w & m:
LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:グリン・ジョンズ
2E:アラン・パーソンズ(1/28-30)、ジェリー・ボイズ(4/7)
録音:1月22日(アルバム「GET BACK」収録予定だったヴァージョン)、
1月28日(シングル・ヴァージョン)、
1月30日(映画で観れる「ルーフトップ・コンサート」を敢行)
MONO MIX:1969年4月7日(1/28 のテイクから 1)
STEREO MIX:1969年4月7日(1/28 のテイクから 1)
1969年4月11日 シングル発売
アップル(パーロフォン) R 5777(モノラル)
ジョン・レノンが書いた楽曲で、「THE GET BACK SESSIONS」のリハーサルで最初に取り上げられました。シングル
「GET BACK」のB面で発表され、幻となったアルバム「GET BACK」にも収録が予定されます。映画「LET IT BE」でもクライマックスの「ルーフトップ・コンサート」で熱唱するジョンが観れます。ところが、何故かフィル・スペクターがプロデュースしたアルバム「LET IT BE」からは外されてしまいました。それゆえ、演奏はビートルズの四人にビリー・プレストンが加わった五人での生演奏がそのまんま遺され、「GET BACK」の初期構想に最も近いカタチとなっています。英国オリジナル・アルバムには未収録で、米国編集盤の「HEY JUDE」に収録されています。プロデューサーは、おそらくグリン・ジョンズだと思われますが、表記されておりません。其の辺のややこしい事情は、後に詳しく語ります。ひとことで云えば「ジョン・レノンが認めなかった」って噺なんですけどね。
シングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」は、英国ではモノラルで発売されましたが、米国や日本ではステレオでした。「DON'T LET ME DOWN」シングル・ヴァージョンは1月28日のスタジオ・テイクで、幻となったアルバム「GET BACK」には別テイクの1月22日に演奏されたヴァージョンが収められる予定でした。明らかに劣る別ヴァージョンをアルバムに収録しようとしたグリン・ジョンズのやり方に、ジョンはイラついたとも思われます。後に「LET IT BE ... NAKED(2003年)」に収録されたのは、1月30日の「ルーフトップ・コンサート」で二回演奏されたヴァージョンをリミックスしたものです。ジョンが「一回目の演奏で歌詞を忘れて出鱈目に歌ったので、差し替えた」のです。マジで、ジョンは自分で書いた歌詞を覚えませんね。てか、「LET IT BE ... NAKED」って「裸のビートルズ!」とか謳われていましたけど、内容は「21世紀のテクノロジーを駆使したリミックス盤」だったわけで、ハッキリ云って、フィル・スペクターの「LET IT BE」なんか比べ物にならない位に手を加えられていますよっ。
ジョンがヨーコに捧げた切実なラヴ・ソングなのですが、そう云う個人的な感情を普遍性のある楽曲へと昇華させるジョン・レノンの才気が爆裂した名曲です。曲の構成も見事で、ビートルズの傑作のひとつと云えるでしょう。此れが英国公式では単なるシングルB面なのですから、恐れ入ります。「THE GET BACK SESSIONS」は其のほとんど全てが撮影された為に、セッション中の音源も膨大に遺されました。前述の「GET BACK」なんかは曲が書かれ作られてゆく過程が丸ごと聴く事ができます。此の「DON'T LET ME DOWN」もセッションの初日から登場しますので、どのようにして完成版へ至ったのかがハッキリと分かるのです。完成版では、ジョンの渾身のヴォーカルを邪魔しない程度にポールとジョージがコーラスをつけています。
ところが、制作過程ではポール・マッカートニーが出しゃばって追っかけコーラスを♪シャララララなんちゃらかんしゃら♪とかやらかすのだ。「お前もやれよ」と命じられたジョージや、曲を破壊されそうになったジョンの「ウンザリした顔」が目に浮かびます。其の様子を見て太鼓を叩くリンゴも「ゲンナリ」ですよ。映画「LET IT BE」を見ると「暴君・ポール・マッカートニー」が全開!の場面が多いです。でもですね、そもそも、ジョン・レノンがヨーコをスタジオに連れて来て図に乗らせ「あたしも、ビートルズのメムバーよ」なんて思わせちゃったのが問題だったのよさ。ジョージも、ポールと喧嘩したのがキッカケで脱退騒動を起こすけど、ヨーコがジョージのビスケットを勝手に食べたのが原因だったって噺もあるのです。どいつもこいつも、完全にイカレポンチ状態だったのだ。でも、曲はビシッと決めちゃうんだよナァ。
(小島藺子/鳴海ルナ)