
w & m:
LENNON / McCARTNEY P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:フィル・マクドナルド(1/19、20)、リチャード・ラッシュ(1/30〜3/1)
録音:1967年1月19日(「In The Life Of・・・」take 1-4)、
1月20日(take 4 を編集し、take 5〜7、take 6 に SI 「歌、ベース、ドラム」)、
2月3日(take 6 に SI 「歌、ベース、ドラム」)、
2月10日(take 6 を編集し、take 7 に SI 「オーケストラ」)、
2月22日(エンディング)、
3月1日(take 6 に SI 「ピアノ」公式盤には未収録)
MONO MIX:1967年1月30日(take 6 より 1)、2月13日(take 7 より 2-5)、
2月22日(take 6&7 より 6-9)
STEREO MIX:1967年2月22日(take 6&7 より 1-9)、2月23日(take 6&7 より 10-12)
1967年6月1日 英国アルバム発売 (
「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」 B-6)
パーロフォン PMC 7027(モノ)、 PCS 7027(ステレオ)
ジョン・レノンとポール・マッカートニーが、それぞれ別に書いた曲を合体させた共作。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」の最後を飾る決定的な名曲ですが、元々は二人が別々に書いていた曲を繋いでいるわけです。そんな奇跡的な事が可能なのが「レノン・マッカートニー」の恐るべきところです。録音はアルバムでも最初の頃に始まっております。いえ、此の曲が録音された時点では、まだ
「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と
「PENNY LANE」そして
「WHEN I'M SIXTY-FOUR」の三曲しか完成していなかったのです。其の内の二曲「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「PENNY LANE」は、1967年2月17日にシングルとして発表してしまいアルバムには入れない事になりました。そんな時に、此のトンデモ楽曲が出来てしまったのでした。
後にアルバムを「架空のバンドによるショー」と決めますが、此の「A DAY IN THE LIFE」はアルバムの最後以外に収まる場所がありませんでした。最初の録音ではジョンが書いた前半と後半のみが歌われ、中間部は演奏のみです。真ん中が出来ていなかったのですが、其の中間部にポールが書いた全く別の曲を入れてしまったのです。其れが完璧に収まってしまうって、何だ?別に、ポールはジョンが書いた曲に合わせて中間部を書いたのではないのです。それで、曲は出来上がるのだけど、そっからがまた凄い展開になります。ジョンが書いた部分とポールが書いた部分を繋ぐところに「オーケストラを発狂させる」と云う奇天烈なアイディアを思い付きます。ジョンとポールは感性だけでそんな事を云うのですけど、ジョージ・マーティンはそんな無理難題に必死で応えスコアを書くのですよ。
其れでも満足しないビートルズは、エンディングでピアノの「Eメジャー」をオーケストラと共に「ガガーン!」と叩くのでした。挙句の果てに、最後の最後には意味不明な会話が挿入されています。BBCでは、歌詞の内容が麻薬を連想させるとの理由で放送禁止になりますが、歌詞以前に音が完全にイカレちゃってます。こんなもん、どー考えたって放送禁止でしょう。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」は、結構お気楽に聴こえる楽曲もありますし、ビートルズの楽曲としては些か弱いと思える楽曲も多いのですけど、最後の「A DAY IN THE LIFE」の物凄さで全てチャラになってしまいます。中間部へ繋ぐ部分で、マル・エヴァンスが最初はブランクだったので数を数えている声や目覚ましの音なんかも消さずに残して、逆に効果的な演出にしています。世の中が「サマー・オブ・ラヴ」とか云ってしまう時期を演出したのは、アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」にも大いなる責任があるのですが、其の最後は「A DAY IN THE LIFE」なのです。「頭に花を飾ってサンフランシスコに行こうぜ」なんておんなじラリラリパッパラパーでもお気楽な世界観とは、全く違っております。簡単に云えば、ビートルズは「狂っている」のです。オーケストラを迎えたセッションの模様はプロモで観れますが、完全に常軌を逸しています。
アルバムでは前曲の
「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND(REPRISE)」のエンディングでの歓声に被さって始まり、アンコール曲との位置付けになっています。後にジョンの映画サントラ「イマジン」やCD化された「青盤」では、イントロから聴けるミックスも公開されました。ポールは、近年のライヴで此の曲も披露する様になり、前半から中間部まではベースを弾いてジョンが歌った部分も含めて歌い、再度ジョンのパートへ移るところで「GIVE PEACE A CHANCE(平和を我等に)」へ繋ぐ演出で盛り上げております。ちゃんとカウントも取るし、目覚ましも鳴らすのよさ。ニール・ヤングがライヴで演奏した時には、中間部にポールがサプライズ・ゲストで参加したりもしていました。「A DAY IN THE LIFE」は、中期ビートルズの代表曲であり、ジョンとポールの共同作業が頂点に達した大傑作です。ジョンも、此の曲をポールと作ったのが「一番楽しかった」と語っておりました。ジョンはアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」に対して批判的な発言もしましたが、「やはり、傑作だ」と大いに認めてもいました。ポールの曲が多いものの、常にジョンがサポートしているのが音から伝わってきます。「ジョンは、アルバムの半数の曲にしか参加していない」なんぞと云う出鱈目を書く阿呆もいますが、ポールの曲でもジョンがノリノリでハモっているのですよ。ジョンが参加していないのはジョージ作の
「WITHIN YOU WITHOUT YOU」一曲だけで、其の曲にはポールもリンゴも参加していません。1967年に、ジョンとポールは紛れもなく「ザ・ビートルズ」だったのです。
(小島藺子/姫川未亜/鳴海ルナ)