w & m:LENNON /
McCARTNEY P:ジョージ・マーティン(10/16-17)
E:ケン・タウンゼント(10/9-10)、ケン・スコット(10/16-17)
2E:ケン・タウンゼント(10/9-10)、ジョン・スミス(10/16-17)
録音:1968年10月9日(take 1-5)、
10月10日(take 5 に SI 「歌、手拍子、ベース、ドラムス」、編集した take 6 に SI 「ギター」)
MONO MIX:1968年10月16日〜17日(take 6 より 1)
STEREO MIX:1968年10月16日〜17日(take 6 より 1)
1968年11月22日 アルバム発売 (
「THE BEATLES」 B-7)
アップル(パーロフォン) PMC 7067-7068(モノ)、PCS 7067-7068(ステレオ)
ポール・マッカートニーが書いた楽曲で、録音もリンゴ・スターがドラムスと手拍子をオーヴァー・ダビングで参加(10/10)した以外は、全てポールひとりで行っています。プロデューサーはミックスに立ち会ったジョージ・マーティンとなっていますが、レコーディングはポールとテクニカル・エンジニアのケン・タウンゼントの二人で行われました。此の曲が録音された1968年10月9日〜10日に、ビートルズはアビイロード第2スタジオでマーティンやケン・スコットたちとセッションをしており、ポールはタウンゼントを連れて第1スタジオで勝手にコレをやらかしていたのです。プロデューサーまで無視してしまったわけで、もうコレも、ポールのソロ作品と云ってもいいでしょう。ジョン・レノンは「俺様が歌っていれば、もっとよくなったのにナァ」と、ポールの暴走を後々まで非難しつつ、楽曲は高く評価していました。確かに、レノン好みの過激でストレートな楽曲ですが、コレはポールが一人でノリノリになっているのが天然バカボン丸出しで面白かったりもします。
当時、ビートルズのライバルとされていたローリング・ストーンズが発表した「Street Fighting Man」へのアンサー・ソングと云われており、其れをポールが単独でやらかした事に対するジョンの不満が「ロックンロール・サーカス」での「THE DIRTY MAC」へ繋がったのかもしれません。レノンを怒らせると、怖いよ。「ホワイト・アルバム」B面の主役は、ズバリ云ってポール・マッカートニーです。9曲が収録された中で、8曲に参加し(1曲だけジョンのソロである
「JULIA」には不参加ですが、後に語る通りレコーディングには立ち会っています)、自ら書いた5曲は全てが「ほとんどソロ作品」です。意外にも、リンゴが9曲中6曲(他の3曲は、ポールのソロ2曲とジョンのソロ1曲なので、よーするにビートルズとしての曲では全曲)に参加しており、ジョンの5曲よりも上回っています。殴られて泣かされたり、都合のいい時だけ太鼓を叩かされたり、リンゴはポールに翻弄されていますね。
可哀相なのはジョージで、たった3曲にしか参加しておりません。リンゴもA面の最初の2曲ではハブにされていましたが、其れは「脱退中の録音」です。ジョージは居るのに、ジョンの
「I'M SO TIRED」と自作の
「PIGGIES」では演奏していますが、
「ROCKY RACCOON」で演奏させてもらえずコーラスのみで、後の6曲では完全にハブです。たまたま、B面にそういう曲が集められたわけではなくてですね、全体的にもジョージは軽く見られていました。1968年のジョージ・ハリスンが、全30曲中で自作をたったの4曲しか取り上げてもらえなかった屈辱感は計り知れません。「何ゆえ、ポールの
「WILD HONEY PIE」とか「WHY DON'T WE DO IT IN THE ROAD」なんてクズ曲がアリで、僕の名曲
「SOMETHING」はダメなのだ?」と怒りに震えていたでしょう。
(小島藺子)