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2012年08月27日

「サイケデリック・ペイン」東京公演、五日目(6/23)

sp-b.jpg Rhythm of Love


18:30開場、 19:00開演 サンシャイン劇場

片瀬那奈 as レディー・パンドラ

BETTER THE DEVIL YOU KNOW


「サイケデリック・ペイン」公式サイト


片瀬那奈ちゃんが「レディー・パンドラ」を演じておられるロック・オペラ「サイケデリック・ペイン」も、五日目で六公演目となります。明日(8/28)は休演日ですが、明後日(8/29)は平日なのに昼夜二公演となっておりまして、其の後も休演日は来週の火曜日(9/4)だけで、水曜日と土曜日は昼夜二公演と云うハードな日程が続きます。其れにしても、東京最終公演は何ゆえ平日(9月11日、火曜日)の真っ昼間なのでありましょうかしらん。ま、行くけどさ。てか、初日と楽日が平日で、日曜日は「シューイチ」実況がある(好きでやっているのですけど、かなり消耗する作業なので、とても其の後に舞台へ行く気力はありません)から、チケットを初日と最終日しか事前に取らなかったってのもあるのですけどね。

此の舞台は、ダンスの振付を「Purfume」で御馴染みの「MIKIKO」さんが担当されています。片瀬那奈ちゃんが演じるレディー・パンドラも踊るシーンが沢山ありますが、確かに「Purfume」風のムーヴも観れました。でもですね、そーゆーダンスをされちゃうと、あたくしはどーしても歌手時代の片瀬那奈ちゃんを思い出してしまうのです。レディー・パンドラの歌とダンス・パフォーマンス、そして殺陣は、大きな見どころです。演技も素晴らしい!としか云えません。マジで、レディー・パンドラを観ないと後悔しますよっ。

「だったら、お前も二公演と云わずに、もっと観劇せんかい!」と云われそうですけど、ま、色々と事情が在るのですよ。でもですね、「片瀬那奈ちゃん演じるレディー・パンドラを観るだけで、チケット代の元は取れる!」とだけは断言します。「だったら、他はどーなんだ?」ってトコは、まだ訊かないでね。♪ネタバレするには、未だ早い♪でしょ。(「赤毛のメリー」なんて、誰も知らないネタかしらん)。東京最終日が終わった頃に、ガッツリとネタバレした総評をちゃんと書きますよ。其の時は、大阪公演を観る方々は無視して下さいね。まずは、自分の目で確かめて下さいませ。何度でも云いますが、

片瀬那奈ちゃんが演じるレディー・パンドラは、最高です。

あたくしは、片瀬那奈ちゃんに関しては、絶対に嘘は申しません。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 19:07| ACTRESS | 更新情報をチェックする

FAB4-184:OLD BROWN SHOE

Songs From the Material World - A Tribute to George Harrison コンサート・フォー・ジョージ


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン(4/16)、クリス・トーマス(4/18)
 E:ケン・スコット(2/25)、フィル・マクドナルド(4/16)、ジェフ・ジャレット(4/16、18)
 2E:ケン・スコット(2/25)、リチャード・ラッシュ(4/16)、ジョン・カーランダー(4/18)
 録音:1969年2月25日(デモ take 1-2)、
    4月16日(take 1、take 1-4、take 4 に SI 「歌、コーラス、ギター、ベース」)、
    4月18日(take 4 に SI 「ハモンド・オルガン、リード・ギター」)
 STEREO MIX:1969年4月16日(take 4 より 1-3)、4月18日(take 4 より 5-23)

 1969年5月30日 英国シングル発売
 アップル(パーロフォン) R 5786(ステレオ)


ジョージ・ハリスンが書いた楽曲で、既に1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」で取り上げられていましたが正式レコーディングには至っておりません。「THE GET BACK SESSIONS」の時期に、ジョージ・ハリスンはソングライターとして開花しており、面白いように曲が書けていました。然し、彼の楽曲が採用される事は相変わらず少なく、なな、なんと、たった一曲「FOR YOU BLUE」しか録音されなかったのです。後に完成されたアルバム「LET IT BE」には、もう一曲「I ME MINE」も収録されましたが、其れは映画でリハーサル場面が使われる為に、1970年1月に録音されたのでした。

「THE GET BACK SESSIONS」でジョージが披露した楽曲には、「SOMETHING」、「LET IT DOWN」、「ALL THINGS MUST PASS」、「ISN'T IT A PITY」、「HEAR ME LOAD」、など「何ゆえボツにされたのか?」としか思えない珠玉の名曲が揃っています。でもですね、残念乍ら、ジョージ・ハリスンと同じバンドには、ジョン・レノンとポール・マッカートニーも居たのです。ジョンやポールも多くの曲をボツにしたり先送りしていたわけでして、とっても贅沢な状況だったとも云えます。ま、当事者にとっては「もっと自分の書いた曲を発表したい!」となりますし、其の意識を最も強く持っていたのはジョージ・ハリスンだったでしょう。「ジョージの曲は、アルバムに二曲くらいで好いじゃん!」と何となく決められてしまい、小僧時代は我慢していたものの、徐々に成長したジョージは「何で、僕の曲は蔑ろにされるのだ?」と不満をつのらせます。

仕方なくジョージは、1969年2月25日の誕生日にたったひとりで、「SOMETHING」、「ALL THINGS MUST PASS」、そして「OLD BROWN SHOE」を録音しました。そして、4月16日にようやく「OLD BROWN SHOE」をビートルズとして正式レコーディングすることになったのです。ジョージが多重録音したデモの段階で、曲のアレンジもほぼ完成しています。元々「THE GET BACK SESSIONS」でリハーサルをしていたので、レコーディングはスムーズに進みました。ベーシック・トラックは、ジョージ(ヴォーカル、ギター)、ポール(ピアノ)、ジョン(ギター)、リンゴ(ドラムス)で行われ、オーヴァー・ダビングされて完成します。

4月16日に、ジョージのリード・ヴォーカルとリード・ギター、ジョンとポールのコーラス、そして、4月18日に、ジョンが自分のギターを消去して重ねたハモンド・オルガンと、ジョージがレズリー・スピーカーを通した新たなるリード・ギターを加えました。問題は、4月16日に加えたベースを弾いているのは、ポールなのか、ジョージなのか、なのだ。確かに、ジョージのデモの段階でベースのフレーズは出来上がっていて、ジョージがおそらくギターで弾いて録音しています。ゆえに、ジョージがベースを弾いたとも思われますが、目立ちたがりな感じからポールがベースとも思えます。ハモンド・オルガンに関しても、ジョン、ジョージ、ポールと諸説あり、よく分かりません。

シングルのB面となったのは、おそらくジョン・レノンの推しがあった為だと思います。事実、「THE GET BACK SESSIONS」中に、ジョンはポールに「ジョージの曲が、俺やお前が書いた曲よりも採用率が低いのはマズイだろ?」と意見していました。ま、さっさと自分が書いた「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」を発売したくて、既にリハーサルもしていた此の曲をやっつけたのかもしれませんけどね。何せ、「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」は、1969年4月14日にポールと二人で一日で完成し、「OLD BROWN SHOE」も4月16日に一日で一旦完成まで至るのです。4月18日に追加録音したのも、ジョンとジョージの二人で行われた可能性も考えられます。てか、さっさとジョンとポールでA面をやらかしといて、翌々日にはB面を四人でガッツリやらかすって、バラバラなのかまとまっているのか、さっぱり分かりませんナァ。此の曲も当然乍ら、ステレオ・ミックスしか行われていません。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする