1989年2月に、リンゴは二枚目のベスト盤を発表しました。1976年の「リンゴズ・ロートグラビア」から1983年の「Old Wave」までの「落ちぶれていったリンゴ時代」五枚からの選曲で、日本盤は発売されていません。内容は、ジョン、ポール、ジョージからの提供曲を多く収録していてお徳用です。此のベスト盤で区切りを付けたリンゴは、1989年7月から「リンゴ&オール・スター・バンド」としてツアーを開始しました。名前の通り、リンゴと共に演奏するメムバーがそれぞれが大ヒット曲も持つスター集団で、此の企画は当たりました。メムバーを変えながら、現在まで長く続くツアーとなっております。1989年10月には来日公演も行われ、1990年6月には「第1期・オール・スター・バンド」のライヴ盤が発売されました。
ジョージは、1989年10月に二枚目のベスト盤「Best of Dark Horse」を発表します。一枚目のベスト盤は半分がビートルズ時代の音源にされてしまったジョージでしたが、今回は自身のレーベルでの五枚のアルバムからの選曲に新曲も加えた「本当のソロ・ベスト盤」を出せたのです。当時の最新作「クラウド・ナイン」の大成功や、「Traveling Wilburys」としての活躍もあり、自信満々の「ベスト盤」となっております。新曲が三曲も収録され、既発曲もアルバムとは違うミックスも入れるなど、正に「ベスト盤の鑑」と云う内容です。特に、映画主題歌でもある新曲「チアー・ダウン」は文句なしの名曲ですが、実はクラプトンへ提供する予定で書いた作品でした。相変わらず、ジョージは「名曲をあっさりと提供曲にしようとしていた」わけです。
さて、ジョージもリンゴも復活しまして、遂に真打ちポールが大復活します。アルバム「Flowers In The Dirt」の成功から、1989年9月より初の全世界ソロ・ツアーを開始したのです。1990年3月には、遂に待望の来日公演も実現しました。あたくしも足を運びましたが、ビートルズ、WINGS、ソロと全キャリアからの名曲を惜しげもなく披露する圧倒的なステージでした。其の感動的な全世界ツアーの模様は、1990年11月に「Tripping The Live Fantastic」として、アナログ三枚組、CD二枚組で発表されています。此の時から、ポールは「ビートルズ・ナムバー」も普通に披露する様になりました。「みんなが聴きたい曲を演奏する」と決めたのです。そして、其れを書いたのは他ならぬポールでした。「LET IT BE」を歌ったら、客席で親子で泣いているのを観て「僕は、他人を感動させることをやっているのか?」と思ったらしいです。「アビイ・ロード」のメドレーも、リハーサルで演奏したらスタッフが号泣したのでセット・リストに加えたのだそうです。ポールは「自分がビートルズである事実」を知らなかったのでした。解散から20年、ようやくポールは「其の事実」に気付いたのです。
(小島藺子)