w & m:LENNON /
McCARTNEY P:ジョージ・マーティン
E:グリン・ジョンズ(5/6)、フィル・マクドナルド(7/1-8/21)、ジェフ・エマリック(7/30-8/21)
2E:スティーヴ・ヴォーン(5/6)、クリス・ブレア(7/1)、
ジョン・カーランダー(7/11、7/30-31)、アラン・パーソンズ(7/15、8/13-21)
録音:1969年5月6日(take 1-36)、
7月1日(take 30 に SI 「歌」)、
7月11日(take 30 に SI 「ベース」)、
7月15日(take 30 に SI 「歌、チャイム」)、
7月30日(take 30 を編集し take 37-42、take 40 に SI 「歌」)、
7月31日(take 30 に SI 「ベース、ピアノ」)、
8月5日(「効果音」take 1-5)
STEREO MIX:1969年5月6日(take 30 より 1)、7月15日(take 30 より 1-6)、
7月30日(take 40 より 1、メドレー編集)、8月13日(take 30 より 20-27)、
8月14日(メドレー再編集)、8月21日(メドレー再々編集)
1969年9月26日 アルバム発売 (
「ABBEY ROAD」 B-3)
アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)
ポール・マッカートニーが書いた楽曲で、此の曲からアルバム「ABBEY ROAD」は最後のメドレーが始まっています。但し、実際には「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」から
「SHE CAME IN THROUGH THE BATHROOM WINDOW」までが第一部で、
「GOLDEN SLUMBERS」から
「THE END」までが第二部となっており、制作中には総称して「THE LONG ONE」とか「HUGE MELODY」と呼ばれていました。楽曲は三つのパートから成り、これはポールが「ホワイト・アルバム」でのジョン・レノン作
「HAPPINESS IS A WARM GUN」から影響を受けたと思われます。後の「BAND ON THE RUN」にも通じる作曲法ですけど、となりますと「BAND ON THE RUN」は詩はジョージの発言がキッカケだし、曲の展開はジョンの影響と云う「思いっ切り、ビートルズに未練が在り捲くり!」な楽曲だと云えるでしょう。
此の曲の所謂ひとつの「Aメロ」は、メドレーの後半で
「CARRY THAT WEIGHT」にも登場し盛り上がりますが、ポールは此のメロディーがよっぽど気に入っているようで、1970年に発表した初めてのソロ・アルバム「McCARTNEY」に収録された「EVERY NIGHT」にも転用しています。歌詞は、明らかに当時のアップルが経営難に陥った事に対するポールの愚痴とやけっぱちな感情であり、最後には自暴自棄になって車で自殺でもするんじゃまいか?と云う悲惨な内容です。ポールの甘いメロディーに誤魔化されたのか、日本では有名な自動車のCMに使われた事がありますけど、あたくしは絶対にそんな車は買わないし乗りたくないです。此の曲は、ビートルズの四人によって1969年5月6日にベーシック・トラックが録音されます。其の段階ではメドレーの構想はなかったのでしょうけど、此の曲自体がメドレーのようなものですので、少なくともポールは何となく意識していたと思えます。
ビートルズは1969年6月は休暇を取ったので、7月になってから録音が再開されます。其の時にはアルバム「ABBEY ROAD」を本格的に作る気になった模様です。メドレーの構想も決まっていたようで、此の後に登場する幾つかの楽曲は最初からメドレーとして録音されています。但し「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」に関しては、5月6日に四人で録音した「take 30」にポールがひとりでオーヴァー・ダビングして完成されたとも思われるのです。7月30日にはメドレーのラフ・ミックスが行われ、ポールから「一曲気にいらないから、切って捨てちゃって」と云われたジョン・カーランダーは、確かに切りました。でも「ビートルズの音源は、どんなクズでも捨ててはいけない!」と上司から云われていた彼は、捨てずにメドレーの最後に繋いで残してしまいました。視聴用のラッカー盤を作ったマルコム・エヴァンスも「絶対にビートルズの音源は捨ててはいけない!」との教えに従って其の侭にしました。
そして、其れを聴いたポールは「コレは好いじゃん!」と正式音盤にも採用してしまったのでした。其れが、アルバム「ABBEY ROAD」のトンデモなエンディングを演出した経緯です。ま、其れはまた後にじっくりと語りましょう。メドレーにしてはみたものの、冒頭の「YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY」だけがメドレー構想以前に録音を開始していた為に、次の
「SUN KING」との繋ぎが問題となります。試行錯誤した結果、ポールは自宅でコウロギの鳴き声などの効果音のテープを作り、8月5日にスタジオに持参します。其れが最終的には採用されて、見事にメドレーは繋がるわけです。ま、其れはいいのですけど、ポールは頼まれもしないのに、ジョージの
「HERE COMES THE SUN」用にも効果音を作って来たのだ。余計なお世話だとばかりに、ジョージは却下し、間奏のモーグ・シンセサイザーを弾いたのでした。ま、ポールには全く悪気はないんですけどね。だからこそ、始末に置けないわけだが。
(小島藺子)