nana.812.png

2011年11月27日

「シューイチ」#033

立川談志プレミアム・ベスト落語CD-BOX(芸歴50周年記念)


日本テレビ 8:00〜9:55

【MC】中山秀征、片瀬那奈
【コメンテーター】中丸雄一(KAT-TUN)、手嶋龍一、尾木直樹
【プレゼンター】笛吹雅子(日本テレビ報道局)、辻岡義堂(日本テレビアナウンサー)
【シューイチガールズ】木村好珠、中村アン、中村果生莉、ヒガリノ、三宅ひとみ、谷中麻里衣

速報!浅田真央ロシア決戦 立川談志さん蔵出し映像・長嶋茂雄と超貴重対談 中丸は池袋調査!女性ハマる(秘)カフェ 中山驚き浅草呉服屋・名物女将は外国人 旬の食材レシピ


日曜日の朝に片瀬那奈ちゃんが登場です。おや、前髪をつくってますね。先週は少し横に流しておられたのですが、今週はハッキリと分かりました。益々愛らしい。サーモンピンクの上着に黒地に白のチェックのミニスカート、黒タイツ姿で御座居ます。今回は、亡くなった立川談志師匠の秘蔵映像からスタートしました。日テレは持ってますね。ところで、「食ウィーク ニッポンを食べよう」の「シューイチ」ヴァージョンは録画されているかしらん。おにぎりポーズをする那奈ちゃんは、髪が長かった様な気がします。

今週もいつの間にか片瀬クンのタイムコールで後半へ向かっていますが、ここまで「シューイチガールズ」の出番はありません。45分近く、ただ座ってニコニコしてるだけって勿体無いですね。「ショービズ」になって、ようやく「中村アン」ちゃんがリポーターで起用されています。「シルク・ドゥ・ソレイユ」には片瀬クンが普通に「コレ観たい」と云ってますね。おいおい、また性懲りもなく「AD」を出してるじゃまいか。綺麗どころの「シューイチガールズ」を六人も囲っているのに、全く何を考えているのでしょう。「AD」を出して喜んでいる視聴者が居るとでもお思いか?しかも二つのネタをリポートさせるって、ふざけてますよ。「AD」が出ただけで、今週はもう大減点です。

そもそも「シューイチガールズ」は六人もいるのに、担当コーナーが「ショービズ・リポート」と「トレナビ」に二人と「お天気コーナー」と「シューイチTwitter」で五つしかないのですよ。上手く振り分けても確実に一人は余ってしまうのだ。余ったコは「二時間ただ座ってニコニコしてるだけ」なのですよ。「罰ゲーム」じゃないんだから、何とかして欲しいです。今週は「トレナビ」担当が「中村アン」ちゃんと「三宅ひとみ」ちゃんで、アンちゃんが二つのパイを取ってしまったので、二人も「ただ見てる人」になってしまうじゃまいか。其れを「AD」ごときに二つもリポートさせるって、どうかしています。

「トレナビ」は「旬の食材レシピ」特集で、片瀬クンの目付きがギラリンと輝いております。気持ちは既に生放送後の食事へ向かっておられるのでしょう。生唾を飲み込む様なモードに入ってしまわれた。おっと、ニック・ロウが流れてますね。「シューイチ」のスタッフは洋楽好きなのだ。おおっと、片瀬那奈ちゃんが「シューイチラボ」を担当だ!なるほど、サッカー・ネタですか。「立て板に水」の如く流暢にノリノリでプレゼンする片瀬クンですが、「那奈ちゃん、其れ、趣味じゃん!」なのだ。あらら、来週に引っ張っちゃったよ。腰の位置が高いスカートなので気付かなかったけど、結構「超ミニ」ですね。

「木村好珠」ちゃんは告知、「谷中麻里衣」ちゃんは御馴染みのズッコケ「お天気」、「ヒガリノ」ちゃんが「シューイチTwitter」と振り分けられて、今週は「中村果生莉」ちゃんが出番なしですか。先週まであったCMもなくなっちゃったもんね。今回の「シューイチ」は、前髪をつくった片瀬那奈ちゃんが「シューイチラボ」を担当と云う事で及第点ですが、「AD」起用での減点でギリギリと云ったトコでしょう。兎も角、もっと「シューイチガールズ」を活かして欲しいです。


(小島藺子/姫川未亜)



「シューイチ」日本テレビ公式サイト


そんでもって「マブダチ」の続報。「久々〜!」(「ピアノは友達」11/27)
「ん?写真を撮ったのは誰?」


posted by 栗 at 09:57| TV | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の拾参

想いは果てなく~母なるイングランド Stop & Smell the Roses Tug of War


悪夢の1980年12月8日が、ポール、ジョージ、リンゴの三人の其の後を大きく変えてしまいます。三人共、新しいアルバムを制作中でした。ジョージは完成していました。されど、ジョンの死が新作の発表を遅らせます。ジョージは「Somewhere In England」を1981年6月に発表しました。先行シングルとして5月に出たジョンの追悼曲「All Those Years Ago」は、全英9位、全米2位のヒットとなりましたし、ポールとリンゴも参加しています。でも、此のアルバムは1980年12月にリリースされるはずだったのです。ところが、ワーナーから「こんな地味な内容じゃ売れん!」と却下され、四曲を差し替えジャケットも別にして発売されたのでした。現在では当初のジャケットで発売されていますが、曲の差し替えを強要された時にジョンの悲劇が起こったのです。ジョージは、当初リンゴに提供する予定だった曲の歌詞を書き換え「All Those Years Ago」にしたのでした。ジョージは以前から名曲を惜しげもなく他人に提供する人で、アノ「SOMETHING」や「MY SWEET LORD」や「YOU」なども実は提供曲として書かれた作品でした。此の時も、うっかりリンゴにあげるトコでした。

其のリンゴは、1981年11月に「Stop & Smell the Roses」を発表します。ポールとジョージも楽曲を提供していますが、当初はジョンも参加する予定で四曲のデモをリンゴに渡していました。再びリンゴのアルバムでビートルズが集まり、再結成の狼煙を上げる構想も在ったと云われています。然し、ジョンが殺された事でリンゴは「ジョンの曲を歌えない」と彼らしい追悼の意を表したのでした。商売上手かと思えば、肝心な時には頑固に意志を通したリンゴは天晴れですが、アルバムは売れませんでした。リンゴは1981年4月27日に元「ボンド・ガール」のバーバラと再婚しポールとジョージも祝いましたが、同日にデニー・レインが「WINGS脱退宣言」をしました。

ポールは当初「WINGS」の新しいアルバムとして録音をしていましたが、ジョンの死に計り知れないショックを受け活動を休止しました。下僕だったデニーの脱退で「WINGS」は崩壊し、ポールはソロ作品を作る事となったのです。プロデューサーはジョージ・マーティン、エンジニアはジェフ・エマリックと云う「ビートルズ最強の布陣」と再び組み、リンゴ、スティーヴィー・ワンダー、エリック・スチュワート(10cc)、スタンリー・クラーク、カール・パーキンスなどなど豪華なゲストを迎えてのアルバム「TUG OF WAR」を1982年4月に満を持して発表しました。ジョンの死から一年以上も経て、悲しみの中から立ち上がったポールの渾身の大傑作です。矢張り、ここぞと云う時にポールはやってくれますね。此の時だけは、どうしてもポールは傑作を出さなければならなかったのです。大きなプレッシャーもあったのでしょうが、文句なしの名盤を出してしまうのですから、ポールは凄いです。スティーヴィーとの共演先行シングル「エボニー・アンド・アイボリー」も、アルバムも、堂々の首位を獲得する大ヒット作となりました。此の作品を初めて聴いた時の感動は忘れられません。特に二曲目の「TAKE IT AWAY」がカッコよく、しかも哀愁を帯びていて泣けてしまいました。ポールにしか出せない味です。

ジョンは本気でビートルズ再結成を考えていたらしいのですが、永遠に叶わない事となりました。リンゴは「アル中」となり、ジョージは映画製作に没頭し、ポールが孤軍奮闘で頑張る展開となります。此の頃も、ビートルズの作品は多くの編集盤が発売されていました。別ミックスを多く収録した「THE BEATLES BOX」(1980年12月発売)や、映画に使われた曲を集めた「REEL MUSIC」(1982年2月発売)など、ドドンガドンドン!と出捲くっておりますが、売れるんだから仕方ないですね。当時のメドレー・ブーム(そもそも其れも「Stars On 45」の「ショッキング・ビートルズ」から始まった)に便乗して「ムービー・メドレー」なんてシングルまで出て、此れがまた全英10位、全米12位のヒットを記録しちゃうんです。少なくとも、リンゴよりは売れてますし、ジョージだって追悼曲で売れたわけで「現役で過去のビートルズに立ち向かえるのは、もうポールだけないんじゃまいか?」と思われました。ぐるっと回って元に戻っちゃったのかもしれません。やっぱ、才能が違うんだよナァ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 02:43| FAB4 | 更新情報をチェックする