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2011年11月04日

「SMiLE」を発禁にしろ!

スマイル スマイル(デラックス・エディション) Smile Sessions


ビーチ・ボーイズの幻の作品「SMiLE」が、45年の時を超えて公式盤として発表されてしまいました。全く以って長生きはするもので御座居ます。CD1枚の通常盤、箱入りCD二枚組、アナログ二枚組、更にCD五枚アナログ二枚EP二枚の計九枚入り豪華箱入りと多様な形態での発売となりましたが、とりあえず通常輸入盤を購入しました。と申しますのも、1966年から1967年に制作され、途中でブライアンが「ラリラリパッパラパー」になって頓挫したと云われる此の音源は、散々ブートレグで買い捲り内容は知っているからです。

1967年に未発表になったものの、シングル「GOOD VIBRATIONS」を始め音源は小出しに正式発表され、其れらの完成度が高いゆえに「もしも完全版が出ていたならロックの歴史は変わっていた」と云われ続けました。2004年にはブライアンがソロ作品として新録で発表しましたが、あたくしは正直に云って「幻は幻の侭にして欲しかったナァ」と思ったものです。ところが、今度は当時の音源での公式盤が出てしまったのです。海賊盤の音源も年々向上しておりましたが、矢張り公式盤には敵わないと思われますので、買ってしまったわけだよ。うわあ、無茶苦茶に音がええじゃまいか。

果たして本編と云える通常盤の内容は、1966年に構想された「SMiLE」を当時の音源を中心にして音も磨いて創りあげた労作でした。「Cabin Essence」や「Surf's Up」などは後にカールのヴォーカルを加えて完成された音源になっていますし、結構リミックスもされているみたいですが、確かに1966年から1971年頃までの録音が元になっている様で、少なくともブライアンの2004年版「SMiLE」とは比較にならないクオリティだと思います。でもですね、此れが当時完成して発表されていたとしても売れなかったでしょうね。

前作「PET SOUNDS」ですら当時は評価が低かったわけで、こんなトンデモ音楽が受け入れられたとは到底思えません。此れだけ綺麗にまとめても、やっぱり「SMiLE」は完全にイカレています。音楽が、余りにも美しく発狂しているのです。おそらく、あたくしが聴いたロックでは桁違いで別格の「キチガイ音楽」が「SMiLE」です。今回の公式盤を聴いても「やっぱり、キチガイだわ」とメルモちゃん声で呟いてしまいました。「SMiLE」を聴けば、ジョンとヨーコの前衛音楽も「おこちゃまのお遊び」と思えます。「SMiLE」は完全に狂っているのに、其れでも限りなく美しい音楽として成立しているのです。こんなモンを簡単に手に入れられる様にするって「犯罪」ですよ。よいこのみんなは、決してうっかり聴いたりしないでね。間違って箱なんか買っちゃダメですよ。あたくしは、たぶん買うけどさ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 17:04| FAB4 | 更新情報をチェックする

「AFTER THE BEATLES」其の捌

Shaved Fish Blast From Your Past Best of


1976年2月にビートルズのEMIとのレコーディング契約が満了し、四人はそれぞれ新たな契約が可能となりました。ポールはEMIと契約を続行、ジョージとリンゴは別のレコード会社へ移籍し、ジョンはどことも契約しなかったのです。つまり、ジョン・レノンは引退したわけですね。其れで、EMIから離れるポール以外の三人はベスト盤を出す事となりました。最初は、ジョンです。ジョンは1975年10月9日(ジョンの誕生日)にヨーコとの間にショーンが生まれ、翌1976年7月にはアメリカ永住権を獲得します。当時はよく分からなかったのですが、引退記念としてベスト盤を発表したのでしょう。

当時ジョンのシングル盤がほとんど廃盤になっていた事に驚いたジョンが「シングル集」を出そうと決めたらしいです。ジョンはシングルとアルバムを別にすると云うビートルズ時代からの信念を持っていたので、多くのシングル曲がアルバム未収録でした。其れで、1975年10月にシングル集「Shaved Fish」を発表します。単なるシングル集ではなく、オープニングとエンディングに編集された「平和を我等に」を配しアートワークも凝った「レノンらしい」ベスト盤です。余談ですが、オリジナルの会心作からカヴァー集ときてシングル集で引退との流れは「歌手・片瀬那奈」と全く同じ流れでした。

次に、1975年12月にリンゴが矢張りほぼシングル集と云えるベスト盤「想い出を映して」を発売しました。全10曲とCD世代以後には些か物足りない曲数ではありますが、其の内の那奈曲がトップ10入りの大ヒット曲と云う「ビートルズでアルバムに一曲の人」とは思えない全盛期の狂い咲きしたリンゴが堪能出来ます。当時はシングルでしか聴けなかった曲もガッツリと収録したお徳用盤で、1970年代リンゴの最後の輝きと云える作品となりました。てゆーか、ハッキリ云って1970年代前半はリンゴが最も多くのヒット・シングル曲をぶちかましていたのです。アルバムも売れましたし、世の中が些かイカレポンチ状態になっていたのかもしれません。此の後、いい気になったリンゴはどん底まで堕ちてゆくので御座居ます。

さて、時系列で解散後のビートルズを語っている此の連載ですけど、此処で一寸反則をします。順番だと次はポールのWINGSからリンゴのアルバムへと続くのですけど、其れらを飛ばしてジョージのベスト盤を先に語ります。ジョージのベストは其の名も「THE BEST OF GEORGE HARRISON」として1976年11月に発売されました。既にジョージは自分のレーベル「ダーク・ホース」ごとワーナーに移籍し新作アルバム「33 1/3」を11月19日に発表するのですが、なな、なんと「THE BEST OF GEORGE HARRISON」はEMIから翌11月20日に発売されたのです。正に「過去と現在のジョージが闘っている!」状態を演出されてしまったっ。

ジョージはEMIからのベスト盤発売には協力し自ら選曲した様です。「赤盤」と「青盤」の選曲でも有名なジョージの選曲ですから、輝かしいソロ・キャリアから厳選されたベスト盤となったことでしょう。ところが、EMIから「おまいのソロ・ベストなんて売れないのだ」とダメ出しされ、勝手にアナログのA面はビートルズ時代の作品でB面がソロ時代の作品と云う屈辱的な編集盤にされてしまったのでした。ジャケットも「やっつけ仕事」で好い加減な出来栄えですし、アルバム未収録曲も「バングラ・デシュ」のみでした。ジョンは勿論、リンゴですらソロ作品でのベスト盤が出せたのに「ビートルズが解散して一番得した男」と呼ばれたジョージだけが「スットコドッコイなベスト盤」を出されてしまったのです。

でもですね、冷静に考えると確かに此の時期にはジョージは様々なトラブルを抱え、一時期のイケイケ状態も過ぎていたのです。「今更、ジョージのソロだけじゃ売れないべ」と判断されても仕方なかったのかもしれません。そんなこんなでジョンは引退し、ジョージとリンゴの栄華も続かずとなった1976年からは、正にポールの独り勝ち状態になってゆくのでした。解散後にボロクソに貶し捲くられたポールでしたが、気が付けばチャッカリとトップとなり独走していました。ちなみにポールがベスト盤を出すのは1978年12月でして、随分と先の事です。「ベスト盤なんか出さなくともオリジナルがバカ売れしてるじゃん!」と、余裕ぶっこいていたわけですね。


(小島藺子)



posted by 栗 at 09:21| FAB4 | 更新情報をチェックする

「カタセカイ列伝」# 057「反町隆史」

ゴールデン☆ベスト 反町隆史


反町隆史は、1973年12月19日生まれの俳優です。研音に移籍し「反町隆史」となる前にはジャニーズ事務所に所属し「平家派」のメムバーだった事は知られています。本格的な俳優デビューは研音に移籍し改名後の1994年で、ドラマ「ビーチボーイズ(1997年、CX)」や「GTO(1998年、関西テレビ)」などの主演作で大ブレイクしました。1997年には 「ビーチボーイズ」の主題歌「Forever」(ちなみに、米国の超有名バンド「ビーチ・ボーイズ」には「Forever」と云う人気曲が存在します)で歌手デビューし、「紅白歌合戦」にも出場しています。「GTO」の主題歌「POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」なども大ヒットし、シングル6枚、オリジナル・アルバム3枚を発表しています。歌手活動は2000年で休止し、以後は俳優に専念し多くのドラマや映画で活躍中です。

片瀬那奈ちゃんとは、彼女の本格的な女優デビュー作と云える「GTOドラマスペシャル(1999年、関西テレビ)」でガチンコ共演されています。片瀬クンの女優デビュー作は「美少女H2 最後のデート(1999年、CX)」ですが、其れは深夜に放送されていた「新人のプロモーション企画」でした。「女優なんてチョロイチョロイ」と天狗状態で主役を演じた片瀬那奈ちゃんは出来上がった作品での自分の演技に絶望し、三ヶ月後に放送された「GTOドラマスペシャル」では見違える様な成長を遂げます。「GTOドラマスペシャル」時の台本は片瀬クンの書き込みが尋常ではないらしく「伝説の台本(シュガー命名)」と呼ばれています。片瀬クン自身もデビュー当時の苦闘は思い出深い様で、2011年のイベント「Message 2011」では総合司会を務めた立場上、多くの研音所属俳優さんとの共演噺は封印されていたにも関わらず、反町さんとだけは「GTOドラマスペシャル」での共演を語っておられました。また、反町さんが第1話で声優を担当されたアニメ「人間交差点(2003年、テレビ東京)」のオープニングテーマ「REVENGE〜未来への誓い〜」は、歌手時代の片瀬那奈ちゃんが担当しています。

「GTOドラマスペシャル」の時に片瀬那奈ちゃんは未だ研音所属ではありません。では何ゆえ当時の台本に関するエピソードが語られたかと申しますとですね、片瀬クンが研音でマネージメントされた時から現在までずっとマネジャーを務め、現在は「チーフ・マネ」となられた「シュガーちゃん」が其の前に反町さんの担当だったからです。其ればかりか、歌手時代にチーフ・マネだった「青うにょ師匠」も反町さんの担当から片瀬クンに移動しましたし、なな、なんと現在の研音社長である「野崎研一郎さん」も反町さんのマネジャーをされていたのでした。本格的な共演作は「GTOドラマスペシャル」だけですが、反町さんと片瀬クンには看過出来ない浅からぬ因縁があります。「GTOドラマスペシャル」は最初期の片瀬那奈ちゃんを堪能出来る傑作でDVD化もされていますが、劇中で那奈ちゃんが反町さんの前で「POISON」を歌う「眩暈がする様な名場面」もありました。

さて、反町さんとドラマ「GTO」の共演をキッカケに御結婚され、大河ドラマ「利家とまつ〜加賀百万石物語〜(2002年、NHK)」では夫婦共演もされたのが、(つづく)


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 07:10| KATASEKAI | 更新情報をチェックする