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2012年07月19日

「麦のごちそう」プール篇も大好評!

ワニフロート 175X87cm FRG-105


【話題のCM】西島秀俊&片瀬那奈が微笑ましい夫婦役 ★キリン「麦のごちそう」プール編(zakzak 7/19)


片瀬那奈ちゃんが西島秀俊さんと夫婦役で御出演中のシリーズCM「麦のごちそう」が好評です。今回の「プール」篇は、前作「雨の日」篇につづく第4弾ですが、CMが変わった途端に関東も梅雨明けとなりタイムリーでしたね。冒頭の階段を駆け上がる競争で「勝ったぁーっ!」とはしゃぐ那奈ちゃんもゲロマブですし、チャッカリ自分だけソファーでお昼寝している寝顔も美しく、西島さんに焼きそばを作らせて「う〜ん」とか云って呑んでるのも好いですね。

おそらく、階段駆け上がりで負けた方が料理を作るって噺なのでしょうけど、西島さんは普通の浮き輪は兎も角、でかいワニフロートまで持たされているのでハンデあり捲くりです。何ゆえ空気を抜かなかったのかと思えば、那奈ちゃんがソファーを占領している時にワニをベッド代わりにお昼寝していました。最後のお庭でお食事シーンでも、縁側にワニがいます。毎回15秒の中に細かいネタも入っていて、名作シリーズだと思います。


(小島藺子/姫川未亜)



KIRIN「麦のごちそう」公式サイト


posted by 栗 at 17:01| CM | 更新情報をチェックする

「片瀬那奈ちゃんバラエティ出演録」#34(2011-part1)

外交官・黒田康作 オリジナル・サウンドトラック ジーン・ワルツ [Blu-ray]


2011年1月3日:「マジか !? のHOW TO バラエティ 関∞ピース」(TBS)
2011年1月5日:「おじゃマップ」(フジテレビ)
2011年1月11日:「ニッポン インポッシブル」(フジテレビ)
2011年1月14日:「哀愁探偵1756」未公開集(TBS)
2011年1月17日:「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」(フジテレビ)
2011年1月28日:「人志松本の○○な話」(フジテレビ)
2011年1月29日:「出没!アド街ック天国」東陽町(テレビ東京)
2011年1月30日:「ネプリーグ」三回目(フジテレビ)
2011年1月31日:「バカヂカラ」(TOKYO MX)

2011年の片瀬那奈ちゃんは、新春早々、1月2日にドラマ「ザ・ミュージックショウ」に御出演され、審査員「レイカ」で磐石の「西豪寺エレナ様路線」を魅せます。1月13日からは連続ドラマ「外交官・黒田康作」が始まりますが、片瀬那奈ちゃん演じる佐々木藍子の登場は1月20日放送の第二話からでした。どちらも、2010年に撮影された作品で、「ザ・ミュージックショウ」は12月ですけど、「外交官・黒田康作」は「2010年9月〜12月」と推察されます。2011年1月までずれ込んだ部分もあったとも聞きますが、少なくとも主演の織田さんは2010年末にはドラマの続編映画撮影で海外へ向っており、2010年中にドラマはクランクアップされていました。つまり、何が云いたいかと申しますとですね、片瀬那奈ちゃんはドラマ「闇金ウシジマくん(2010年3月〜5月撮影)」が放送中の「2010年10月〜12月」には、「外交官・黒田康作」を撮影されておられたのですよ。折角「大久保千秋」を先撮りしたのに「全然、休み無し!」ですよっ。さて、此の時期のバラエティでは「おじゃマップ」が光ります。2012年の現在にレギュラー化されていますが、パイロット版初回のゲストは片瀬那奈ちゃんでした。放送が新春(1/5)なので撮りは2010年でしょうけど、いきなりだナァと「土下座」まで魅せて下さいました。


2011年2月3日:「笑っていいとも!」「テレフォンショッキング」三回目(フジテレビ)
2011年2月3日:「VS嵐」二回目(フジテレビ)
2011年2月6日:「笑っていいとも!増刊号」(フジテレビ)
2011年2月21日:「ネプリーグ」四回目(フジテレビ)
2011年2月27日:「ひるザイル」(日本テレビ)

2月6日に映画「ジーン・ワルツ」が公開され、1/31(月)〜2/3(木)の四日間は「笑っていいとも! テレフォンショッキング」で「ジーン・ワルツ」の輪が敢行されました。片瀬那奈ちゃんは、菅野美穂ちゃんの紹介で「2/3」に三回目の登場となりました。其の時に語られていた基本的には二人芝居のドラマ「恋する日本語」第5話は2月18日に放送されます。更に、なな、なんと、2月26日から「九夜連続」で放送された「AKB48」のドラマ「桜からの手紙」に「ともちん」のお姉さん「あすちん(いえ、板野明日香ですけど)」役でカメオ出演されました。片瀬那奈ちゃんは「イケテル板野」の三話にしか出ておりませんし「ともちん」としか絡みもありませんが、先を急げば此のドラマから始まって「AKB48」と「ドラマや映画で女優として共演」が続いてゆきます。う〜む、チャッカリとブームに乗っておられますナァ。


2011年1月から2月までの「片瀬那奈ちゃんバラエティ出演録」です。ようやく昨年のアタマまで辿り着きました。此の後には怒涛の「司会者・片瀬那奈ちゃん」が始まりますので、二ヶ月ごとの区切りも厳しいかもしれません。此の時期には「ザ・ミュージックショウ」「外交官・黒田康作」「ジーン・ワルツ」「恋する日本語」「桜からの手紙」と、矢継ぎ早に女優作品が公開されました。但し「ジーン・ワルツ」は2009年11月に撮影され公開が延び延びになっていた映画でしたし、連続ドラマ「外交官・黒田康作」も放送前にクランクアップしていました。ところが「宣伝隊長」である片瀬那奈ちゃんは、積極的に「ジーン・ワルツ」や「外交官・黒田康作」の番宣でバラエティ番組にも出捲くっております。

「ザ・ミュージックショウ」では抜群のコメディエンヌぶりを魅せ、「外交官・黒田康作」や「ジーン・ワルツ」では一転してシリアス路線、「恋する日本語」では二人芝居、そして「桜からの手紙」は所謂ひとつのアイドル・ドラマに花を添える役どころと、変幻自在な怪優として様々な役柄を難なく演じています。バラエティでも「ネプリーグ」に二ヶ月連続で参加するなど、大いに攻めております。あたくしは、「おじゃマップ」が後にレギュラー化されたのは「最初のゲストとして片瀬那奈ちゃんを抜擢したのが大きかった!」と思っております。土下座すら厭わない女優魂が溢れた片瀬クンの「汚れ」ぶりが、其の後のゲストの基準となったのです。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 01:25| SMiLE | 更新情報をチェックする

FAB4-145:HEY JUDE

Hey Jude Heyjudealbum.jpg Golden Hits


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ケン・スコット(7/29-30、8/8)、バリー・シェフィールド(7/31、8/1、6)、
   ジェフ・エマリック & フィル・マクドナルド('69-12/5)
 2E:ジョン・スミス(7/29-30、8/8)、ニール・リッチモンド('69-12/5)
 録音:1968年7月29日(take 1-6)、
    7月30日(take 7-23、take 23 を編集し take 24-25)、
    7月31日(リメイク take 1-4、take 1 に SI)、
    8月1日(take 1 に SI 「ベース、歌、コーラス、オーケストラ」)
 MONO MIX:1968年8月6日(ステレオ・ミックス 3 より 1)、8月8日(take 1 より 2-4、4 をコピーし 5)
 STEREO MIX:1968年7月30日(take 25 より 1)、8月2日(take 1 より 1-3)、
          1969年12月5日(take 1 より 20-21)
 (1968年9月4日 プロモ撮影「デヴィッド・フロスト・ショー」)

 1968年8月30日 英国シングル発売(最高位:英米1位)
 アップル(パーロフォン) R 5722(モノ)

 (1968年8月26日 米国シングル発売、アップル 2276)


ポール・マッカートニーが書いた大傑作。当時「ジョン・レノンがシンシアとの離婚が決定的となった」為に、落ち込んでいた息子のジュリアン・レノンを励まそうと書いた曲と云われています。他にも諸説ありますが、一般的には「ジュリアンの歌」でしょう。ジュリアンも「親父よりも、ポールおじさんがよく遊んでくれた」と云っております。1968年7月26日に、ポールはジョンと共に曲を完成させます。「The movement you need is on your shoulders」の部分を書き直すか削除したいと申し出たポールに、ジョンは「そこが一番いいトコじゃないか!」と助言したそうです。ドリフターズの「ラストダンスは私に(Save the Last Dance for Me)」を下敷きにした曲(コード進行が全く同じで一緒に歌えます。其れを実際にやらかしたのが、大瀧詠一師匠プロデュースのキング・トーンズ「ラストダンスはヘイ・ジュード」)で、完全にポールの単独作と思えますが、しっかりとジョンが協力していたのです。更に、ピアノを弾き損ねたポールが「Fucking hell !」と云ってしまった部分も、ジョンの助言で残されています。

ビートルズが設立したアップル・レーベルからの初めてのシングル曲(但し、権利やカタログ・ナムバーは契約上パーロフォン)で、ビートルズのシングル曲では最も長い「7分11秒」もある楽曲です。そして、彼等のシングルでは最も売れました。米国では、なな、なんと、九週連続で首位!英国では二週でしたが、その次はポールがプロデュースしたアップル・レーベルのメアリー・ホプキン「悲しき天使(Those were the Day)」の六週連続で、そのまた次がビートルズのカヴァーであるジョー・コッカー「With a Little Help From My Friends」の一週と、ビートルズ絡みで九週連続制覇しております。「7分11秒」もあるものの、半分は後半の「Na Na Na Na Na Na Na〜 Na Na Na Na〜 Hey Jude」と云うコーラス部分です。別に、ビートルズが片瀬那奈ちゃんに呼びかけているわけではありません。当時、リチャード・ハリスの「MacArther Park」がヒットしたので、ビートルズは「アレより長いシングルにしようぜ」と敢えて「7分11秒」にしたのです。現在のポールのライヴでは、もっともっと長くなっていますけどね。

リンゴのドラムが二番から入るのは、うっかりトイレに行って戻って来たらもう曲を始めていたのでこっそりと加わった為です。普通ならボツですけど、ポールはピキ〜ン!と「今のタイミングが好かった!」と閃いてオッケー・テイクにしてしまいました。此の曲は、ビートルズが初めて「8トラック」でレコーディングしたものです。其の為に、トライデント・スタジオ(当時、まだアビイ・ロードには「8トラック」が設置されていなかった)で録音しミックスも行ったものの、機材の規格が違っていた為に「高音が消えた酷い音、正直云って最悪です(ケン・スコット 談)」となっており、慌ててミックスをやり直しています。但し、最初から録音し直したのではないので、些か不本意なミックスとなりました。シングル曲なのでモノラルしか発売されず、ステレオは1970年2月26日発売の米国編集盤「HEY JUDE」が初出となります。

1968年のビートルズは、インドへ行って沢山の曲を書き、5月からアルバム「THE BEATLES(ホワイト・アルバム)」のレコーディングに没頭しました。当然乍ら「HEY JUDE」も「ホワイト・アルバム」のセッション中に録音されていますが、ビートルズは当初からシングル向けと考えており、二枚組で30曲入りの「ホワイト・アルバム」には収録しなかったのです。1968年9月4日にB面の「REVOLUTION」と共にプロモーション・フィルムが撮影されています。其れを監督したのは、後に映画「LET IT BE」を監督するマイケル・リンゼイ・ホッグでした。其の日には、一時脱退していたリンゴ・スターが復帰しております。まぁ、幾らポールのヴォーカル以外は当て振りでもリンゴがいないんじゃ変です。そして、此の「HEY JUDE」のレコーディング中にポールとジョージの確執も表面化しております。映画「LET IT BE」で、ポールは「余計なフレーズを入れずに、「HEY JUDE」の時みたいに大人しくしていろ」と云うと、ジョージは「分かったよ、君の云う通りに弾くし、弾くなと云うなら何もしない!」とキレてしまいます。

「HEY JUDE」のリハーサル(7月30日)では既にジョージが参加していません。此の日はドキュメンタリー「MUSIC !」の為に撮影されていて観る事が出来ます。ジョージ・ハリスンは、コントロール・ルームでジョージ・マーティン、ケン・スコットと共に、他の三人による演奏を見ています。此の辺の「リンゴ脱退」や「ジョージ脱退」は、追々書いてゆきます。此の時には、スタジオにいたわけで脱退とはなりません。実際にスタジオから出ていったのは、オーケストラの一員です。8月1日のオーケストラ・セッションは、ジョージ・マーティンがスコアを書きましたが、指揮したのはポール・マッカートニーでした。ポールは、後半のコーラスと手拍子も36名のオーケストラ団員に参加して欲しいと云い出します。ほとんど全員が「ギャラが倍になる」のでホイホイと参加しましたが、ひとりだけ「何で俺がポール如きの下らない曲で歌ったり手を叩いたりしなきゃならんのだ!」と憤慨し帰ってしまったらしいです。ま、ポールは全く気にしてないでしょうね。天然バカボンですから。


(小島藺子/姫川未亜)



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