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2012年02月21日

映画「闇金ウシジマくん」のキャスト発表!しかし、片瀬那奈ちゃんの名前はありません。

闇金ウシジマくん ディレクターズカット版 DVD-BOX


映画「闇金ウシジマくん」イベサー純や肉蝮のキャスト発表(コミックナタリー 2/21)


遂に、映画「闇金ウシジマくん」のキャストが発表されました。当ブログ既報通り、やべさんの続投、林遣都くんが純、大島優子ちゃんが未來となっております。然し乍ら、ドラマで大久保千秋を演じた片瀬那奈ちゃんの名前は見当たりません。やはり、ドラマのラストで闇金を辞めて出番終了だったのでありましょうかしらん。確かに山田孝之くん、林遣都くんに片瀬クンでは「主要キャストの三人が荒川住人」となってしまいますね。でもですね、噂されていたキャスティングで「片瀬クン以外は的中している」のですよ。変だナァ。


【参考過去記事INDEX】
 「闇金ウシジマくん」INDEX


(小島藺子/姫川未亜)



映画「闇金ウシジマくん」公式サイト

posted by 栗 at 10:06| ACTRESS | 更新情報をチェックする

「続・第二期女優時代の苦闘」

離婚弁護士II~ハンサムウーマン~ DVDBOX


何となく、片瀬那奈ちゃんの「第二期女優時代」を振り返っております。そもそも「第二期女優時代」とか云うのは、あたくしが勝手に決めたわけですが、其れは女優復帰した「ラストクリスマス(2004年)」から「潜入刑事 らんぼう2(2007年)」までを指します。其の後に片瀬那奈ちゃんは初舞台「僕たちの好きだった革命(2007年)」を踏み、明らかに演技が変わったので「第三期女優時代」とし、其の期間は昨年(2011年)に司会を中心とした時点で終わり、今年(2012年)からは「第四期女優時代」としています。繰り返しますが、此れはあたくしが独自に考察した見解ですので、うっかり「片瀬那奈の第二期女優時代なんだけどさ」などと公の場で発言されても周りの方々は「ドン引き」されると思われますので御用心。

個人的にも「第三期女優時代」に関しては「一寸、長げぇナ」とも思っておりまして、どこかで区切っても好かったかしらんと考えています。されど「第一期女優時代」と「第一期歌手時代」と「第二期女優時代」は、動かし難い。そして、おそらく「第二期女優時代」が片瀬那奈の歴史で最も苦難の時だったと思っています。女優活動を休止して臨んだ歌手活動を、またしても休止して女優回帰と云う「出戻り」の道を選んだ片瀬クンは、当時未だ23歳だったのに「背伸びした大人の女性」を演じる事となりました。其れが復帰作「ラストクリスマス」での藤澤律子であり、役柄での年齢設定は「26歳」でした。たったの三歳差と思われるかもしれませんが、二年半も女優を休止してのカムバックで、いきなりだナァと厳しい役柄を与えられたと云えるでしょう。

片瀬クンは、女優デビューから歌手転向までの期間には「等身大の役柄」しか演じていません。当時は「グラビア・アイドル」でも在ったので、10代の片瀬那奈ちゃんの成長と共にドラマも進行していたのです。確かに「氷の世界(1999年)」の様なシリアスな作品にも出演しましたが、あくまでも片瀬那奈ちゃんは「アイドル女優」でした。其れが、歌手時代を経て戻って来た場所では通用しなくなっていたのです。復帰三作目となった「離婚弁護士II〜ハンサム ウーマン〜」は、コメディ路線の演技で「第一期女優時代」の輝きを思い起こさせるものでした。此のドラマは、フジテレビ地上波だけでも既に六回も放送されている人気作でもあります。「ラストクリスマス」と「不機嫌なジーン」でスカされ捲くったので、当時のあたくしも大いに「片瀬那奈復活!」と喧伝したものです。

でもですね、どー考えても「あまみん」のバーターで起用されたわけで、其のキャラ設定も過去の焼き直しだったのです。緒方亜紀よりも、柚木さくらや有森みさとや荒木理恵子などの「第一期女優時代」の方が輝いています。若さゆえの暴走が、最早通用しない中途半端な「23歳」の片瀬那奈が過去をなぞった姿は「痛々しい」とも感じられます。つづく同年の二作(「香港バタフライ」「いい男はマーケティングで見つかる」)では主演を務めますが、Web限定作と深夜ドラマで映像作品化もされていません。そして「熟年離婚」と「小早川伸木の恋」へと向かうのですが、正しく「悪戦苦闘」としか云えない状況でした。原作者のフーミンが制作発表で「妙子が居る!」と片瀬クンを褒めたのですけど、あたくしは「冗談じゃない、どこが妙子なのよさ」と憤慨しましたよ。「何ゆえ、片瀬クンがこんなマジキチ嫁を演じなければならんのだ?」と、原作マンガを読んで呆然としたものです。


 「離婚弁護士II〜ハンサム ウーマン〜」INDEX


(小島藺子)


posted by 栗 at 04:50| ERENA | 更新情報をチェックする

「色褪せないコトノハ」

ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100 (朝日文庫)


こうしてネット上で文章を書くキッカケとなったのは、2002年6月のナンシー関死去です。其れまでは仲間内のサイトで掲示板やチャットをしたり、巨大掲示板で匿名投稿をする程度だったのですが、ナンシーが亡くなって「記名で投稿しよう」と決めました。ナンシーが逝って、既に十年も経過してしまいました。此の十年もの間、あたくし達はナンシーの新作コラムを読めなかったのです。何という不幸。

其の死は余りにも突然で、ナンシーは死の直前まで普通に現役でした。当時は「噂の眞相」と「週刊文春」と「週刊朝日」に連載中だったと記憶しております。ナンシーのコラムは2002年で終わっており、其れは最新作でも既に十年前に書かれた文章です。そして、彼女が書いていたのはテレビ番組を中心とした芸能ネタであり、かなり時事性があるものでした。普通に考えれば経年によって面白さは薄れてしまうのです。

ところが、例えば「ザ・ベリー・ベスト・オブ ナンシー関の小耳にはさもう 100」と云う文庫本は、2012年の現在でも充分に面白いのだ。此れは「週刊朝日」に1993年から2002年までの十年間で462回連載された「小耳にはさもう」から100(99人)を選び五十音順に並べた本です。ゆえに、一番古いものは二十年前で、最新でも十年前に書かれたコラムであり、しかもテーマはテレビの結構どうでもいいようなバラエティ番組などで芸能人が語った言葉に注目したものなのです。浮き沈みの多い芸能界での十年も二十年も昔の些細な事などに普遍性があるとは思えないのですが、驚くべき事にナンシーのコラムには其れがあります。

おそらくナンシーが生きていたなら現在は「AKB48」なども取り上げたと思いますが、其の場合でもナンシーは「AKB48」をタイトルにはしなかったでしょう。例えば「ダチョウ倶楽部」を語る時に、ナンシーは敢えて「寺門ジモン」のどーでもいい発言に食いつき、結果的には「ダチョウ倶楽部」の本質に迫るのです。そして其れは単に「ダチョウ倶楽部」と云うトリオを語るのではなく「お笑いにおけるトリオとは何ぞや?」とのテーマへと進んでゆくわけです。長嶋一茂が入団時に放った「ウチの父も野球をやっていたんですけど」発言に拘る視点の切れ味は、二十余年を経ても錆付いておりません。

然し乍ら、此の本を2012年の現在に再読して思うのは、登場する99人のほとんどが普通に芸能界に残っている事実です。そして、もう既に十年も二十年も昔にナンシーが其れらの人物の些細なひとことから見透かした彼等の本質が、現在も全く変わっていないのだよ。いや、其の「負のパワー」は増長していると云えるでしょう。とっくの昔にナンシーが警告していたおぞましい未来は、見事に的中しているのです。あたくし達は、折角ナンシーが預言してくれた災いから逃れずに居るのだ。嗚呼、何という不幸。


(小島藺子)


posted by 栗 at 00:58| KINASAI | 更新情報をチェックする