新たにギタリストとドラマーを加えたポールのWINGSは、1979年6月にアルバム「BACK TO THE EGG」を発表します。「ホワイト・アルバム」での因縁があるクリス・トーマスをプロデューサーに迎えた意欲作ですが、最も話題となったのは「ロケストラ」でした。ピート・タウンゼント、ケニー・ジョーンズ(THE WHO)、デイヴ・ギルモア(ピンク・フロイド)、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)、ゲイリー・ブルッカー(プロコル・ハルム)、ロニー・レイン(元スモール・フェイセス)など総勢24名のミュージシャンによるロック版オーケストラ「ロケストラ」が圧倒的で、グラミー賞の「最優秀ロック・インストゥルメンタル賞」も受賞しました。アルバムのセールスは英米ともにトップ10には入ったものの、メガ・ヒットまでは至っていません。兎も角、「WINGS」のアルバムなのに「ロケストラ」がメインって、もう何が何だか分かりません。
前述の難民救済コンサートには、矢張りビートルズ再結成はなく、WINGSが出演しました。12月の英国公演ではステージ上でロケストラが披露され、翌1980年1月には来日公演が予定されました。ところが、ポールは成田空港で大麻不法所持の現行犯で逮捕され、公演は中止されます。結局、WINGSは解散状態へと進み「BACK TO THE EGG」が最後のアルバムとなりました。ポールは1980年5月に「McCARTNEY II」を発表します。未だWINGSは解散していなかったのですが、ソロ・デビュー盤以来10年ぶりで「ひとり多重録音」のアルバムを出したのです。先行シングル「COMING UP」のカップリングがWINGSのライヴ・ヴァージョン(全米首位になったのはWINGS版)だった様に、ポールもバンド解散を考えてのソロ・アルバムではなかった様です。
長く引退状態だったジョンが、遂に重い腰を上げました。1980年8月からレコーディングを開始し、9月にはゲフィンと五年の契約を結び、10月に先行シングル「スターティング・オーヴァー」を、11月にはアルバム「ダブル・ファンタジー」を発表したのです。ベスト盤から五年、カヴァー集の「ロックン・ロール」から五年半、オリジナル新作としては「心の壁、愛の橋」から実に六年ぶりとなる復活でした。ヨーコと交互に曲が並べられた構成には賛否両論だったものの、ジョンの新曲に関しては絶賛されました。再出発に際して、ジョンもインタビューなどでも大いに語り「1980年代は、やったるで!」とレノン節をぶちかまして下さいました。素晴らしい未来が広がったと、世界中が注目し期待に胸を高鳴らせたのです。そして其の復活劇は、僅か二ヶ月も経たずに打ち砕かれてしまいます。1980年12月8日、ジョン・レノンは殺されてしまったのです。もう三十年以上前の出来事ですが、あたくしは今、此の一文を書いて思わず涙が出てしまいました。悔しくて、哀しくて、仕方ありません。
(小島藺子)