w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック(9/6、11/1)、ケン・スコット(9/25-27、10/20、25)
2E:ケン・スコット(9/6)、リチャード・ラッシュ(9/25-27)、
フィル・マクドナルド(10/20)、グレアム・カークビー(10/25、11/1)
録音:1967年9月6日(take 1 demo)、
9月25日(take 1-3、take 3 を編集した take 4 に SI 「リコーダー、ドラムス、歌」)、
9月26日(take 4 を編集した take 5 に SI 「ピアノ、A.ギター、ドラムス」、
take 5 を編集した take 6 に SI 「A.ギター、ベース」)、
9月27日(take 6 に SI 「歌」)、
10月20日(take 6 に SI 「フルート」)
MONO MIX:1967年9月25日(take 4 より 1)、9月26日(take 6 より 2)、10月25日(take 6 より 10-12)
STEREO MIX:1967年11月1日(take 6 より 1-5)
初出:1967年11月27日発売 (「MAGICAL MYSTERY TOUR」 A-2)
キャピトル MAL 2835(モノ)、SMAL 2835(ステレオ)
1967年12月8日 英国EP発売 (「MAGICAL MYSTERY TOUR」 C-1)
パーロフォン MMT-1(モノ)、SMMT-1(ステレオ)
ポール・マッカートニーがTV映画「MAGICAL MYSTERY TOUR」用に書いた曲のひとつで、映画ではフランスのニースへポールが単独で行って撮影された場面で使われています。「MAGICAL MYSTERY TOUR」には英国では二枚組EPに収録された新曲6曲が使われていますが、ジョンとジョージがそれぞれ一曲ずつで、四人の共作となっているインストが一曲で、残りの三曲はポールの作品です。企画発案者もポールですし、マネジャーのエプスタインも亡くなり、完全にポールが先導して行こうとしています。ポールとしては、エプスタインの死後にグループをまとめてゆこうと張り切っていたわけですけど、他のメムバーは「何だか一人で目立ってやがるぞ」と冷ややかな対応となってゆきます。
楽曲は、1967年の脂がのったポール節が炸裂!の文句なしの名曲です。然し、やはり録音は難航しています。最初(9/6)は、ポールが他のメムバーに聴かせる為にピアノの弾き語りで歌ったガイド・デモですが、9/25 の四人での演奏になると、ポールのピアノ、ジョンとジョージがハモニカ、リンゴがフィンガー・シンバルと云う編成でベーシック・トラックが録音されます。其れに、ポールのリコーダーやヴォーカル、リンゴのドラムスなどがオーヴァーダビングされ、3分50秒のモノ・ミックスまで進みます。ところが、翌日にはピアノ、アコースティック・ギター、ドラムス、ピアノなどを加えるだけでなく、元のテイクと差し替え、4分25秒にまで伸びてしまいます。其れが、10/20 に外部ミュージシャンによるフルートが加えられた後の最終ミックスでは、3分弱まで短くなってしまうのでした。
ポールの弾き語りデモの段階で、楽曲自体は完成しています。つまり、アレンジに迷ってしまったわけです。所謂ひとつの中期ビートルズは、色んな装飾を加えて楽曲を成立させています。其れは、ジョンだけではなく、ポールもジョージも、更にリンゴも、おんなじ考えでした。其れがドンドンとエスカレートし、具体的な構想もなしにスタジオで試行錯誤して「誰もやってない事をやろうぜ」とか云って遊んでいたわけです。「REVOLVER」と「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」で大きく貢献したジェフ・エマリックは、「MAGICAL MYSTERY TOUR」の頃になると滅茶苦茶なビートルズに付き合いきれなくなっていたようです。データを見ても、ケン・スコットの出番が増えています。此の楽曲のレコーディングには当時「ミュージック・ライフ」の編集長だった星加ルミ子さんが取材で立ち会っていますが、既にスタジオには小野洋子さんがいたそうです。
(小島藺子/鳴海ルナ)