w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:バリー・シェフィールド(8/28-30、10/5)、ケン・スコット(10/13)
2E:ジョン・スミス(10/13)
録音:1968年8月28日(take 1)、
8月29日(take 1 に SI 「ベース、歌、コーラス、手拍子、タンバリン」)、
8月30日(take 1 に SI 「ピアノ、フリューゲルホーン」)
MONO MIX:1968年10月5日(take 1 より 1)、10月13日(take 1 より 2-5)
STEREO MIX:1968年10月13日(take 1 より 1)
アップル(パーロフォン) PMC 7067-7068(モノ)、PCS 7067-7068(ステレオ)
ジョン・レノンがインドで書いた楽曲のひとつ。マハリシの講義を受ける為に、女優のミア・ファローと妹のプルーデンス・ファローもインドに滞在しており、プルーデンスが自分の小屋に閉じこもって出て来なくなったので呼びかける内容です。アルバムの二曲目で、一曲目の
「BACK IN THE U.S.S.R.」とクロス・フェード編集され曲間がありません。そして、此の曲でドラムを叩いているのもポール・マッカートニーです。録音は「1968年8月28日〜30日」にトライデント・スタジオで「8トラック」で行われました。リンゴ・スターは前述の通り、8月22日に脱退し、9月4日まで戻って来ません。三人で「4トラック」だと不便なので、
「HEY JUDE」に続いてトライデントの「8トラック」に頼ったのです。基本的には、ジョン(歌、コーラス、ギター)、ポール(ドラムス、ベース、コーラス、手拍子、タンバリン、ピアノ、フリューゲルホーン)、ジョージ(ギター、コーラス)の三人でオーヴァー・ダビングを繰り返した演奏です。他に、コーラスと手拍子で、マル・エヴァンス、ジャッキー・ロマックス、ジョン・マッカートニー(ポールの従兄弟)が参加しました。
イントロから印象的なジョンの「3フィンガー・ピッキング」奏法のギターは、インドに同行していたドノヴァンに習ったものです。ジョンは新たに習得した「3フィンガー」が気に入った様で、同じく「ホワイト・アルバム」に収録された
「JULIA」や、「ホワイト・アルバム」時代に書いて後に「ジョンの魂(1970年)」に収録される「LOOK AT ME」(こちらは「JULIA」に似過ぎているからか「4フィンガー」で演奏)などで多用し作曲しています。ドノヴァンは、ポールとジョージにも教えたのですが、ジョンしかマスター出来なかったそうです。其れにしても「THE BEATLES」と云うタイトルで二枚組「30曲」入りなのに、何ゆえわざわざ最初の二曲を「リンゴ不参加」にしたのでしょう。先を急げば、アルバムの最後はジョンが書いてリンゴが歌う
「GOOD NIGHT」ですが、其れには「リンゴしか参加していない」のです。「ホワイト・アルバム」にはメムバーそれぞれのソロに限りなく近い楽曲も多く、音楽性もバラバラですが、曲順はジョンとポールの二人が、ジョージ・マーティン、ケン・スコット、ジョン・スミスと共に24時間も掛けて入念に考えました。其の並べ方は絶妙で、当然乍ら最初の二曲が「リンゴ抜き」も意図的なのでしょう。
そして「リンゴ脱退事件」によって「8トラック」を導入したビートルズは大いに刺激を受けてしまいます。最初に「8トラック」で録音したのは前述の通り「HEY JUDE」でしたが、其の時には其の利便性を活かしきれておらず、逆に不慣れな機材で不本意なミックスとなりました。然し、三人だけとなった「DEAR PRUDENCE」で「8トラック」を存分に使いこなしてしまった為、ビートルズ(つまりは、ジョン、ポール、ジョージの三人なわけだが)は「もう、今後は8トラックしかないっしょ!」と目覚めてしまうのです。此の曲なんか、ポールが大活躍で、たぶん「8トラック」全部に音を入れていると思われます。ドラムも好いけど、やっぱりベースが凄いですね。となりますと、リンゴが戻って来ても「最早、四人揃って演奏する必要はないじゃん!」となります。「ジョン、ポール、ジョージの三人はそれぞれが好き勝手に自分の曲をレコーディングし出し、リンゴは方々で太鼓を叩く」と云う展開になります。でも、其れは復帰したリンゴにとっては好かったかもしれません。今までは「ビートルズ専属」で太鼓叩いておしまいだったけど、いきなりだナァ、と仕事が三倍ですよ。もう「ポーカーで暇つぶし」しなくともよくなったわけです。
(小島藺子)