは脱退騒動まで起こしてしまいます。アルバム「ALL THINGS MUST PASS」にも「WAH-WAH」と云うポールを揶揄した楽曲が収録されています。然し!ポールは平然と「I ME MINE」でベースを弾いてコーラスをつけており、ジョージの追悼コンサートでは「WAH-WAH」に参加していたのだ。ポールって、バカなの?いえ、ジョンが自分を攻撃した「HOW DO YOU SLEEP ?」には過剰反応し「DEAR FRIEND」とすぐさま返答しています。よーするに、ポールにとってジョージはそれほどに取るに足らない存在だったのだ。スクール・バスで知り合ったジョージを、バンドに推薦したのはポールです。ポールにとっては、「ボクが推したからこいつはビートルズに入れた」と云う優越感がずっと続きました。「アンソロジー」の映像版で、当時50代のポールは「ジョージはボクの二歳年下でさ。10代の頃から可愛い弟分なのさ」なんぞと云い、其れを聞いたジョージが「ポールと僕は半年くらいしか違わないから同い年(ポール:1942年6月生まれ、ジョージ:1943年2月生まれ)だよ。アノ人は、まだそんな事すら分かってないんだよナァ」と呆れ返っていました。


(小島藺子)



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